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2012-03-11 やられたら、やりかえす

震災から1年を経過しても、私には1995年の阪神・淡路大震災の記憶の方が、今でも鮮明に残っている。

『何が違うんだろう』と今日一日考えていた。

私が朧げながらに思いついたことは

―― 映像ごときでは伝えられない

-----

壊滅した街の、風の流れ、冷たさ、空気の乾き方、街の匂い。

心底まで冷える地面、慟哭を現わさない無表情の顔。

数日を過ぎれば自分だけは逃げだせると思う安堵感とその嫌悪感。

僅かでもあれ、それを現実に感じれたか感じれなかったか、の違いであると思い至った。

-----

「映像」ごときで、分かった気になってたまるか。

「義援金」ごときで免罪符を買ったような気になってたまるか。

「絆」などという言葉遊びで満足してたまるものか。

「同情」して「涙」を流す程度のことで、自分を救済してなるものか。

-----

「試練」だと。笑わせるな。

不可逆な「死」に「試練」の要素が一欠片もあってたまるものか。

そんな理屈、私は絶対に認めない。

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私は理不尽な殺戮を気紛れに平然と行う、天を恨み、自然を憎む。

『やられたら、やりかえす』

今、その方法を考えているところだ。

http://www.kobore.net/tex/alone95/node3.html


2013-03-11 10億円の相当の何かの実験装置

昨日の話ですが、残念ながら私のオリジナルではなく、何年か前にあった事件をモチーフとして考えたものです。

ある技術系の某組織に勤務している友人から、電話を受けた時のことです。

「そっちの会社で、10億円の相当の何かの実験装置って、ある?」

絶句しましたね。

―― 納期は ?

「今すぐ。いや、それが無理なら3日くらいなら、なんとか」

―― 目的は ?

「後で考えるから、今はいい」

―― 正直にいって、無理だと思う。

「じゃあ、数億円でもいいから」

―― いや、そういう話じゃなくて

-----

あまり公にはできませんが、こういう話って、結構、普通にあったりします。

バブル期の時は言うまでもありませんが、今でもない訳ではありません。

金額の大小はあれ、こういう「駆け込み予算消化」というのは、組織が運命的に持つ、カルマ(業)のようなものです。


2014-03-11 「もし『グループメシ』なんぞを強制されたら、私は暴動を起こすぞ」

江端:「お前たちにとって『一人メシ』というのが、耐え難い地獄であるのであれば、どうして教師達は看過しているんだろう」

"If "lunch alone" is is hard on you, why your teachers don't try to work out remedies?"

長女:「看過って・・、先生たちにできることなんてないじゃん?」

"Remedies... Is there anything what they are able to do?"

江端:「例えば、昼食時の自席からの移動の禁止。または、グループのローテーションの義務化」

"For example, "prohibition of moving seats in lunch time" and "mandatory seats rotations""

長女:「それは、ちょっと無理じゃないかなぁ。昼食時間は原則自由時間なのだから、そこまで過度な干渉はできないでしょう。その理屈であれば、『グループでは、遊んではいけない』ことになってしまうよ」

"It seems to be impossible for teachers because of excessive meddling. As a general rule, lunch time is free time. And the rule leads some contradict manner, "We don't have to play by harmonious group of people."

江端:「友人のいない私としては、そんなことは、まったくもってどうでもいいんだけど、逆方向からなら理解できるなぁ」

"Though I don't have any friends and care about it at all, I could understand what your intentions are from an opposite side".

長女:「逆?」

"Opposite side?"

江端:「もし私が『グループメシ』なんぞを強制されたら、私は暴動を起こすぞ」

"If I enforced to "lunch with others", I would provoke a riot.

長女:「・・・ま、いいけどね」

"...What the hell"

江端:「でもなぁ、『一人メシ』を自分で選ぶのと、『一人メシ』を余儀なくされる、との間には、酷く差があるよな。あ、忘れていたけど、もう一つの観点があったよ」

"Anyway, I am afraid that there is serious different choosing "lunch alone" by them from being enforced to "lunch alone" by others. And I noticed that we have to discuss another topic."

長女:「何?」

"What is it?"

江端:「『一人メシ』の救済を、強制された者の観点だ」

"A person who enforce help for "lunch alone""

長女:「は?」

"What?"

江端:「つまり、パパのことだ?」

"It is me."

長女:「はあ?」

"Pardon?"

(To be continued insistently)


2015-03-11 実際に外国で何度か死にかけて ―― そして、助けて貰ってきたからね。

(Continuation from yesterday)

さて、ここからは、「信義」の話だ。

By the way, from here, let's start the story of "faith".

保護者は子どもに対して「その池は危いから、近づくな」と言うのが、基本的なスタンスだと思う。

I think any guardian warns their children "danger! don't approach the pond!" as their responsibility.

でも、もし自分の子どもが池で溺れていた時に、「それ見たことか」と見過す親がいたら ―― いないと思うけど ―― それは、もう親子じゃない。

When their child was drowned in the pond, if they say "you see that?" without helping the child." (Of course, I think they don't), they are not parent and child.

では、国家と個人の関係では、どうだろうか?

How about the relationship between country and individual?

国家の価値は、結局それを構成する個人個人の価値だと思う。

The worth of a state, in the long run, is the worth of the individuals composing it.

「それ見たことか」と思うかもしれないし、思ってもいいと思うんだけど―― 公言し、ネットに掲載し、それを嗜める人もいない ―― そんなことが普通に行われる国家を、私達は、これから『大切に思っていく』ことができるだろうか。

Though some people might think "you see that?" and I think it is O.K., can we continue cherishing our country where they say it loudly, post it on the internet, and nobody reproves them.

国家と国民の関係は「契約説」「対価説」などあるけど、私は、可能であれば「信義」で形成されていて欲しい、と思っているよ。

There are some theories of the relationship between country and individual, for example "theory of social contracts", "theory of value". But I hope that it become based on "faith".

-----

繰り返すけど、「危いところには行くな」「自分の命を守る為であれば、他人を見捨てても逃げろ」と、これからも私は言い続けると思う。

Again, I am going to continue telling you that "Run away with abandoning your friend who confronts perils" and "When watching fire disaster and an accident or hearing a sound of gun, run away toward the opposite direction without feeling strange original chivalrous spirit"

でも、その話が、「テロリストに囚われたジャーナリストを助ける必要がない」という話と同じにはならないと思っているし ―― 少くとも、「自業自得だ」と切り捨てる側には絶対に立たない、と決めているんだ。

But I don't think that the above is not same as the story of "we don't have to help the journalist who has been captured by the terrorist", in addition, I never stand up in the side of abandoning him, saying "a well‐earned punishment".

-----

それに、

Moreover,

I really almost died in foreign countries several times, and some persons helped me.

だから、助けたいと思うよ。

So, this time, I want to help him.


2016-03-11 ―― ソースコードに黙秘権はない

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

さらに「予測」(経済予測、人口予測等)に至っては、その予測アルゴリズムが開示されていない限り、その内容が妥当かどうか、知り得る手段はありません。

In addition, about "prediction (for economy or population, e.t.c.)", no one can know whether it is correct or not, without opening the prediction algorithm.

そして、政府、国会、官公庁、およびそれらの委員会、調査機関において、それらの予測に使ったプログラムのソースコードを開示しているサイトは、私が知り得る限り、ただのひとつもありません(本当)。

And, as far as I know, there is no movement, diet, administration, and committee to open the source code of the prediction program(It's true).

-----

私は、私は自分のコラムで使ったデータと、予測プログラムのソースコードの全てを開示しています。

In my case, I have opened all of program source codes and data about my columns.

これによって、私のコラムを読んでいる方(の一部)は、私のコラムの妥当性を調べることができます。

These my activities , I believe, give the readers some propriety of contents of my columns.

仮に、だれも検証しなくても、ソースコードを開示すること自体が、私のコラムに信用を与えていると思います。

Even if nobody check the contents of source codes, they are going to give some confident to the columns.

(驚いたことに、EE Times Japanの編集者の中には、本当に、私のプログラムコードをコンパイルして実行している方がいらっしゃるそうです。流石です)

(To my surprise, I heard that an editor of EE Times Japan is trying to compile and execute my codes. Well done.)

では、どうして、権威ある機関が、私と同じアプローチを取らないのか?

Let us think why an authoritative institution takes same approach of mine.

理由は簡単です。

The reason is simple.

そのようなソースコードを開示すると、その権威ある機関が「何を考えているか」が一目瞭然になってしまうからです。

If they open source codes like that, we can understand easily what the authoritative institution is thinking.

■都合の悪いパラメータ、

- Unfavourable parameters,

■見せたくない数値データ、

- Numerical data that you do not want to show,

■能天気な未来予測アルゴリズム

- Optimistic future prediction algorithm

それらが、全部が分かってしまうからです。

All of these information will be opened easily.

一言で言えば、

In short,

―― ソースコードに黙秘権はない

"Source codes has no right to remain silent."

プログラムを読むことのできる私達エンジニアは、一斉にこのようなソースコードの内容を読み取り、それを公表するでしょう。

Our engineers that can read the program, all at once to read the contents of such source code, will publish it.

# あ、これを、仕事にしてもいいな。

# Well, this might be my work.

そして、その内容を知った国民は、批判し、非難し、場合によっては激怒するかもしれません。

And, people who knew its contents, might criticise, condemn and rage in the prestigious institution.

どう考えたって、面倒ですよね。

It is troublesome for them.

だから、「数字」「統計」「予測」は都合よく開示し、都合よく非開示にするるのが、政治運営にとって望ましいのです。

So, it is better for them that "the numbers", "Statistics", "forecast" is conveniently disclosed or non-disclosed.

(続く)

(To be continued)


2017-03-11 しかし、ここまで「下品」を徹底して貰えれば ―― 「気持ちがいい」

私は、毎日の日記を電車の中で書いています。

I am writing a daily on the train everyday.

今、22時48分の帰宅の電車の中です。

It is now in the train home at 22:48.

この時間にもなると、人も少なく、7席の座席に2~3人が座っているような状態です。

At this time, there are few people, so it seems that two or three people are sitting in seats with seats of seven.

そんでもって、今、私の目の前には、

With that, now, in front of me,

■3席の座席を豪快に占拠し

occupying the seat of 3 seats surprisingly

■座席にペットボトルを倒し、

laying down the plastic bottle on the seat

■どら焼き一箱(数個入り)と、コンビニ弁当を2つ広げながら、

spreading one box of dumpling (several pieces) and two convenience store lunch boxes,

豪快かつ下品に飯を喰っている、肥満男性がいます。

There os an obesity man who are eating virtually and vulgarly.

-----

凄いです。大きいです。太いです。あの服どこで売っているんだろう?

He is amazing. He is big. He is thick. Where are those clothes on sale?

かなりの年配です。お顔のサイズは特大のホールケーキくらいの大きさがあり、造形は、はっきりいって不定形です。

It is quite old. The shaping of his face is incomplete, to speak frankly .

巨大なテントのようなスーツと、麻袋サイズのズボンは、汚なく、

Both his suit like a huge tent and pants like a hemp bag are dirty.

清潔感など一欠片も感じられません。

From him, I cannot feel a sense of cleanliness.

彼の回りには人が近寄ろうとしないので、私は今、彼の前の正面の席に座って、彼を観察しながら、この日記を書いています。

Because no one will approach near him, I am writing this diary, sitting in front of him and observing him.

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それにしても ――

Even so,

しかめ面を維持しながら、クチャクチャと音を立てて、口一杯にパスタをほうばる姿は、

He stuffs pasta full of mouth, chewing noises while eating all time with a frown, I can use one word,

「下品」

"Vulgarity"

の一言に付きます。

しかし、ここまで「下品」を徹底して貰えれば ―― 「気持ちがいい」

However, if he can keep thoroughly "vulgar" so far, I feel "comfortable" conversely.

(続く)

(To be continued)


2018-03-11 ―― パソコン使ってこなかったお前が悪いんだろう?

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

お役所で発行して貰える住民票や戸籍謄本を得る為「だけ」に、

In order to obtain "only" a resident card and family register certificate that the government office can issue,

(1)パソコンで操作するのと

(1)Operating with a personal computer

(2)お役所に行くのと、

(2)Going to the office,

どっちの方がコスト(時間と費用)が安いかを考えれば、私だって(2)を選びます。

If asked which better is, I also choose the (2).

一生の間に、何回、住民票や戸籍謄本が必要になるかを考えれば、「パソコンと格闘すること」は最適戦略とは言えません。

Considering how many times a citizen's voucher or family register must be copied during the lifetime, "fighting with a PC" is not an optimal strategy.

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だから、「お役所は当面大丈夫」 ―― とも、ならないような気がするんですよね。

So, "the government office is okay for the time being" --- I don't think so.

多分、行政は、お役を縮小または廃止することで、国民を「パソコン + コンビニ」に強制誘導しようとするはずです。

Probably, the administration will shrinking or abolishing the office, and it is supposed to try to force people to "PC + convenience store".

『行政はデジタルデバイド民を切り捨てるのか』と問われれば ―― そりゃ、当然切り捨てるでしょう。

If someone asks the administration for truncating the digital divide people?" Well, they will naturally truncate.

なでなら、老人福祉や少子化対策と比較すれば、この禁忌(タブー)がもの凄く言い易いですから。

Compared with welfare for the elderly and measures against declining birthrate, this line is easy to say easily.

―― パソコン使ってこなかったお前が悪いんだろう?

"You are bad aren't you ? Because you have not used a personal computer"

って。

そして、「パソコン + コンビニ」を使えない人は、高い金を払って、それを代行する業者に頼むことになる訳です。

People who can not use 'PC + convenience store' will be asked by a merchant who pays high money and acts on it.

結局、行政の仕事が民間に安く払い下げられる、ということです。

In the end, the job of the administration is cheaply paid to the private sector.

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こういう観点から見れば、私の老後はバラ色(?)です。

From this point of view, my old age will be wonderful(?).

父や母の確定申告や、嫁さんの不動産登記手続は、そりゃタダでやっていますが ―― それ以外の人からは、相応のお金を頂きます。

According to final and mother's final declaration and wife's real estate registration procedure, I will do it for free. Other people will get the appropriate money.

こうして小金を稼いで老後を凌げれる未来がくれば、私は助かります。

I will save money if the future will come. It might be helpful.

私は「人々の不便を喰って自分が生きていくこと」に、1mmたりとも良心の呵責を感じません。

I do not feel punishment even with 1 mm, "sacrificing the inconvenience of people"


2019-03-11 ―― 国家権力に勝利した

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

ところがですね、先日、ちょっと興味深いプロジェクトを発見してしまったのです。

However, the other day, I found a somewhat interesting project.

"Nationwide reference station installation project"

です。

「江端家(個人宅)が、ボランティアで基準信号を送信して、(GPS情報と連動させた)1cm測位を実現する」プロジェクト ―― と、例えることができるか、と思います。

"I think that project is, for example "the Ebatas (private residence) sends a reference signal by volunteering, and realize 1 cm positioning (linked with GPS information)"

厳密に言えば、「位置情報」は、「時刻情報」とは異なるのですが、1cmの誤差の位置を測定できるということは、超高精度な時間を「逆算」できる、とも言えます。

Strictly speaking, "location information" is different from "time information", however to measure the error position of 1 cm means that it is possible to "reverse count" ultra-high precision time.

これをやったら、なんかメリットがあるか ―― と問われれば、「何もない」です。

If you ask me "is there something merit for you?", I can answer "Nothing"

多分、江端家のコンピュータの電気が無駄に消費されるだけだと思います。

Perhaps, I think that electricity of our computer is wasted only.

But, well, what I am interested in is mostly like that.

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それでも、NICTやJAXAでも実現できない位置精度(時間精度)が、江端家のIT設備で提供できるというのは、なんか気持ち良いです。

Still, it is somewhat pleasant that the position accuracy (time accuracy) that can not be realized by NICT or JAXA can be provided by the IT facilities of the Ebatas.

―― 国家権力に勝利した

"I win the state power"

って、感じがして。

I think that.

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違うか ―― 違うな。

Am I wrong? Maybe I am wrong.


2020-03-11 私の「一人スキー」に寄生する気が、満々のようです。

2年前に、スキーシューズの底が剥れ落ち、シェルが割れてしまいました。

Two years ago, the bottom of my ski shoes came off and the shell broke.

これで、「人生におけるスキーは終了」と思っていたのすが、その後、代替となるレジャースポーツを見つけられていません。

I thought, "Skiing in my life is over" at that time, but I haven't found an alternative leisure sport.

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私、基本的に一人で楽しめるものでないと、ダメなのです。

I basically can't do it unless I can enjoy it alone.

野球やサッカーなどのチームスポーツは言うに及ばず、相手を必要とするテニス、卓球なども日常的にはやりたくありません。

Not to mention team sports such as baseball and soccer, I also do not want to play tennis and table tennis, which require an opponent, on a daily basis.

単独登山はそれだけでもリスクが高いですし、特に、遭難し、死が避けえない状況になった時、苦痛の時間が長そうです。

Climbing alone is risky, especially when I am in distress and my death is inevitable, the pain period will be longer.

水泳は、良い運動にはなるのですが、非日常感が少ない上に、基本的に同じコースを往復するのは、あまり楽しくありません。

Swimming can be a good exercise, but I cannot feel extraordinary and it's not really fun to go back and forth on the same course.

音楽や落語やアニメでも聞きながら泳げると良いのですが、大抵の公営プールでは、防水対応の音楽プレーヤーの装着は禁じられています。

I hope I can swim while listening to music, rakugo and animation, however, most public swimming pools are forbidden to wear waterproof music players.

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一方、スキーは、基本的には一人スポーツであり、適度な非日常が得られ、スリルとリスクのバランスも万全です(コース外に出ない限り、怪我をしても救出して貰えます)。

On the other hand, skiing is basically a one-person sport, and there is moderate extraordinary. The balance between thrill and risk is perfect(If I am not out of the ski-course, I can be rescued even if I am injured.)

という訳で、先日ネットで中古のスキーシューズを注文し、昨日、それが届きました。

So, I ordered used ski shoes on the Internet the other day, and it arrived yesterday.

実は、スキーシューズをネットで購入する、というのは、かなりの賭けです。

In fact, buying ski shoes online is a huge bet.

当人の足との相性がとても重要だからです。

This is because compatibility with your feet is very important.

着装を試せないネット販売は、スキーヤーにとっては、禁忌とされていることなのです。

The Internet commerce, where I can't try to put, are taboo for skiers.

I thought,

―― まあ、外れたら外れたでいいかな

"Bad luck is also O.K."

という程度でいたのですが、届いたシューズを履いてみたところ、なかなかいい感じでした。

However, When I put on the shoes I received, it was pretty good.

そんな訳で、今、私の中では、スキーへのモチベーションが高まっています。

So I am now more motivated to ski.

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で、そんな私を見ていた長女が『私をスキーに連れてって』と言っています。

The senior daughter who looked at me said, "Take me skiing."

江端:「そんなセリフは、お前の彼氏に言え。それに、レジャーなら友人とグループで行くのが常道だろうが。なんで、父親にそれを言うんだ」

Ebata: "Say that line to your boyfriend. or why not try to go skiing with your friends? I don't know why you ask that to your father.

と尋ねたら、以下のようなことを言われました。

She said,

「自分で企画するのが嫌だし、他人と合わせるのも面倒」

"I hate to plan my own, and it's troublesome to match with others."

「パパにくっついて行けば、自動的にスキー場に到着する」

"If I follow you, I will automatically arrive at the ski place."

「スキーができて、適当に教えて貰えて、必要な時には救助もして貰えて、そのまま自宅に帰宅できる」

"I can ski, get some tips, get help when I need , and go home."

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私の「一人スキー」に寄生する気が、満々のようです。

She feel like she is parasitizing my solo skiing.


2021-03-11 私、自分の家族だけ(他人は見捨てて)で、真っ先に脱出を図ろうとしたことを思い出しています。

3.11から10年目の今日、黙祷の時間に、1分遅れてしまいました。

Today, the tenth anniversary of 3.11, I was one minute late for the silent prayer.

(アラームというのは、味気ない気がしたのです)町内放送を当てにしていたのです、終了時しかアナウンスが聞こえませんでし。

I relied on the town announcement (because I thought an alarm would be tasteless), but I only heard the announcement at the end of the prayer

10年前の、14:46の地震発生時、本当に怖かった。

Ten years ago, when the earthquake hit at 14:46, I was really scared.

横浜にいた私ですら、オフィスの中で死ぬのではないか、と思えたくらいでした。

Even I, who was in Yokohama, felt like I was going to die in my office.

そして、私たちが屋外に避難した頃 ―― 、地震発生から31分後。

And when we evacuated outdoors - 31 minutes after the earthquake,

私たちがワイワイガヤガヤと会話していた、まさにその時に、2万人近い人々を殺害する津波が到達していたことに ―― 今でも、「後ろめたい気持ち」が拭えません。

At the very moment when we were having a lively conversation, the tsunami had reached the area killing nearly 20,000 people. Even now, I can't shake the feeling of guilt.

あの日の夜、私は会社の倉庫でラジオを聞きながら、夜が明けるのを待っていたのですが ―― その時でさえ、ラジオから流れてくるニュースは、『行方不明者、数十人』でした。

That night, I was in the warehouse of my office, listening to the radio and waiting for the night to end. Even then, the news coming over the radio was 'dozens of people missing'.

ニュースは憶測のデータを流してはなりませんので、仕方がないことだとは思いますし ―― 誤った情報で、無関係の人々を集団殺害したという、関東大震災の教訓を思い出さえば、これが正しいことは分かっているのですが。

The news should not be filled with speculative data, so I think it is inevitable and we have to remember the lessons of the Great Kanto Earthquake, where misinformation led to the mass murder of innocent people. So we know this is correct, however,

―― 全体像が把握できない災害というのは、本当に怖い

"It's really scary to have a disaster where we can't grasp the whole picture"

と実感したものです。

I realized that.

But of course, the biggest fear in my life is the "reactor containment explosion".

I remember that I, my own family alone (abandoning others), was the first to try to escape.

ただ、これに関しては、今でも一片も「後ろめたい気持ち」はありません。

However, I still don't have a shred of "guilt" about this.

これからも、私は、自分が完全に安全なところに逃げた「後」に、他の人の救出活動を開始する予定です。

I will continue to start rescue operations for others, "after" I have escaped to complete safety.

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それにしても、本日のNHKの震災特集の放送は、一日中、凄かった。

By the way, today's NHK special broadcast on the earthquake was amazing all day long.

久々に「NHKの本気を見た」と思いました。

It's been a while since I've seen "NHK's Seriousness".


2022-03-11 特に「手書きのモールス信号を書き込んだ下敷き」は、定期考査で効果を発揮したものです。

私が大学時代を終える頃まで、「ラジオ少年(ラジオを電子部品を使って自作する少年)」という言葉があり、「アマチュア無線」が『趣味の王様』と言われた時代でした。

By the time I finished my college days, there was a term "radio boy (a boy who builds his own radio using electronic components)" and "amateur radio" was considered the "king of hobbies".

実際に、携帯電話が普及する前の1990年代中頃まで、アマチュア無線の免許を持っているものは、モテたのです ―― スキー場で。

In fact, until the mid-1990s, before cell phones became popular, those with amateur radio licenses were popular -- at ski resorts.

何しろ、スキーゲレンデ中に散らばっている仲間と連絡が取り敢えるのは、免許とハンディタイプの無線機を持っている人間だけでした。

After all, only those with the license and a handheld radio could keep in touch with their friends scattered all over the ski slopes.

もっとも、市民無線(CB無線)という無免許でも使える無線機はあったのですが、電波の強度がケタ違いで、連絡が取れる範囲がハンパなく広かったことも、アマチュア無線の強みでした。

Although there was a type of radio that could be used without a license called civil radio (CB radio), the strength of the radio signal was so different that it was possible to communicate with a much wider range of people, which was one of the strengths of amateur radio.

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私が中学生時代の江端家は、裕福な家庭とは言えませんでしたので、子ども心にも『無線機を買って欲しい』と親に頼むことはできませんでした。

When I was in junior high school, the Ebata family was not a wealthy family, so I could not ask my parents to buy me a radio.

雑誌(CQ誌)を見ながら、溜息をついている日々でした。

I spent my days looking at magazines (CQ magazine) and sighing.

ですから、親の方から『いくらするんだ?』と言われた時は、ビックリしたものです。

So my parents asked me, 'How much are you going to charge?' I was really surprised.

おずおずと、固定機器としても使えるものとしては当時一番安価だった、ハンディ無線機(RJX-610)の値段を語ったような気がします。

I think I mentioned the price of a handheld radio (RJX-610), which was the least expensive at the time as a fixed device.

その後は、自分でアルバイトして、規定電流量ギリギリの格安の安定化電源を購入して、結局、それが使いものにならないと判明した時は、本当に悔しかったです。

After that, I worked part time on my own to buy a cheap stabilized power supply that was just under the specified amount of current, and when it eventually proved to be useless, I was really frustrated.

それからの日々は、安いアンテナと同軸ケーブルを手に入れて、自力で自宅にアンテナを設置して、『いかに遠くに電波を飛すか』だけを考えていたような気がします。

From then on, I think I spent my days getting a cheap antenna and coaxial cable, and setting up the antenna at home by myself, and thinking "how to send the signal as far as possible".

その為に、アンテナに工夫をしたり、電源を自作したりと、色々な工夫をする日々でした。

To achieve this, I spent my days devising new antennae, making my own power supply, and so on.

指向性アンテナとアンテナの方向を換えるローテーターに手が届かなかったことは、今でも悔しいです ―― 子どものころの私に、寄付してやりたい ―― というより、一緒にアンテナ設置の作業をしたい。

I'm still frustrated that I couldn't get my hands on a directional antenna and a rotator to change the direction of the antenna -- I'd rather donate money to me as a child -- or rather, work with me to install the antenna.

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さらに、その電波が届く距離を長くする為に、電信の免許も取得しました ―― いわゆる、モールス信号通信です。

In addition, in order to extend the range of its radio waves, it also obtained a telegraph license -- the so-called Morse code communication.

しかし、モールス信号を使ってさえも、私の持っていたハンディ無線機では、正直、県外との通信は難しいものでした。

However, even using Morse code, it was honestly difficult to communicate with out-of-prefecture with the handheld radio I had.

ところが、春から夏ごろにかけて、主に昼間に上空約100km付近に局地的・突発的に発生する特殊な電離層(スポラディックE層)が発生すると、電離層反射によって、遠距離まで、電波が届くことがありました。

However, when a special ionosphere (sporadic E layer) that occurred locally and suddenly around 100 km above the sky mainly during the daytime from spring to summer occurs, my radio waves could reach distant areas due to ionospheric reflection.

モールス信号で、コールサイン"JR6"を受けとった時は、聞き間違いかと思いましたが、"MI ADR NAHA"(こちらは那覇市です)の信号を受けた時の喜びは ―― 多分、理解して貰えないと思います。

When I received the call sign "JR6" in Morse code, I thought I heard it wrong, but my joy I felt when I received the signal "MI ADR NAHA" (this is Naha City) -- I am sorry but you probably don't understand.

『好きな女の子からバレンタインにチョコを貰った時の嬉しさが、消し飛ぶくらい』と言ったらいいのでしょうか。

I guess I should say, "The joy I feel, was more than getting a chocolate from a girl I liked for Valentine's Day".

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で、いつも困るのが、「それって一体全体、何が嬉しいの?」と尋ねられることです。

The question that always bothers me is, "What in the world makes you happy about that?"

インターネットがなかった時代、遠距離通信は、通話料がバカ高かった「電話」を除けば、アマチュア無線しかなかったのです。

In the absence of the Internet, the only way to communicate over long distances was "amateur radio", except for "telephone" calls, which were ridiculously expensive.

「情報を遠距離に伝達する技能を持っている」というのは、それだけで憧れの的だったのです。

Having "the skills to transmit information over a great distance" was something to aspire to.

例え、その情報が、コールサインの交換と住所と自分の名前を交換する程度の、ショボイ内容であったとしても、です。

Even if the information was as trivial as exchanging call signs and exchanging addresses and one's name.

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当時の私のコールサインを、モールス信号で記載すると.--- . ..--- ... --.- ..となります。

My call sign at the time, in Morse code, was . --- . ... --- ... --. - ... ....

ちなみに、このモールス信号は、無線通信以外にも、結構役に立ちました。

Incidentally, this Morse code was quite useful for more than just radio communication.

特に「手書きのモールス信号を書き込んだ下敷き」は、定期考査で効果を発揮したものです。

The "underlay with handwritten Morse code" had been especially effective during the periodic examinations.


2023-03-11 現在、『TOKYO2020は、汚職と談合のイベントだった』という記憶の上書き、絶賛進行中です。

現在、『TOKYO2020は、汚職と談合のイベントだった』という記憶の上書き、絶賛進行中です。

Currently, the overwriting of the memory that "TOKYO 2020 was an event of corruption and collusion" is underway to great acclaim.

TOKYO2020(開催は2021年でしたが)には、感動的なシーンが沢山あったと思うのですが、私は、あまり思い出せてないです。

I think there were many inspiring scenes in TOKYO 2020 (although it was held in 2021), but I, for one, can't remember many of them.

Well, personally, I think "that corona infection countermeasure - the 'bubble method' - was brilliant" - as an engineer.

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TOKYO2020は、その開始前の記憶も鮮烈です。

TOKYO 2020 is also vividly remembered before its start.

オリンピック開催に尽力した4人の方々が、オリンピック開催前に「全員消えた」という、アガサクリスティも真っ青なできごともありました。

There was even an Agatha Christie-esque incident in which the four people who had worked so hard to organize the Olympics "all disappeared" before the Olympics were even held.

- 安倍元首相が、体調不良で辞任

- Former Prime Minister Abe resigns due to ill health.

- 猪瀬元東京都知事が、金の問題で辞任

- Former Tokyo Governor Inose resigns over money problems.

- 武田元JOC会長が、金の問題で辞任

- Former JOC President Takeda resigns over money issue

- 森元首相が、女性蔑視発言で辞任

- Former Prime Minister Mori resigns over derogatory remarks about women.

I think TOKYO2020 was a very rare event, in which the "before and after" are more memorable than the TOKYO2020 event itself.

ちなみに、これは、私個人の感想です。

By the way, this is my personal opinion.

素晴しいシーンは確かにあったはずです。

There must have been some great scenes.

多くの日本人が感動したはずです。

Many Japanese must have been impressed.

ただ、"私"が忘れてしまっているだけです。

It's just that "I" have forgotten.

一方、"私"のような人は、決して少数ではない、とも思っています。

On the other hand, I believe that there are more than a few people like me.

まあ、そういう意味で、やっぱり、今回の汚職と談合は『罪深いことなのだろうな』と思うのですよ。

Well, in that sense, I still think that this corruption and collusion 'must be sinful'.

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江端:「という訳で、今、'TOKYO2020'のことを思い出しているんだけど、何覚えている?」

Ebata: "So now I'm remembering 'TOKYO2020', what do you remember?"

嫁さん:「そうだなぁ・・・『五輪バブル』かなぁ」

Wife: "Well...maybe the 'Olympics bubble'."

Come to think of it, my wife and my second daughter were making a small fortune working part-time as receptionists at the Olympic venues.


2024-03-11 打つ手がないなら、我が国は、緩やかに死んでいけばよいのです。

以前より、私は『育休推進で離職者が増えるかもしれない』というぼんやりとした予感がありました。

For some time now, I have had a vague hunch that 'the number of employees leaving the company may increase due to the promotion of maternity lea

最近、この予感が「当ってきている」という感じがしています(プライベートに関わることなので、事例やデータは、ご勘弁頂きたいのですが)。

Lately, this hunch is "coming true" (though I would appreciate it if you would refrain from giving me examples or data, as this is a matter of private life).

「産休後の復職」はここ数十年来の社会課題ですが、近い未来、この逆の現象である「産休後の離職」が問題になってくるような気がしています。

Although "returning to work after maternity leave" has been a social issue for the past several decades, I feel that the opposite phenomenon, "leaving the workforce after maternity leave," will become a problem shortly.

―― 一体、今まで、私は、家族を犠牲にしてまで、会社の為に働いてきたんだろう?

"What have I been doing all this time, sacrificing my family for the company?"

と、ある日突然『我に返る』という感じでしょうか。

And then, one day, they suddenly 'come back to themselves'?

これは、我が国における、一つの『価値観の死』と言えるかもしれません。

This may be one "death of values" in our country.

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『家族の為に、会社(社会)で働いているんだ』が、「育児放棄の定番フレーズ」であることとは、以前から申し上げてきました。

I have already mentioned that "I work for the company (society) for the sake of my family" is a standard phrase for child abandonment.

https://wp.kobore.net/%e6%b1%9f%e7%ab%af%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e5%bf%98%e5%82%99%e9%8c%b2/post-11963/

「家族のために働く」とは、文字通り「家族のために働くこと」であって、「会社のために働くこと」ではありません。

Working for the family" literally means "working for the family," not "working for the company."

もちろん、誰が誰の為に働こうが、それは個人の勝手です。

Of course, it is up to the individual to decide who works for whom.

しかし、少なくとも『育児ができない』と思う人は、子どもを持つ人生を選ぶべきではありません。

But at least those who think 'I can't raise a child' should not choose a life of having children.

子どもを持つ人生を選んだ以上、「家族のために働く」のは当たり前です。

Since you have chosen a life of having children, it is natural to "work for the family."

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そういう意味で、出生率0.72の我が国の隣国の国民は、本当に正直で真面目な人たちだと思います。

In this sense, the citizens of our neighboring country, with a birth rate of 0.72, are genuinely severe and honest people.

もちろん、我が国の若い方たちも、同様です。

Of course, the same is true for the young people of our country.

『自分には、子どもを育てられない』と腹を括っているからこそ、この出生率の数値(日本は1.20)が出てきている訳です。

This birth rate figure (1.20 in Japan) comes from the fact that they are prepared to say, 'I cannot raise children.

# ちなみに国家が人口を維持できる最小値は、"2.08"(人)です。

# By the way, the minimum a nation can sustain a population is "2.08" (persons).

私は、「子どもとともに生きないことを決断した人間」の方が、「育児放棄を是として逃げ回る人間」よりも、ずっとマシだと思っています。

I believe that a "person who decides not to live with his/her child" is much better than a "person who runs around endorsing abandonment."

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『我が国の将来はどうなるんだ!』と叫ぶ人に対して、私はもう答えを出しています。

I have already given my answer to those who shout, 'What about the future of our country?

打つ手がないなら、我が国は、緩やかに死んでいけばよいのです。

If there is nothing to do, our country should die a slow and gradual death.

政府には、『いかに国民に苦痛を与えることなく、国家の死をソフトランディングさせるか』に注力してもらえれば、私はそれで良いと思っています。

If the government can focus on 'how to soft-land the death of the nation without causing pain to the people,' I would be OK with that.