先日、カルト宗教のテロ事件の容疑者2名が逮捕されました。
それは良いことなのですが、今回の逮捕で、「指名手配写真の無力さ」を実感した人は、少なくないと思います。
「歳をとる」ということは、内面だけでなく、外見も「別人に変化していく」ということなのでしょう。
とすると、我々は常に異なる沢山の人生を、無段階変速(というか、変化か)しながら生きている、とも言えます。
そういえば、上記2名の容疑者の現在の年齢と思われる似顔絵も出ていましたが、全然、似ていませんでしたね。
まあ、そんなことはよくて、問題は、「指名手配写真の無力さ」を、以下に脱却していくか、ということですね。
これを、残された血痕から取り出されたDNA、生活パターン、心理状態から、適切な老化後の姿をを推定する研究が期待されます。
画像処理だけでは駄目で、医学、行動心理学などとの連携が必要になるのでしょう。
それはさておき。
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昨年、実家に帰省した時に、私の大学時代のアルバムを娘達に見せていました。
「この、かっこいい人がパパ? 嘘だ! 絶対に嘘だよ」と、二人の娘が同時に叫んでいました。
『なんで、私が他人の写真を、自分のアルバムに張らねばならないのだ』
と主張しながら(なんで、私がそんな抗弁する必要があるのだ?)、二人の娘は、ようやく納得したようですが、
―― これ(写真の私を見て)が、
―― これ(私の方を見る)になるのか
と、凄く残念そうに、私を見る視線は痛々しかった。
『月日というのは、本当に残酷なものなんだね』
と二人の娘の目が言っていました。
「理系男子は、理屈っぽくて、色々知識をひけらかして、偉そうで、頭良さそうに振る舞うから嫌い」と文系女子が言います。
これは、概ね事実なのですが、一つだけ違うところがあります。
理系男子は、原則「頭が悪い」のです。
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何かお願いする時、理系男子でない者の多くは、状況「だけ」を説明する傾向があります。
(ここでは対立する概念として、便宜的に「文系女子」と称呼しますが、実際には現実には、理系男子を除く全ての人間のことです)
こんな感じ。
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「AさんがBをして、CさんがDをした結果、EさんがFという状況にになっている。ところが・・・・。しかし、その一方、Gさんに因れば、・・・ということになっているらしい」
と、ここで、話が唐突に終了。
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上記の文章だけで、文意を理解できる文系女子は、理系男子より、知能レベルが格段高いと断定して良いです。
私達、理系男子は、こういう、状況の説明だけの文章から文意を把握することはできない。
そういう風には「作られていない」からです。
理系男子は、一種の入出力装置、ブラックボックス、もっと簡単に言えば、パソコンと思って扱って貰うのが望ましいです。
こんな感じ。
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(1)お願いがあります。
(2)Gさんに、AさんとCさんとEさんの状況をインタビューして、現時点での状況を、私に教えて下さい。
(3)私が知っている事実は、以下の3つです。
(a)AさんがBをし、CさんがDをしたという話がある。
(b)これにより、EさんがFという状況になったという話がある。
(c)しかし、Gさんにの話からは、上記(a)(b)と矛盾が生じている。
(4)お願いしている理由は、AさんとCさんとEさんの状況が分からないと、次の打ち合わせの内容を決められないからです。
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上記のように「結論と依頼」を、一番最初に持ってくるという話し方は、効率もよく誤解も少ないというメリットがあります。
しかし、このような直接的なお願いは、我が国の文化に即していない、ということは、理解しています。
我が国は、直接的な「結論や依頼」を明言せずに、婉曲表現によって人間関係を緩やかに維持することを特徴とする文化を確立し、ここ1000年くらいうまくやってきました。
多分、これから先、1000年間も有効だと思います。
時間はかかるかもしれませんが、意図的に物事をはっきり言わないことによって、対立する観念を、武力行使なく纏めるというコミュニケーション手段は、世界に誇る素晴しいメソッドです。
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しかし、理系男子は、できるだけ多くの情報を取得して、短時間で結論を出すことを、日々訓練されています。
そして、理系男子が扱う物(コンピュータ、製造装置、建築物、配電・排水等の設備、その他)は、「命令」によって動かす必要があります。
コンピュータに、背景の説明や自分の気持ちを入力しても、なーんにも答えてくれません。コンピュータは、コマンドプロンプトで命令を待っているだけの単なる、アホな装置です。
理系男子への依頼方法は、コンピュータと同じで良いのです。
我々は、そのように取り扱われることに「慣れている」のではなく、そのように取り扱われないと「動けない」のです。
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ただ、理系男子として言われて頂くと、文系女子のメソッドも、「時と場所を選べ!」と言いたいことがあります。
電話がかかってきたとします。
◯家の前の角のところに、石がでっぱったところががあるじゃない。
◯あそこって、カーブする時、死角になりやすいんだよね。
◯普段から十分気をつけていたのよ。
◯でも、今日はたまたま対向車に気を取られていたの
◯・・・
もし目の前に、
『自動車に跳ね飛された子供が、血を流しながら道路に横たわっている』
と、想像しながら、血の気の引いていく思いをして、こんな話を聞かされている当事者から、言わせて貰えば、
「結論を先に言え!」と、怒鳴る理系男子は、多分悪くない。
環境問題、というのが良く理解できておりません。
「地球にやさしく」と言いますが、私は「地球にやさしくして貰った」の記憶がないので、どうも、このフレーズでは、モチベーションが働きにくいです。
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ところで、話は変わりますが、
故小松左京先生の「さよならジュピター」(○SF小説、×映画)の中で、宇宙開発に対して、批判的な彼女と、開発前線にいる主人公の会話が出てきます。
この本は「木星太陽化計画」という木星をぶっ壊して太陽にするという、太陽系秩序の破壊を前提とする計画の話から始まります。
このカップルの価値観は当然に対立し、
○「あるべき宇宙をあるべきままに維持すべき」という彼女に対して、
○宇宙という虚無の中にあっては「秩序そのものが価値」であり、それを資源を活用することが、「知性」が宇宙に在る理由である、と主人公は言います。
エントローピーの法則に因れば、どんな秩序であれ、いずれは崩壊します。
ここで言う「秩序」というのは、体育の授業でいう「前にならえ!」のことではなくて、ピラミッドのような構造物のようなものをイメージして下さい。
エントロピーの法則における、「エントロピーが増大する」とは、ミラミッドは、これまで4000年かけてボロボロになっており、そして、何れは砂漠の中に消えてなくなる運命にある、ということを言います。
つまり、間違っても砂漠の中から、ほっとけばピラミッドが自然に再生されることはないということです。
宇宙も長い時間の果てには、全ての物質が原子のレベルで崩壊して、全く何も動かなくなる「熱量死」の状態に至る、と考えられています。
「さよならジュピター」の主人公は、そのことに対して、
『宇宙に手を出しても、出さなくても、どっちも同じ結果になるなら、手を出して楽しんだ方がいいじゃん』と言っている訳です。
(あの世で、小松左京先生に、殴られそうなフレーズですが)
これはなかなか難しい哲学的命題です(が、今日はこれ以上は止めておきます)。
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「地球にやさしくする」という行為は別に構わないと思います。しかし、それによるリターンは何でしょうか。
現在、私が、もっとも理解しやすい有力な理由は、
『自然が持つ自己修復性を超えて自然環境にダメージを与えると、自然からの恩恵が得られなくなってしまうから』
という理由づけです。
つまり、「卵を食べ続けるために、卵を生むニワトリはギリギリ生かしておく」という、「生かさず、殺さず」で、「私達は美味しく卵をいただこう」という、人間様中心の唯我独尊の思想です。
# 「全ての生命は等しく平等である」の理論は、当初から却下しています。
しかし、長期的ビジョンでは、地球という系もいずれは崩壊する訳でして、まあ、この「環境問題の対策」というのは、地球リソースの延命処理、となりますが。
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「環境問題」の解釈は、これで足りると思いますが、ちょっと違和感があります。
それは、人類がこれまで、リソース負担の押し付け合い(水争いとか、漁業水域問題とか)をしてきた過去の歴史と、一致しないのです。
「どこからの誰かが、なんとかしてくれる」という、無責任な体質こそが、人類の一般的属性でした。
ところが、「環境問題」という観念においては責任回避を回避する方向に動いている(様に見える)
この今の状況は、私には少々気持ち悪い、というか正直にいうと「怖い」。
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―― という話を、後輩にしたところ、以下のように教えて貰いました。
江端さんは、「環境問題」を「系(システム)」や「効果」や「利害関係」から把握するから、そういう違和感が発生するのです。
「環境問題」とは、つまるところ「宗教」です。
現段階において、世界でもっとも信者の多く、分かりやすく簡単で、共有しやすく、無条件に「善」であると受けいれられる、「信仰」であると考えて下さい。
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「環境問題 = 宗教」
なるほど、これは分かりやすい。
この話を聞いて、私はようやく「環境問題」が理解できたように思えました。
私、ドラマが嫌いで、アニメを見るのが好きです。
嫁さんは、この真逆です。
従って、夫婦でテレビを見るというのは、かなりのレアケースです。
「なんでかな」と考えてみたのですが、アニメというのは、結構いい技術研究ネタが仕込まれているからかもしれない、と考えてみました。
ロボットとか、戦艦とかでは、それなりの機械工学の知識が含まれていないと、理系男子でなくとも、薄っぺらく感じてしまいます。
時空間(タイムトラベル)ものにいたっては、相対論やら量子論までもを配慮したシナリオが記載されているし、遺伝子関係についても相当の専門分野の話が入ってきています。
『見ていると、なんか賢くなった気がする(正確には、分かったような気がする)』という魔力が、(ある一部の)アニメにはあるのです。
特に、私のように、技術ネタでコラムを書く人間にとっては、ネタ元としては、結構、舐めてかかれない程の情報が含まれているんですよ。
・・・というのは、多分建前で、まあ、好きなんですよ、私は。特にSFのアニメは。
ただ、私の嗜好が強すぎて、同時に2つ以上のアニメを継続して見る、ということが滅多にありません。
もっと技術的に難しくて、専門的で、基本的には筋が通っていて、技術者が主人公である。そういうアニメは、なかなかないものでしょうか。
# イメージとしては「さよならジュピター」だけど、映画化だけでなく、アニ化メまで失敗されたら、私は立ち直れない。
さて、それはさておき。
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SF以外のアニメの設定では、「不良」「部活」そして「生徒会役員」を扱うものが多いようです。
部活も、かつてはスポーツ部と決まっていたものです。
しかし、最近では、文系も多くなっていますね。漫研、文芸部、ブラスバンドなどはあったのですが、軽音、古典部、かるた部とか、(すみません。ちゃんと見ていません)
―― すごいダイバーシティだ、と思います。
私の世代から見ると、このダイバーシティ(またはバラエティ)は、とてもうらやましい。
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ダイバーシティと言えば、今や「武装する図書館のアニメ」まであるくらい(すみません。見ていません)なのですから、どうでしょう、いっそうのこと、
○政権党(内閣を含む)と野党を取り扱うアニメ
○島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ
○列強によって分断された国家を取り扱うアニメ
など、誰か企画してみませんか。
なんか、ツイッターを追ってみると、どうもこの手の話題になると、表層的な感情論で、簡単にヒートアップする内容が多くて、正直うんざりしています。
なんの為に、私達は義務教育や受験で、世界史や日本史の勉強をさせられてきたのやら、と溜息がでてきます。
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「歴史」という教科の存在意義は
(1)過去において、この手の隣国間のトラブルなんぞ腐る程あり、
(2)概ね時間の経過(まあ、3ヶ月も必要ない)で軽く忘れ去られ、
(3)忘れ去られる前に、一部の馬鹿が火をつけて、時々回復不能な事態(戦争等)に発展させてしまったこともあり、
加えて、
(4)外交上「白黒はっきりさせない」という戦略が、過去において相当有効に働いてきた
という史実(歴史的事実)を学ぶものだと、私は思っています。
「いい国(1192)作れず、鎌倉幕府」などという、下らない暗記をすることが、歴史の勉強の目的ではないと思っています。
『今回の事件は、過去のあの事件に似ているなぁ』と冷静に把握し、可能な限りの背景事実を収集した上で、筋の通った論理的な主張をすることは、正しいかどうかはさておき
―― かっこいい、とは思う。
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ジオン公国と地球連邦政府(すみません。ガンダムのストーリー全く知りません)の歴史を知る、その気力の1/10で十分です。
隣国と自国の歴史を勉強してみることは、結構良い方法であるし、現実に必要であると思うのです。
でも、多分そんな、楽しくもないこと、誰もやりゃしませんよ。
ならば、いっそ、アニメという手段で、国際政治な動きの裏側を、軽いノリと笑いで表現して、隣国を理解するというのは、良い方法だと思うのですよ。
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いや、難しくないですよ。
我が国の首相や内閣のメンバ、隣国の大統領や中央政治局常務委員を、全員、
「美少女アニメキャラクター」
として制作すれば足ります(多分)。
半分くらいは、真面目な提案です。
皆さんが「安全」と考えているものと、制御システムで定義されている「安全」は、随分違います(が、今日はこの話はしません)。
今、「原子力安全工学」という資料を読んでいるのですが、なかなか怖い記載があったので、一部ご紹介など。
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■スリーマイルアイランド原発事故においては、
設計時には想定されていなかった運転員のエラーにより事故が発生し、中央制御室は、100を越える警報が一斉に点灯して、何が起きたのか判断できなくなる状態になったそうです。
これを、「クリスマスツリー(警報雪崩)」と呼ぶのだそうです。
映画では良く登場するシーンですが、できれば、こういう「微笑ましい」とは対局にある光景を見ることなく、一生終えたいものです。
ともあれ、多重安全設計で「がんじがらめ」にされている巨大システムが、ささいな運転員の操作ミスで、驚くほど呆気なく崩壊していくという、最良の実施例を提供することになりました。
比して、
■福島原発事故においては、
全電源喪失となり、いわゆる
「逆クリスマスツリー(警報無言)」(命名 江端)
となった訳です。
今まで、ピカピカ点滅していた装置、監視用モニタ、そして原発の健全性を証明する計器が、一瞬で全部沈黙。
叩こうが蹴ろうがピクとも動かない。
こっちも、映画では良く登場するシーンです。
映画の場合は、スリル感を盛り上げるために、徐々にシステムが壊れていくシナリオになりますが、こちらは、映画よりももっと壊滅的。
これでもか、これでもか、というくらいに、うんざりする程、多重に準備されたバックアップ電源が、津波による水没で一気に(多分1分内くらいで)全滅。
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制御システムに関わる者として、また、既婚者として、「クリスマスツリー」も「逆クリスマスツリー」もいりません。
何も起こらない、普通の日常が一番いいです。