「私、誤解されやすいのですけど、これでも家庭的な女性なんです」
などと言っていた女性は、私の回りには存在しませんでした。
というか、そもそも、多くの女性がいる環境を過したことがないので、当然と言えば当然なのですが。
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「家庭的な女性」の定義は何なのでしょうか。
そもそも、「家庭的な女性」における「家庭的」とは、どういう状態を言うのでしょう。
そう思って、調べてみたんですが、全くそのような記述は見あたりませんでした。
事例はいくつかあったのですが、阿呆らしくてお話になりません。
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(1)料理だけでなく、お菓子も作れる女性
(2)ボタン付けなど、裁縫をさらっとこなす女性
(3)デスク周りが、きちんと整理整頓されている女性
(4)掃除や庭いじりなど、手際よくできる女性
(5)薄いピンクのマニキュアが塗ってあるくらいのシンプルネイルの女性
(6)子どもに対して、やさしく接することができる女性
(7)朝早くても、ハツラツとしている女性
(8)飲み会などで、会計役をしっかり担える女性
(9)誰の前でも常ににこやかで、言葉遣いが丁寧な女性
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これらの能力を全て具備する女性が、「家庭的な女性」の実施例になるということなのでしょうか。
これは、実現不可能な女性であるとして、特許出願であれば、「実施可能要件違反」(法36条4項1号)を理由に、拒絶査定されるような「実施不可能な女性」ですよ。
このような女性を求めている男性が、本当に存在するとすれば、これは、
『矯正不可能な馬鹿』
と断定して良さそうです。
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矯正不可能な馬鹿な男は、まあ、ほっとけば良いです。存在しない女性を求めて、いつまでも彷徨(さまよ)っていれば良い。
しかし、このような「実施不可能な女性」を、本気で目標としてしまう女性がいたら、これは悲劇です。だって「実施不可能」なんですから。
「努力すれば、なんだってできるはず」という言葉を吐く阿呆が、まだまだ世の中には沢山いるようです。
私は、
「ふーん、そうですか。人間は、100メートルを1秒で疾走できるようになるんですね、努力ごときで」
と応えて、こういう馬鹿を叩き潰すことにしています。腹が立つからです。
ま、ともあれ、誰であれ、何を目指しても良いとは思いますが、「エネルギー法則を無視した永久機関」を作るような努力はすべきではないと思います。
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さて冒頭に戻りますが、
「私、誤解されやすいのですけど・・・」
てなことを言っているあなたは、多分、あなた自身を誤解している。
それは、「誤解」ではなく「正解」。
事実とは、一定の客観性を持って、外部から観察された結果であり、主観に基づいて内部から観察された結果は「思い込み」と言います。
あなたが自分のことをどう思っているかは、実際問題どーでも良いことなのです。
あなた以外の人が、あなたのことを「家庭的ではない」と判断すれば、あなたがどのように考えようとも、「あなたが家庭的ではない」ことは確定された事実です。
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ですから、
「私、正解されやすいですけど、家庭的であると誤解されたいんですよ」
というフレーズが、多分正解。
本を読んでいる人かどうかを見破る、簡単な方法があります。
「○○○○作品全集」 (○○○○は、有名な文豪)
「△△社 総合百科事典」
てなものが、ガラスの扉のついた本箱に飾ってあれば、確実にダウト。
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本当に本を読む人は、そんなもの購入しません。
そもそも文豪が書いた本の全てが、面白いはずがありません。
「文豪の著書の9割はクズ」というのが私の持論で、そのような本は、概ねゴミ箱行きです。
占拠される空間(本棚)がもったいないし、必要なら図書館で「待たずに」借りられるし。
また、インターネットの検索エンジンがあるこの時代に、百科事典なんぞクソ重い本を飾る意味もありませんし。
娘が持っている電子辞書ですら、辞書15冊分がすでに入っています。
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昔は、書籍を本棚に飾ることで、自分を知的に見せることができた時代があったのかもしれません。
もし、自分を知的に見せることができたなら、それは「全集」に投資する価値はあったのでしょう。
が、今、それやったら、あきまへんですよ。おじ(い)さん。
自分の「無知」を証明することになるだけでなく、「ITリテラシー」ゼロを宣言するようなものです。
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私が大学に入学した時に、パソコン(ノートPCじゃなくて、タワーPC)サイズの、英和・和英辞書を贈ってきた親戚がいました。
# いや、本当にあるんです。そういう辞書。
私がその時思ったことは、
―― そっかー、この人、ただの一度も真面目に英語の勉強したことないんだーー
ということでした。
こんな辞書を使う奴が、一体、世界のどこにいるか。
これは、辞書でなく装飾用家具の一部です。しかも、虚構の自分を飾る為の下品なツール。
口では御礼を言いながら、私は頭の中で、そのタワーPC・・じゃない、クソ重い英語辞書をどこに捨てようかと思いを巡らせていました。
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さて、我が家の実家には、こういう「全集」が、何シリーズかあります。
40年の時を経て、初めて開帳される本。旧字体で読みにくいったりゃない。
帰省する度に、私が風呂の中で読んでいますが、前回の帰省では、森鴎外と芥川を、風呂の中に落しました。
わざと落した訳ではありませんが、少し、いい気味・・もとい、いい気分でした。
誰も私を「キャバクラ」へも「メイド喫茶」へも連れていってくれません。
「『江端が怒り出す』と思うから」という理由なのだそうです(以前も書きましたが)。
私にはよく分かりませんが。
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「キャバクラ」とは何かを調べてみました。
◯「キャバクラ」は、日本人特有の和製英語で、「キャバレー」と「クラブ」の合成用語
◯歌や踊りのショーを見ながら、お気に入りの女性(ホステスさん)と会話やダンスを楽しむことが発祥で、クラブほどは高くないが、気軽に若い女の子と会話が出来るという、接待サービスの一態様。
◯料金の単位は「1人・時間」
次に料金の相場を調べてみました。
◯基本的に60分5千円で、延長が可能(自動延長もあり)。但し、飲食料金を含まない。楽しく酔っ払って気付くと4時間経っていて、伝票を見ると「3万2000円」ということもある。
◯「事後一斉清算」と「前払い」の2種類もある。当然、店側から見えれば前者が望ましい。
◯「7時~8時4000円/8時~9時5000円/9時以降6000円」くらい。
◯実施例
午後9時から2時間飲んだ場合
基本料金:6000円として2時間で1万2000円
指名料:2000円として2時間で4000円
女の子へのおごり:1000円の飲料を2杯 2000円
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総計 1万8000円
ここにTAXが加わって、ざっくり 2万円
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インモラルな行為もなく、ただ会話をするだけで2万円。
他のサラリーマンは、私とは別口の給料が支払われているのだろうか。
そして、そこでは、一体どんな凄い話術が展開されているのか。
NHKでやっている「日本の話芸」に匹敵するクオリティなのだろうか。
私が、『制御システムのリアルタイム性能』についての話題を振っても、ついてきてくれるんだろうか。
もしかしたら、私が見落しているサブシステムの性能についても、指摘してくれるのかもしれない。
とすれば、「2万円」は、決して高くない。
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なんで、私が、キャバクラについて調べているかというと、先日の打ち合わせで、
「次回の定例報告の資料作成については、作成者とて江端を『指名』する」という偉い方の指示があったことに起因します。
「指名された私には、一体いくらの「価値」があるんだろう」と考えたのですが、よく分かりません。
そこで、ケーススタディでアプローチしてみることにしました。
そもそも「指名」という「価値」が、一般的に使われている世界はどこだ。
そういえば、「キャバクラ」と称呼される遊興システムに、「ユウコさーん。1番テーブル御指名でーす」というセリフがあったような気がする。
とりあえず、その世界から調べれば、何か分かるかもしれない。
―― と、まあ、そういう経緯に因る訳です。
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でも、キャバクラの指名料って、1時間2000円程度なんですね。
これなら、多分私の方が高い。
# 根拠はないけど、そうとでも思わないと、仕事なんぞやっていられない。
「子供にパソコンを教えるのは良いことか」という議論が出てくるのが、私にはよく分かりません、
私は「良いことに決まっている」と思っています。
理由は便利で、自分の表現したいものを、現実に簡単に表現する「便利な機械」であるからです。
もし、悪いことであるとすれば、「電卓」も、「ソロバン」も、等しく否定されなければならないでしょうし、さらに言えば「シャープペン」や「鉛筆」までも否定されなければならないはずです。
これを極論であるという人はいると思いますが、それならそれで、合理的な反論を伺いたいと思います。
まあ、あるとすれば、猥褻サイトや、裏サイトというアクセスによる、子供への悪影響が気になる人もいるでしょう。
しかし、そのようなアクセスができなくするプロバイダもありますし、最悪LANケーブルを、ひっこ抜いてしまえば良いでしょう。
# 我が家の場合は、家族全員に「常に完璧な通信ログを記録している」と宣言しています。
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さて、パソコンやゲーム機を忌避(きひ)する人達の理屈は、常に同じです。
子供時代に、パソコンやゲームをやっていると、人間として「変になる」とか、外で走り回ることや、自然の中で泥だらけになることをしなければ、人間として「何かが歪むことになる」という、―― 奇妙な観念です。
では、反論します。
私はゲーム世代といわれる人間の一人です。
もっとも、私はゲームが苦手だったので、ゲームでは遊びませんでしたが、それほど屋外でも遊ばなかったし、泥遊びもしなかった。
酷暑の夏や、極寒の冬に、外を走り回るなどという、(子供心にも馬鹿げたと思う)行為もしなかった。
野原を駆け回ることもしなければ、虫を手で掴むこともしなかった。
で、その結果として、私は、一体何を失い、何に困っているのでしょうか。
別段、何も失っておらず、困っていることもありません。
子供時代に、外で走り回らなくても、泥だらけにならなくても、結局私たちは、大人になれば、経済や市場が要求する場所に配置され、その場所に応じた労働を提供することになるだけです。
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パソコンごときで、子供の人格形成が影響されると思っている人は、多分、パソコンときちんと向きあったことがないのでは、と思っています。
子供達にとって、パソコンの操作など、エレベータのボタンを押す程度のものです。
その程度のものが、人格に影響を与えるはずがありません。
パソコンごときに恐怖している大人達は、子供にその誤った脅迫観念を押しつけるのではなく、隅の方で黙って蹲(うずく)まっているのが、妥当な対応です。
『あの子達は、パソコンを操作しているのではなく、電卓を叩いているだけなのだ』、と自分自身に言い聞かせながら。
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ただ、この理屈は、少々、公平に欠けるかな、とは感じています。
私は、その気になれば、いつでも、
■子供達のパソコンの内容を破壊し、
■通信障害を発生させ、
■スマホの通話を妨害する
ことができます。
要するに「エロ本を取り上げる保護者」のITバージョンです。
このような「エロ本を力づくで取り上げる」手段を持たない保護者のイライラは、心情として理解できます。
とすると、我々IT研究者の次の市場は、
○保護者向けの、子供の通信内容の盗聴手段
○保護者による、子供の電話の妨害手段
といったところでしょうか。
うむ。これは需要がありそうだ。
早速、ビジネスモデルを組み立てて、市場規模を調べてみることにします。