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2010-12-10 JMI(心の定期健康診断)

私の昔の後僚に、

「宇宙から声が聞こえる」 → はい

と必ず応えることを信念としている者がいました。

-----

JMIの結果に腹を立てている各位皆さん。

どうでしょう。

他の質問はさておき、

================================

「宇宙から声が聞こえる」 → はい

================================

とするという、一つのレジスタンスをしてみませんか。

-----

実際に、私はGPS衛星からの信号、聞こえます。


2012-12-10 私の著作物だけは非難してはなりません

私は、自分の書いたコラムに、「悪い評価」を書いてくる人が嫌いです。

・・・って、江端。何度、言っているんだ。いい加減しつこいぞ。

という声が聞こえてきそうですが。

えっと、今日はその話がしたいのではなくて、いわゆる「低評価」に対する、耐性、受容体の話です。

-----

Youtubeのコメントなどを見ていて、気がつくことが、あるコンテンツの「低評価」に対する、激しい憎悪です。

「なぜ、低評価をつけるのか理解できない」

という意見が、よく見られますし、

特に著作者自身の場合は、

「自分の動画に毎回低評価が付く件」

「毎回、低評価する人はだれか探しています」

「低評価を付けている人を特定出来るのか」

とか、犯人探しの様相まで呈しています。

私は「大人げない」とは言いませんよ。私も腹を立てている「当事者の著作者」なのですから。

ただ、私の場合はTwitterなどのコメントが多いので、逆に「何がどう悪かったのか教えて下さい」と聞けますし、実際に聞いています。

良いコメントと改善提案を貰える場合もあれば、「なんだ?その理由」と首をかしげる場合もありますし、逃げてしまう人もいます。

まあ、それはさておき、「低評価」の話に戻します。

-----

著作者自身でない場合では、特に「アニメソング」「ドラマ」なんかで、この「低評価」への非難コメントが多いです。

でも、これは仕方ないです。

アニメソングやドラマ主題歌は、アニメ等の内容(登場人物、背景、ストーリー)と一体化して聴取されるものだからです。

「この歌絶対にいいから!」と薦められた場合などは、想像できます。

→ アニメの内容を全然知らない人が、その歌を聞く

→ なにがどういいのか良く分からない。特に歌詞の内容が理解できない

→ 滅茶苦茶な数の「高評価」ボタンが押されている

→ なんか騙されたみたいだ。

→ えい!低評価ボタンをポチッと

と、こんな感じです。

もし、信じられないのであれば、20年~30年くらい前に流行ったアニメやドラマの主題歌を聞いてみて下さい。

あなただって、絶対に「この歌の、どこが、どう、心の琴線に触れる訳?」と思えるはずです。

もちろん、単なる臍(へそ)曲がりで、低評価ボタンを押す人もいると思うのですが、上記のような正当な理由(?)で押されている場合がある(そして、そっちの方が多い)と私は思っています。

-----

私が心配しているのは、耐性の弱さや、受容体の小ささです。

何かのアクションを起こせば、必ずその逆方向のベクトルが発生する ―― これは、自然法則です。

「高評価」があれば、かならず「低評価」が存在する。

こういうことを理解できずに、社会人になること自体には全然問題はありませんが、そのようことを理解できないと、逆ベクトルが存在していることだけで「苦しむ」ことになることです。

勿論、このような心ない(ように見える)「低評価」に慣れる必要はありません。

しかし、その背景や理屈を推測して、耐性を付けて、受容体を大きくすることは、何かを創作する人には、特に必要な能力だろうと思っています。

現実に、私は、これまで、そのような「低評価」に相当する仕打ちで、潰れた人を多く見ています。とても残念なことだと思います。

-----

で、一人の創作者として、私が取っている手段は、明快です。

■ 評価が見える環境を作らない

私の場合、ブログにコメント欄を付けていません。これでバッチリです。非難の言葉は聞こえてこないからです(賞賛の言葉も聞こえてこないですが)。

■ Twitterの評価は見ない

特に批判を受けそうなコラムを書いた場合には、見ないようにします。カウントだけ見ていれば良いのです。本当にまずいことなら、別のルート(編集部経由とかで)でも教えてくれるでしょうから。

■ 相手をトコトン調べる

大抵の場合、「悪い評価」を書いてくる人って、評価されるものを創作していない人が多いのですよ。Twitterのコメント履歴を見ても、非難や転送ばかりで、「何も生み出していない」。

はっきり言えば、その場の気分で好きなことを言うだけの、軽薄で浅学な人が多いように思えます(経験的には、学生が多いようです)。

■ 「絶対許せない」と思ったらトコトン闘う

公開の場(ネットでは埒があがらんから、直接会う)に引きずり出して、徹底的に議論するのです。これは負荷が多きて面倒です。

しかし、この提案をすると、大抵の人は黙ってしまいますが。

-----

To:創作に係わる全ての皆さん

「低評価」は、万有引力のような自然法則です。あまり気にしないで下さい。

To:創作物を評価する人

当然あなたがどのような評価をするかは、あなたの自由です。

但し、私の著作物だけは、非難してはなりません。


2013-12-10 「あたしって、ほんとバカ」というフレーズが、娘の逆鱗に触れました。

連載中のコラムの中に、

In my serialized column, there is a phase that,

「江端智一は大バカ者でした。」

"Tomoichi Ebata was a conceited jerk"

という記載があります。

実はこれ、初版リリース直前では違うフレーズで記載されていました。

To tell you the truth, I wrote a different phase in the draft edition.

「あたしって、ほんとバカ(美樹さやか)」

"I was so stupid (by Sayaka Miki)"

-----

この記載が、当時中学2年生の娘の逆鱗に触れました。

I incurred the wrath of my daughter, who was the second grade of junior high.

―― 「まどか☆マギカ」の著作を著しく毀損する

She thought that this phase must insult the spirit of "Madoka Magica".

ということらしく、

『直ぐに書きなおして!』と、結構な剣幕で迫られ、私が応じなければ、「もうイラストは描かない」という態度すら滲ませていました。

She shouted "write it up immediately”, threatening not to provide any illustration more.

-----

私は、滅多なことでは自分の著作の内容を変更しないのですが、この時ばかりは、権力に屈せざるを得ませんでした。

Though I always stick to my first edition and seldom change the contents of my works, I couldn't help obey my daughter's command at that time.


2014-12-10 こうして、我が国は「英語をしゃべらせないシステム」として完成する訳です。

今回のノーベル賞を受賞された3人の方の英語のプレゼンテーションを聞きました。

I heard the presentations that the three persons who were awarded Novel prize.

大変素晴しい内容のプレゼンだったと思います。

I thought that these were wonderful and excellent presentation.

----

私たちが普段使う英語ととても似ているなぁ、と思いました。

I thought that the presentations were very similar to the English we has used in general.

少なくとも私たちエンジニアは、日本の英語教師が病的に気にするLとRの発音なんぞ意識もしません。イントネーションだって歯牙にもかけません。

As for at least us as the engineers, we are not conscious of pronunciation anything of the Ls and Rs which a Japanese English teacher minds pathologically. I do not mind even intonation.

文法的に変なフレーズでも会話し続けますし(しないと仕事にならない)、分からなければ、何度でも聞き返します。

We keep English conversations even if a strange phrase happens (If not, we cannot finish our tasks), we speak same phrases again and again, if we cannot understand the questions.

大切なのはコンテンツであり、英語を使うこと自体であり、コミュニケーションするという意思です。

I think that the most important thing is to use English itself, to have an intention for English communication.

----

と、こんなに、さんざん言ってきているのに、まだ分からん人がいるようです。

I said the above again, again and again, but someone don't want to understand it.

"Japanese English"という発想というコラムの内容で、「この程度の(江端の)英語では仕事にならない」とコメントしている人がいますが、

According to my column "a concept of Japanese English", some persons insist on saying "he cannot make any job with his English"

―― では、一体、私は、海外で何をしてきたんだろう?

"So, what were I going to do abroad?"

―― あれは、仕事ではなかったのか

"Wasn't that work"

私が、こんなに「大丈夫だ」といっても、信じないのは何故なのだろう。

Why do they want to believe me, even I keep saying "no problem"?

そんなに信じたくない、何かがあるのだろうか。

I doubt whether they have some reasons not to believe me.

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コミュニケーションが、連続系のフィードバックシステムであるということを理解していない人が多すぎるように思います。

I think that number of people cannot understand that communication is a kind of continuous feedback system.

YesとNoを逆方向に間違えたって、定冠詞を使わなくたって、会話を続けていくことで、誤解は消滅方向に収斂していくのです。

If we misuse an opposite meaning "Yes/No", and we skip to use definite articles, any misunderstanding becomes to coverage with flameout.

「一発勝負の100%のフレーズの理解が必要」という思い込みが、私たちを英語から遠ざけます。

A belief that a perfect understanding of the phrase by just one time, keeps us away from English.

そして、その観念を、一発勝負の100%のフレーズでしか理解できない、日本の英語テストというシステム(入試英語、TOEIC)が、強化します。

In addition to this, the belief is strengthened by the system of entrance examination of Japan, and TOEIC, whose styles are "just one time" way.

こうして、我が国は「英語をしゃべらせないシステム」として完成する訳です。

Thus, our country becomes completed as "the system which does not let us speak English".


2015-12-10 『え、えへ。俺・・・全然酔ってないよぉぉ~』

飲み会などの後の定番セリフ

The standard serif after drinking party,

『え、えへ。俺・・・全然酔ってないよぉぉ~』

"Well, Don't worry, Leave me alone. I am not drunken at all"

というセリフも、私も時々使ってみるのですが、

When I often use the serif, my junior coworkers complains.

「江端さん。その『酔っている演技』止めてください」

"Ebata-san, Please stop "the performance of drunken""

と、本人に面と向っていう後輩が、(ありがたいことに)私には沢山います。

I have a lot of guys around me, thought I don't need them(I thank them).

-----

酔っているのは本当なのですが、そのセリフを喋っている私が「ウケ」を狙っているように見えてしまうようです。

At that time, it is really that I am drunken, however they look at me as a cheap ham performer.

実際、私、アルコールの鯨飲をしても、完全に正気を失うとか、酒乱になるとか、記憶がなくなるとか言うことは、―― 私の記憶している限りは ―― ない、ですね。

In fact, even if I am in drunken deeply, I seldom loose my mind and memory and being hair ball in my recollection.

-----

私が本当に酔った時は、そんな演技をしている余裕はありません。

When I am really heavy drinking, I have no room to perform like the above.

ほぼ確実に、

Actually,

『公衆トイレのコンパートメントの中で昏睡』

I am senseless sleeping in the restroom compartment

していますからね。

-----

今年も、また師走(12月)がやってきました。

The December has come in this year too.

頼みもしないのに。

I don't ask anyone to come the month.

数年に1度くらいなら、師走(12月)のない年があっても良いと思うのですよ、

The year without December in several years is acceptable for me.

かなり本気で。

I am really serious.


2016-12-10 「想像しただけで、吐きそうです」

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

同僚:「江端さん。ブログというのはですね、

Colleague(C):"Ebata-san, in the first place, "blog" is

―― 『今日、ランチで、パスタを食べました。すっごく美味しかった。また、来たいです(ハート)』というメッセージに、パスタの写真を載せて、

- a message of "I had pasta today fro lunch. It was very delicious. I want to come again (heart)" with the pasta photo.

―― それに対して、『美味しそう!』『私も食べたいな』というメッセージを付ける、

- "It looks like good", "I want to have it too" as a response message.

という、そういう、様式美で生成されるものなのですよ」

Anyway, it is made by something like "beauty of style" "

江端:「そうかぁ?」

Ebata:"I don't think so"

同僚:「そもそもですね、江端さんが毎日書いているものは、『ブログ』じゃないです」

C:"Above all, what Ebata-san continue to write everyday" is not "blog".

江端:「はあ?」

Ebata:"What?"

同僚:「私なんて、江端さんのページを見る前に、深く深呼吸して、『よし! じゃあ読むぞ!』と、覚悟を決めてから読み出しているくらいです」

C:"In my case, before reading Ebata-san's HP, I breath deeply, and I make up my mind with saying "Let's read it!"

江端:「はあ」

Ebata:"So what ?"

同僚:「読者に負担を強いるブログなんて、ダメダメでしょうが」

C:"How do you think that the blog which burdens the reader?"

江端:「じゃあ、私も、

Ebata:"Well then, may I try to write

―― 『今日、社食で、そばを食べました。全然美味しくなかったです。でも、ダイエット、ダイエット(笑)』

"Today, I ate Soba at the company's cafeteria. It was not good, however, I have to do diet and diet" ?

とか書けばいいのか?」

同僚:「想像しただけで、吐きそうです」

C: "I just imagined, and I'm going to spit it"

江端:「どうしろというんだ」

Ebata:"What do you want me to do?"

(続く)

(To be continued)


2017-12-10 「お客様をバカするような言動をしてはいけない」

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

次女:「『やる』方が早いよ」

SD: "Do it, before think it"

Well, I have tried "Hatsune Miku" and "Yukari Yuzuki" actually, so I could know various things. So I think that what the second daughter says is correct.

But someway, I have not been good at "game" since old day.

-----

私、学生のころ(1990年代)、パソコンショップで働いていたことがあります。

I used to work at a PC-shop when I was a college student.

ある日のこと、MSXパソコンの前で、ゲーム画面を見ていたオバさんが、私に尋ねてきました。

One day, a senior woman who stood in the front of MSX PC, asked me

おばさん:「これを使えば、英語を自動的に日本語にしてくれるの?」

Woman:"This PC can translate English to Japanese automatically can't it?"

と言われて、ビックリして、思わず「そんなこと、できる訳ないじゃないですか!!」と応えてしまいました。

I was surprised to hear that, and I shouted "Are you kidding!" accidently.

そして、その後、店長に

After that, the store manager got up me for my service,

「お客様をバカするような言動をしてはいけない」

"You should not make a fool of our guest"

と叱責されました。

------

―― ああ、今の私は、「あのオバさん」だ

"I am her, at that time.

と、しみじみと、実感しています。

with feeling keenly.


2018-12-10 『俺がやらなきゃ、誰かがやる』―― です。

一昨年前、町内会の夏祭り(盆踊り大会)の司会運営をやりました。

At year before last, I worked as a MC for a neighborhood summer festival.

この時、楽曲を流す装置の操作方法の習得に随分苦労しました。

At that time, I had trouble in operating audio goods.

「ダブルカセットレコーダ」というものを操作しなければならなかったからです。

Because I had to operate "cassette tape recorder".

This operation was, for example,

一方のレコーダで再生している最中に、もう一方のレコーダで、巻き戻しをして、イジェクトをして、次の曲のカセットをセットしておく ――

I had to rewind and eject a cassette in a slot with playing music by another cassette in another slot.

恐しく面倒で、しかも、曲出しに失敗する確率の高い操作です。

terrible messy and likely to fail to start the music.

そして何より、今後の人生で、絶対に使うことはないであろうアナログ装置のオペレーションを覚えることは、なんとも虚しく、正直苦痛ですらありました。

Moreover, it was in vain and painful to practice the analog equipment operation, that I will use it after the event.

-----

実は、この問題の対応は、簡単です。

To tell you the truth, the solution against the problem is very easy.

カセットテープレコーダの楽曲を、デジタル化しておけば良いだけのことです。

I will digitalize all the music in the cassettes.

その後、その音楽ファイルを、パソコンかスマホに取り込んでおけば、上記のようなアナログオペレーションは不要となります。

After that, I will store the music files in a PC or smartphone, the above analog operations won't be needed at all.

ディスプレイから、メニューを選択するだけで足ります。

I can choose the music title from a GUI of the display.

また、複数のデジタル記憶媒体にバックアップを取っておくことで、デバイスの劣化問題も回避できます。

Making the backup files in several digital storages, we don't have to worry about degradation of the cassettes.

―― てなことを考えていたのですが、今年は、司会運営の担当ではなくなったので、私は、この件から手を引きました。

Even I thought the above actions, however, I stood aside from them. Because I was dismissed from the work this year.

私、来年の4月で、晴れて、町内会役員を任期間満了となるので、これ以上、この問題に関わる必要がないのです。

In addition, at the next April, I will retire from the board, so I don't have to think about

-----

ただ、このアナログーデジタル移行問題で、

However, due to this analog digital shift problem, I think

―― きっと、近い未来に、誰かが割を喰うんだろうなぁ

"Surely, in the near future, someone will take a break"

とは思っています。

-----

しかし、まあ、このような地域の問題は、姿形を変えながら、常に存在してきたはずです。

Well, however, the problems of such areas should have always existed, changing their appearance.

ですから、きっと誰かが何とかするでしょう。

So, certainly someone will do something.

『俺がやらなきゃ、誰かがやる』―― です。

"If I do not do it, someone will do it."


2019-12-10 「学校単位、会社単位、官庁単位、なんでも良いのですが、始業開始時刻を、年単位で1時間づつタイムシフトする」

私が、約束の時間がない限り、基本的には「座る」ことを優先して電車に乗ります。

For riding on trains, I prefer to "have a seat" basically, even if there is no appointment,

例えば、帰宅時には、私は、特急でも、急行でもなく、各駅停車に乗ります。

For example, when I get home, I get on a regular train, not a limited express or express train.

今のところ『立っているのが辛い』という段階には、まだ至っておません。

So far, I haven't reached the age of "It's hard to keep standing up."

座れると、ノートパソコンで、これ(日記)を書けるからです。

If I can sit down, I can write this (diary) on your laptop.

-----

まあ、座れなくても、車内が空いていれば、それで良いです。

Well, even if I cannot t sit down, it's fine as long as the car is free.

混んでいる電車は苦手です。

I'm not good at crowded trains.

満員の電車に乗るくらいであれば、20分程度、到着時間が遅れても、空いている電車に乗ります。

I would rather take an empty train than a full train, even if I arrive late.

しかし、私のような人間は、あまり多くないようです。

However, there are not many people like me.

列車の中を観察していると、始発からずっと同じ席に座り続けている人を、ほとんど見かけないからです。

This is because when I look inside a train, I rarely see people sitting in the same seat from the first station.

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私、以前から、かなり真面目に提案しているんですけど ――

I've been making serious proposals for a long time.

「学校単位、会社単位、官庁単位、なんでも良いのですが、始業開始時刻を、年単位で1時間づつタイムシフトする」

"For school units, company units, government units, and anything, the start time would be shifted by one hour on an annual basis."

を、なんでやらないんでしょうか、この国は。

I think it's a good measure, however the government doesn't try it.

私は、デパートや本屋が、正午に始まったって良いと思いますし、居酒屋の夜営業が、午後3時に始まったって良いと思います。

I think there is no problem that department stores and bookstores start at noon, and pubs start at 3pm.

学校を、8時スタート、9時スタート、10時スタートとして、そんなに困りますかね?

Do you have any problems with starting your school at 8 o'clock, 9 o'clock, and 10 o'clock?

「今年、あの学校って、いくつだったっけ」

"Do you know what time the school starts?"

「たしか、"9"だ」

"I think it is nine"

という会話をしてればいいのです。

The talk is enough.

そもそも、時間を一致させて働くという考え方は、産業革命後の工場労働力を上げる目的で導入されました。

Above all, the idea of working at the same time, was installed in order to increase the factory labor force after the industrial revolution.

今や産業の多くの分野が、サービス分野にシフトしている今、このような働き方には、ほとんど意味ありません。

Now that many sectors of the industry have shifted to the service sector, this working style has little meaning.

が、まあ、こういう話をすれば、当然、「子どもを保育所に預ける時間がうんぬん」「得意先の営業時間がうんぬん」という話になってきます。

But, of course, this will guide the story of "no time to leave the child at the nursery school" and "no time to visit the business hours of customers".

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多分、変更直後の初期投資コストは、膨大なものになるでしょうし、始めてやることには、かならず抵抗勢力が発生します。

Perhaps the initial investment cost immediately after the change will be enormous, and there will always be resistance to doing the first thing.

そもそも、そんなことができるなら、5月のGW、夏季休暇、年末年始休暇、などという概念は、とっくに消え失せているはずです。

To begin with, if we can do that, the concept of May GW, summer vacation, year-end and New Year holidays, etc. should have disappeared.

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が、まあ、世界は今のままでいいです。

But, the world can be as it is now.

私は、私で、一人タイムシフト生活 ―― 夜活 ―― やっています。

I am doing a time shift life "alone-night".

朝遅い電車や、夜遅い電車は、快適な私の書斎です。

A late morning train or a late night train is a comfortable study for me.

ここに

Now

■学生たちの嬌声やら、

- student's hoarse voice,

■おばさんたちの悪口話やら、

- aunt's hate stories,

■おじさんが若者に人生を説教する話

- an uncle's preaching life to young people,

が、聞こえてこないことに ―― 心からの幸せを感じてます。

I feel happy at the bottom of my heart that I cannot hear the voices.


2020-12-10 私は、過去は振り向かない人間です ―― 特に、他人の過去は。

私の人物評価は「モノ作れるヤツが、一番エライ」です。

My evaluation of a person is "The person who can make things is the best"

何かの"コンセプト絵"を描いて、仕事をしているような気になっている奴は

The guy who draws a "conceptual picture" of something and feels working, is

もしかしたら、本当は「エライ奴」なのかもしれませんが

maybe she/he might is really the "best" guy,

私の心には響きません。

They cannot impress me.

-----

もっとも、"コンセプト絵"を描いている人間も、昔は、モノを作っていて、私の尊敬に当たる人だったのかもしれませんが、

The person who draws the "concept picture" may have been someone I used to respect.

「そんなの関係ねえ」

"It doesn't matter"

と、思っています。

I think that.

私の評価は、いつだって、現在進行形の私の視点です。

My evaluation is always from my ongoing perspective.

私は、過去は振り向かない人間です ―― 特に、他人の過去は。

I'm the kind of person who doesn't look back at the past, especially other people's past.

-----

もっとも、私なんぞに、どう評価されようが、世の中のほとんどの人にとっては、痛くも痒くもないことでしょう。

But I guess it doesn't really matter to most people in the world how I'm regarded.

困るのは、実は「私」なのです。

It is actually "me" who is in trouble.

「敬意を払えない人間」からの「命令」が ―― 私は、不快でしょうがない。

I can't help but feel uncomfortable about orders from "people I can't respect".

それのみならず、くだらない自己の信念や、状況を理解しない正論を聞かされると、ゼロのモチベーションが、マイナスに転じてしまうのです。

Not only that, but when we hear trivial self-beliefs or good arguments that don't fit the situation, my zero motivation turns into a negative one.

仮に、その「命令」が、正当で、妥当で、まっとうなものであったとしても、です。

Even if the "order" is legitimate, reasonable, and decent.

これこそが、私の3大属性「浅学、狭量、卑怯」の中の、「狭量」の真骨頂です(*)。

This is the essence of "narrow-mindedness" among my three major attributes of my three main attributes: shallow, narrow-mindness, and cowardly.

ちなみにこの属性は、「自虐」ではありません。エンジニアリングアプローチに基づく、自己分析結果です。

This attribute, by the way, is not "self-deprecation". It is a result of self-analysis based on an engineering approach.

-----

「狭量」は病です。

Narrow-mindedness is a disease.

この病は、直そうと思えば、直るものかもしれません。

If I want to treat this disease, I may be able to treat it.

しかし、当の本人であるこの私に、直す気がありません。

However, I, the person in question, have no intention of treeating it.

なぜなら、「狭量」は、私の個性だからです。

Because "narrow-mindedness" is my personality.

この「狭量」が故に、私は、8年以上にも渡るコラム執筆を続けられたのです。

It was this "narrow-mindedness" that allowed me to continue writing my column for more than eight years.

(その観点から、私のコラムを読み直して頂けると、内容がスラスラとあなたの頭に入ってくると思います)

(If you reread my column from this perspective, I think the content will come easily to you.)

-----

私の「狭量」は、私の弱みであると同時に、強みでもあります。

My "narrow-mindedness" is both a weakness and a strength of mine.

狭量であり続けるか、狭量をやめるか、どちらかを、私は選択することはできると思います。

I think I can choose to either continue to be "narrow-mindedness" or to stop being "narrow-mindedness".

しかし、どちらにメリットがあり、どっちがラクであるかを考えれば ―― いや、考えるまでもなく

But if I think about which one has advantages and which one is easier... No, I don't have to think about it.

私の選択は明らかです。

My choice is clear.


2021-12-10 『(1)コロナ禍の(経済的)影響によって、(2)ご家族のお子さんと一緒に、(3)スシロー(回転寿司)に行くことができない』

Today, the police came and gave me a reward for the Ebata's "cooperation".

『これを受けとらないと警察の方も困るだろうなぁ』と思って受けとりましたが、今度は私の方が困っています。

I thought, "If I don't get this, the police will be in trouble," so I took it, but now I'm in trouble.

「新型コロナ対策の団体に寄付しようか」と思ったのですが、なんとなく用途が見えないところにお金をぶん投げるだけ、というのも『なんだかなぁ』と思っています。

I thought about donating the money to an organization that is fighting the new corona, but I'm wondering. Because I don't know the activities deeply.

それならば ―― 私の日記を読んで頂いている方のお役に立ちたい、と思いました。

Then -- I thought I would like to be of service to those who read my diary.

-----

という訳で、

So...

『(1)コロナ禍の(経済的)影響によって、(2)ご家族のお子さんと一緒に、(3)スシロー(回転寿司)に行くことができない』

"Due to (1) the (economic) impact of the Corona disaster, (2) you and the children in your family are unable to go to (3) Sushiro (conveyor-belt sushi)"

という、上記の3条件を満たす方1名に、その機会1回分として進呈したいと思います(もし、お釣りがでたら、それはお納め下さい)。

I would like to give one opportunity to one person who satisfies the above three conditions (if there is any change, please keep it).

(a)電子メールにて、ご連絡下さい(私のホームーページ御参照)。

(a) Please contact us by e-mail (see my home page).

(b)メールのタイトルには「スシローの件」とだけ記載し、メール本文に、お名前とご住所のみをご記載下さい

(b) Please include only your name and address in the body of the email, with "Sushiro" in the title.

(c)それ以外のことは、一切記載しないで下さい(挨拶、御礼、お願い等も一切なしでお願いします)。

(c) Please do not write anything else (no greetings, thank me, requests, etc.).

(d)受け取り後は、連絡も、御礼も、領収書の写しも、一切なしでお願いします(というか、ご連絡頂きたくありません)

(d) After receiving the money, please do not contact me, thank me, or copy the receipt at all (or rather, I do not want to hear from you).

『江端に、あなたの名前と住所を知られるというリスク』がトレードオフ、と考えて頂いて結構です。

You can think of it as a trade-off for the risk that Ebata will know your name and address.

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普通郵便(84円切手、江端負担)で、サラっと送付致します。

I will send it by regular mail (84 yen stamp, at Ebata's expense).

でもって、(私、このフレーズは嫌いなのですが)「発表は、発送をもって替えさせて下さい」

And then (and I hate this phrase), "Let me replace the announcement with the shipment."

Please wait for about a week, and if there is no offer, I will donate it here.

以上


2022-12-10 という訳で ―― この平和な時代にあっても、「武装」という概念を持ち続けているシニアが存在していることを、覚えておいて下さいね。

『「カルトを批判する」ということが、本当に命懸けである』ということは、歴史を見るまでもなく、明らかです。

Needless to say, 'criticizing cults' is really a matter of life and death.

最近も、ラディカルな発言を続けていた大学の教授が、大学内で暴漢に襲われました(カルトとの関連は現時点では不明)。

Recently, a university professor who had been making radical statements was attacked by thugs on campus (the connection to the cult is unknown at this time).

また、私は、空気銃で狙撃されたという人を、個人的に知っています(襲撃者は、統一教会か、歎異抄研究会の、どちらかだったと思います)。

I also personally know someone who was shot at with an air rifle (I think the assailant was either from the Unification Church or the Tannisho Study Group).

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カルトはロジックで対抗できません ―― というか、ちゃんとしたロジックを持たないから、カルトなのです。

Cults cannot be countered with logic -- or rather, they are cults because they do not have proper logic.

ただ『カルトが、自分達の行動をロジックで説明できない』ということは、仕方がないのです。

It just can't be helped that 'cults can't explain their actions with logic.

「愛」とか「神」とかの形而上なものが、形而下のものと相容れないのは当然です。

It is only natural that something metaphysical, such as "love" or "God," should be incompatible with something physical science.

宗教は、形而下的なものから、批判され続けた上で、生き続けることに意義があるのです。

Religion is significant in that it continues to live on after being continually criticized by physical science.

「批判に対して抗弁する」という手段を取りえません。

It is not possible to "defend against criticism."

それゆえ、宗教は、

Hence, religions should behave like the followings.

『お前がなんと言おうが、こちとら1000年以上、民衆の支持を受けて生き延びてきたんだ』

"We have survived for more than 1,000 years with the support of the people, no matter what you say"

『100年弱くらいで簡単に死んでしまい、数日もしないうちに忘れさられてしまうようなお前ごときの意見なんぞ、屁でもない』

"You will be dead in less than 100 years and forgotten in a few days, so I don't give a damn about your opinion."

と、デンと構えていることに意義があります ―― まあ、1000年以上、生き延びることができたら、ですが。

Like the above, religions are important not to move against any criticism. Well, if they can survive for more than 1,000 years.

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個人的な意見ですが ――

In my personal opinion--

「カルトが、社会生活の中で緩やかに存在し続けている」のであれば、それをロジックで攻撃するのは、卑怯のようにも見えます。

If "cults continue to exist loosely in social life," then it seems disingenuous to attack them with logic.

ですので、私は、私のテリトリーに入ってこないカルトについては、基本的に何もしません。

Therefore, I basically do nothing about cults that do not come into my territory.

私の方から、論争(喧嘩)をふっかけるようなことはしません。

I will not start an argument (fight) with them.

ただし「売られた論争(喧嘩)」は買いますし、負けるつもりもありません。

However, I will buy "arguments (fights) that have been sold" and I do not intend to lose.

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カルトの活動が問題となるのは、カルトが社会生活の中で、反社会的な活動 ―― 法外な献金の勧誘 ―― などを行うことです。

What makes cult activities problematic is that cults engage in antisocial activities -- soliciting exorbitant donations, etc. -- in social life.

そして、私の血縁者や友人を、このような事態に巻き込んだ場合は、『この私(江端)に喧嘩を売った』と見なします。

And if they involve my relatives or friends in such a situation, I will be sure that 'they sell me(Ebata) a fight here'.

そうなったら ―― 形而上、形而下関係なく、全面戦争です。

If that happens -- regardless of whether it is metaphysical or physcal science , it will be all-out war.

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私は学生のある時期に、外出する時、武器として利用できる道具を携行していたことがあります。

At one point in my student life, when I was out, I carried a tool that could be used as a weapon.

先日の大学教授襲撃事件を知って、再軍備・・・もとい、再装着しようかなぁ、と考えています。

After knowing about the recent attack on a university professor, I am thinking about rearming...or rather, reattaching.

装具としては、ここは『安価で入手しやすく効果の高い"バール"あたりがいいかな?』と。

I am thinking of a "crowbar," which is inexpensive, readily available, and highly effective.

たとえ、襲撃されたとしても、一撃くらいは、同レベルの反撃はしたいですから。

Even if I were attacked, I would want to strike back at least one blow, at the same level.

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という訳で ―― この平和な時代にあっても、「武装」という概念を持ち続けているシニアが存在していることを、覚えておいて下さいね。

So -- please remember that even in these peaceful times, there is a senior who continues to hold on to the concept of "armed".

特に、「江端の襲撃プラン」を検討中のカルトの方々は。

Especially those cult members who are considering "planning an attack on Ebata".


2023-12-10 マジで、私たちは、『投票率が1ケタになる選挙』を、目撃することができるかもしれません。

ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の計測手法について研究している研究員としては、

As a researcher studying methods for measuring social capital, I am interested in the question,

―― 今(*)、解散総選挙をやったら、一体何がどうなるか?

"What exactly would happen if we held a general election now?"

ということに興味があります。

(*) A case of slush funds at 100 Diet members by a ruling party faction, commonly known as the "LDP Party Ticket Kickback Scandal. The case is said to be on the level of the recruiting case.

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私は、

I

(1)こういうシミュレーションがやりたくて

(1) want to do this kind of simulation,

(2)私の作ったシミュレータがどんな解を出すかを知りたくて、

(2) want to know what kind of solution my simulator will give, and

(3)その答え合わせをしたい

(3) want to verify the answers

のです。

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今、総選挙をやったら、本当に困るのは私たち国民です。

If we hold a general election now, we, the people, will be in trouble.

It will be this kind of election.

■例えるなら、「強盗」と「詐欺」と「スリ」のどれがいい、みたいな、選挙。

- To put it another way, it was an election, like which is better, "robbery," "fraud," or "pickpocketing."

■「どこがいい」ではなくて、「どこだと(私たち国民の)被害が少ないか」を考える選挙

- The election was not about "where is better," but "where would cause less damage."

マジで、私たちは、『投票率が1ケタになる選挙』を、目撃することができるかもしれません。

We could witness an 'election where turnout is in the single digits.'