<2012年2月10日の日記>
『子どものうちであれば、発音が良くなるはずだ』
―― ならないって。
それ、嘘だから。
2012年2月10日の日記>
我が家の娘の場合。
○2歳から4歳の2年間、米国某州の日本人のいない街で、ほぼ毎日、所定の時間帯、一人で託児所で過した。
○託児所の先生は、『娘は英語を全く理解していない』という私の言葉を信じない程、コミュニケーションはできていた(らしい)。
○事実、私達夫婦はもとより、回りの仲間ですら驚くような見事な発音の「NO!」を披露していた。
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そして、現在。
○娘は、ラジオ英会話のヒアリングで苦労しており、発音も普通の中学生の域を出ない。
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さあ、誰か、私に理解できるように説明してくれ。
こんな理想的かつ完璧な環境にあった娘が、なぜ、今、理想的かつ完璧な英語の発音ができないのか、を。
次回のコラムのネタとして、漫画「キャンデイキャンディ事件」を調べています。
二次的著作物の解釈を巡って、最高裁判決まで闘われた事件として、超有名な事件です。
まあ、この事件自体は、私のコラムを読んで頂くとして、結論から言うと、現時点において、「キャンディキャンディ」という漫画またはアニメが再販、流通する可能性はない、というものです。
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ところがですね、嫁さんが、この「キャンディキャンディ」をCMで見たと言っているのを聞いて、心底驚いています。
―― 絶対にありえない
ネットでも調べましたが、確証たる情報をつかめておりません。
いや、「絶対にありえない」といいながら、実はその可能性があることも知っています。
「またか」という感じです。
法律を理解できず、裁判所の判決文を読み下せない権利者は、もうしょうがないとしても、
こんなに有名なこの事件も知らないで、「キャンディキャンディ」に手を出した会社があったとすれば、
―― 確定した最高裁判決を覆すだけの日本最強クラスの知財部門を持っている会社
か、
―― 著作権の意味も最判の意義も理解できない、驚く程無能な会社
としか思えません。
私は、こんな会社の製品を買うのは「怖い」ですよ。
なお、「キャンディキャンディ」ではないキャラクターのCMは、私も1回確認し、この会社の名前も、だいたい絞り込んでいるのですが、確証に足る証拠がありません。
もっとも、本件について、ちゃんと問題が解決しているのであれば、これほど嬉しいこともありませんが。
情報提供頂きたく、よろしくお願い致します。
先日、三国志のN次創作(このNは相当に大きい数だろう)である、「孔明のヨメ。」の第三巻が出ていましたので書店で購入しました。
The other day, I bought the comic book "Wife of KOUMEI" of the third volume that is the N order's creation of "Sanguozhi".
最近、この「孔明のヨメ。」は、我が家では結構な人気コミックとなっており、二人の娘だけでなく嫁さんも読んでいるようです。
Recently, the comics have become popular among my family, and not only two daughters but also my wife is enjoying them.
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私、三国志という物語は、そこそこ好きですが、狂ったように好きという訳ではありません。
I like "Sanguozhi" so-so, but I am not crazy for the story;
しかし、娘たちには、三国志のおおまかなストーリーは教えておきたいと思っています。
Nevertheless I want to tell two daughters about the rough story.
目的は、
The purpose is for
―― 婚活
Activities of marriage
です。
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男性の中には、一定の割合で、三国志ファンというのは存在しています。
There are "Sanguozhi" funs in male group at the constant rate.
その中には、吉川英治版等の三国志を読み込んできている者もいると思います。
Some of the men could read in the Eiji-Yoshikawa edition.
ゲームや漫画でしか知識を得たこともないような輩はカウントしないとすれば、ある程度、一定の知識と知性を有していることが、推認されます。
Ignoring the only gamers or comic readers, we can estimate that they have intelligent and acquirement to some extent.
とすればですね、合コンなどで、三国志の話をしている男性の話に割り込んで、
When my daughter attends at a mixer and just says the following phase,
『そうね、軍師は「孔明」よりは、私は曹操群の「郭嘉」の方が好きかな~~』
"In my case, I prefer Kakuka to Koumei as a strategist."
と、一言でも言えば、
―― その合コン、他の女性を制圧して、勝ったも同然。
My daughters are going to have the mixer in the bag, with bringing under other girls control.
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と、この話を娘(長女)にしたところ、
When I told her the above strategy, she said,
『パパ! 私、三国志の勉強、がんばるよ!!』
"Papa! I will start the study of "Sanguozhi" as soon as possible!!"
と、目を光らせていました。
with a gleam in her eye.
今年1月の中頃、朝5時に起き、次女の受験に付き添って、かなり遠くの学校に行きました。
In this middle of January, I woke up at 5:00 am and went to considerably far-off school with my junior daughter for the entrance examination.
私が付き添った理由は、人身事故等の発生時の、即時のトラブルシューティングを期待されていた為です。
The reason why I went with her was to be expected as a trouble-shooter of an accident resulting in injury or death.
受験場の学校の前には、色々の学習塾の先生達が、―― 嘘偽りなく ―― 100人以上集っており、学校が用意した通路前で、塾生への激励の声を飛ばしていました。
In front of the school gate, more than one hundred teachers of many tutoring schools, in all sincerity, lined on the road side area, and they encouraged their students.
『先生達も、こんな朝早くから集まるのは大変だろうなぁ』と思うのですが、それも業務の一環であれば、やむを得ないのだろうとも思います。
I was afraid that "they seems to be had to gather from this early morning", however, it could not help because of parts of their tasks.
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会場集合時間を、数分たった頃、保護者や先生達が、その場を離れようとしていたころ、2組の親子が校門に走り込んできました。
After a few minutes from the deadline, when the parents and teachers went apart from the gate, two sets of parent and child were running inside the gate.
その時、通路の両側から、
At that time, from the both side of road,
「がんばれー!」「走れー!」「まだ、間に合うぞー!!」
"Do your best!" "Run to the desk!" "You are still in time!!"
と、その場にいた先生達が ―― 自分の塾生かどうか、関係なく ―― 、腕をブンブン回しながら、一斉に声を上げる姿を見ました。
The teachers made circular motions with their arms, and encouraged the parents and children regardless of their belongings.
その姿を見て、私は、不覚にも涙が出そうになりました。
I almost cried to see the figure carelessly.
『ここまでがんばってきた全ての子どもに、等しく最大の力を発揮して欲しい』と願う姿は、全ての大人の願いなのだなぁ、と信じることができました。
At that time, I could believe that all of adults hope that any child, who has studied hard so far, shows their biggest power equally.
(To be continued)
EtherCATを使ったホームセキュリティシステムの配線の為、
In order to wire for Home Security system using EtherCAT,
―― 昨日の休日は、床下に潜っていました。
I was diving under floor yesterday.
比較的気温が高くなった、午後を狙って、床下収納口から進入したのですが、結構大変でした。
I has tried it afternoon after temperature became high, and entered from the door of the floor storage, however it annoyed me very much.
高さが40cmしかないところに、体を突っ込むことになるのですから、当然に、床に張って動くことになるのですが、結構な恐怖でした。
It was tremendous fear to put my body into the narrow space, that height was just 40cm, and to do slow method of progression.
当然ですが、真っ暗ですし、もし床下で体が挟まって動かなくなってしまったら、どうなるだろうかと思いもありましたが、
Of course, it was perfect dark under the floor and I was fear that what I should do if I was stuck.
今地震が発生したら ―― と考えたら、床奥の方まで進んでいくことは、相当な勇気がいりました。
When I thought "if an earthquake happen", I needed a considerable courage.
『しかし、これを遣り遂げないと、来月の連載分が執筆できない』
"If I don't do it, I cannot write the next colum of EtherCAT"
という一心で、漆黒の闇の中での匍匐前進(ほふくぜんしん)を敢行しました。
The thought made me to face difficulties resolutely, with slow method of progression.
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そのうち、匍匐前進するより、体を転がす方が早く動けることが分かりましたので、冷いコンクリートの上で、コロコロと転がっていました。
Among them, I noticed that it was better to roll the body rather than tp creep forward, so I was rolling with the cold concrete flop.
この作業は、ダイエット(連載)をしていなければ、決して実施できなかったと思います。
I think that I couldn't carry out this work, unless I have been on diet.
どうやら、「床下で転がる為」に、私は減量をしていたようです。
Apparently, "in order to roll in under the floor", it seems I had a weight loss.
今回の講演で、1965年から現在に至るまで、「AIによって仕事がなくなる」と明言していた、3人の世界的な人工知能の権威を、証拠付きで、
In this lecture, from 1965 to the present, the authority of three world-wide artificial intelligence, which was clearly stated "some kinds of work disappears by AI", with evidence,
―― おもいっきし、嗤い(×笑い)者
were made laugh by me.
にしてきました
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講演後の質疑応答の際に、
In answering questions after the lecture,
質問者:「では、江端さんは、人工知能が人間の仕事を奪うのは、どのくらい先になるとお考えですか?」
Questioner: "Then, Mr. Ebata, how long do you think Artificial Intelligence robs human's work?"
江端:「そうですね、今回が第3世代ですが、私の直感としては、300年後の第15世代人工知能ブームでも難しいのじゃないかと思います」
Ebata: "Well, this time it's the 3rd generation, I think that it might be difficult even in the 15th generation artificial intelligence boom, 300 years later"
と、お答えしておきました。
I answered.
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江端:「・・・というかですね」
Ebata: "To begin with ..."
と私は続けました。
I continued.
■『仕事が奪われる』という未来形ではなく『仕事は奪われてきた』のですよ、すでに過去形として
- It is not a future form of "depriving work", but "work has been robbed", as already past tense
■そして、仕事を奪ってきたのは、"AI"ではなく、"ワード"と"エクセル"と"パワーポイント"です。
- And, it is not "AI" but "word", "excel" and "power point" that had taken our jobs.
■この3つのアプリケーションによって、写植の人、経理の人、そして広告やデザイナーの人口がどれだけ減ったと思いますか?
- By these three applications, how much do you think the population of phototypes, accounting people, advertisements and designers have decreased?
(そして、逆に、"ワード"と"エクセル"と"パワーポイント"のおかげで、ライターの枠を一つ貰えた、幸運な私がいる、と)
(And, on the contrary, thanks to "Word", "Excel" and "PowerPoint", I got a framework of writer fortunately)
■「AIが世界を壊す」ではなく、すでに「パソコンが世界を壊した」のです。
- It is not "AI will break the world", but "PC had already destroyed the world"
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総じて、パソコンのやってきたことに比べれば、
In general, compared to what the personal computer are doing,
AIの恐怖なんぞ、
Fear of AI is clearly
―― はっきりいってゴミです。
"garbage"
昨日、新年に届いた年賀状を見ていたのですが、確実に枚数が減っています。
Yesterday, I was watching New Year's cards arriving in this New Year, I noticed but the number had definitely decreased.
勿論、私も私が出した年賀状も徐々に減らしているので、別段意外な感じもしません。
Of course, I also gradually reduce the New Year's cards I posted, so I do not feel anything unexpected.
一つ言えそうなことなのですが、
I can say one thing, I feel that
―― もう、そろそろ皆、人生のコネクションのクロージングを始めている
"Everyone might start to close the connection of their life"
という感じがします。
通信プログラムにおいては、プログラムの異常終了時であっても、通信コネクションの全てを、全部クローズすることは、とても重要なことです。
In the communication program, it is very important to close all of the communication connections even when the program terminates abnormally.
通信リソースの無駄な消費を避けることや、通信秘匿性の保持の為にも、「きっちり縁を切る」ことは、大切なのです。
In order to avoid wasteful consumption of communication resources, or maintain confidentiality as well, "disconnecting" is important.
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勿論、人間関係は、通信プログラムではありませんので、このような乱暴な話として語るべきではないのは、分っているのですが
Of course, human relationship is not a communication program, so I know it should not be said as such a rough story.
―― いつまでも、誰かと繋っていたい。誰かに覚えていて欲しい
"I want to stay a connection with someone, I want someone to remember me forever"
と願うことは ―― 勿論、願うことは自由ですが ―― 多分、無駄です。
To hope it - Of course, it is no problem to hope it - is useless.
なぜなら、私たちは、いなくなった人を忘れて、毎日を生きているのですから。
Because we forget people who have disappeared and we come to live every day.
だから、同じように、いずれはいなくなる自分を、キッチリと忘れて貰えるように、毎日を生きることは、かなり大切なことだと思っています。
So, in the same way, I think that living everyday to make me forget perfectly is important.
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とは言え、私は、コロコロと意見を変えるので、とりあえず、これは今日の時点での、私の個人所感です。
However, since I change my opinion easily, tentatively, this is my today's personal impression.
それに年賀状については、「人生のコネクションのクロージング」なんてもんじゃなくて、単に、私だけでなくて、皆も同様に、「面倒くさい」と思い始めているだけかもしれません。
Also, regarding New Year's cards, it might not "closing of connections of life". It may just be that they come to feel "bothersome" like me.
ま、みんな、半世紀近く生きていれば、人生いろいろあるでしょう。
Well, everyone has their own life.
(Continuation from yesterday)
公開された予告編では、スターリンが支配するソビエト連邦に模した国との戦闘が描かれており、この時点で、私の劇場版の視聴は決定しました。
In the released trailer, battle scenes with the imitated Soviet Union controlled by Stalin were opened, and at the time, I decided to watch the movie.
そんでもって、
And, I felt confident that
"no doubt that the "battle of Stalingrad" will be deployed"
と、勝手に思い込んでいました。
戦場の主人公と、独裁者スターリンとの、壮絶な頭脳戦が展開され、主人公の初の完全な敗北が描かれる(歴史は、そうなっている)、と期待していました。
I expected that fierce brain fights between the protagonist of the battlefield and the dictator Stalin will be developed, and the first complete defeat of the heroin will be shown (base on the real history).
なにしろ、私は、NHKスペシャル「映像の世紀」の全編を、10回以上は繰り返し視聴し、大学生の頃に、映画「東京裁判」と「太平洋戦争」のDVDを購入した、近代戦争史のギークなのです。
After all, I am a geek of modern war history, for example, I have watched the full length of NHK Special "20th century of video" repeatedly over 10 times, and I bought a DVD of the movie "International Military Tribunal for the Far East" and "Pacific War" when I was a college student,
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結果的に、私の予想は全部外れました。
As a result, my expectations were all out.
そして、『うーん、こういう形で、合衆国を絡ませてくるか』と、感心していました。
And, I was impressed with thinking "Well, the United States is joined in this way"
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映画が終った後、映画館の中を見渡したのですが、
After the movie was over, I looked through the inside of the movie theater, I thought
―― 私と同じニオイのする奴が、たくさんいるなぁ
"there are a lot of people whose smell is same like me"
と思いました。
背広とネクタイの男性が相当数いて、このまま、別室に移動して「来年度の予算会議」に出席可能、という風でした。
There were quite a few men with suits and neckties, and they seemed to attend the "Fiscal Year Budget Meeting" moving to another room.
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そういえば、映画上映の前の予告編が、アニメ映画ばかりで ―― 退屈でした。
By the way, the trailers before the movie screening were only animation films, and it was boring for me.
が、今回の映画の観客層から鑑みるに、この予告は「外して」いるのではないかと感じました。
However, in view of the audiences of this movie, I felt that these trailers were "out of scope".
予告をするなら、「ヒトラー最期の12日間」「スターリングラード」「ベルリン大攻防戦」「ニュルンベルグ裁判」という方向だと思うんですが ――
I think that the direction of "Downfall", "Enemy at the Gates" "THE BATTLE FOR BERLIN" or "JUDGEMENT AT NUREMBERG" is right.
違うか。
Not right?
I think I've written a little bit in this column about how "ageing itself becomes a 'power'".
能力がなくても、実績がなくても、高齢者は権力になる ―― これは、「儒教の敬老思想」の負の側面です。
Even if they are not capable or have no achievements, the elderly come to get the power -- this is the negative side of the Confucian concept of respect for the elderly.
能力があって実績もある高齢者ともなれば、もう誰も逆らえません。
No one can resist an elderly person who is capable and has a good track record.
当然です。
It is natural.
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In addition, the older we get, the harder it is to change the paradigm -- and of course, the harder it is for me.
前にも述べましたが、私は「夫婦別姓」を獲得するのに数年、「同性婚」を獲得するには10年以上かかりました。
As I mentioned before, it took me several years to get "marital separation" and more than ten years to get "gay marriage".
これらを理解する為の自己学習(自習)は、長く辛いものでした。
The self-learning (self-study) to understand these things was long and painful.
この辛さが分からない人は、自分や家族をリアルにイメージして、
If you don't know how hard this is, imagine yourself and your family in a realistic way.
―― 血縁婚(兄弟婚、姉弟婚、兄妹婚、姉妹婚、親子婚)
"Blood marriage (brother marriage, sister marriage, brother-sister marriage, sister marriage, parent-child marriage)"
を受け入れれるようになるのに、どれくらいの時間と勉強が必要になるか、を、頭の中でシミュレーションしてみて下さい。
Try to simulate them in your mind how much time and study you will be able to accept them.
(という事例でいいのかな? )
(Is that a good example? )
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ともあれ、
Anyway,
■高齢者には、能力と実績と権力があり、
- The elderly have power.
■高齢者のパラダイムシフトは、「リアルな血縁婚」を受けいれるくらいに難しい
- Paradigm shift for the elderly is as difficult as accepting "real blood marriage".
と思って頂くことはできないでしょうか?
Can't you think of it that way?
うん、できないですよね。
Yeah, you can't do that.
わかります。
I understand.
とすれば、
If we assume that,
■「"高齢者は変われない"を前提とする相互理解」という概念
- The concept of "mutual understanding based on the premise that the elderly cannot change their minds.
と
and
■「高齢者を組織のトップから、ナチュラルに排除」する技術
- Technology to naturally remove elderly people from the top of the organization.
が、今後の社会ソリューションになっていくと思います。
I believe that these will be the social solutions of the future.
テレビを見ていると、「自分が嫌い」と告白する人が多いなぁ、と思います。
When I watch TV, I think that many people confess that they hate themselves.
「あいつが嫌い」と口にすることは忌避されているのに、「自分が嫌い」と言うことに、この国の人々は寛容ですよね。
People in this country are very tolerant of saying "I hate myself" while saying "I hate that guy" is avoided.
「自分が嫌い」な人が、我が国のマジョリティであるなら、共感も得やすいのかもしれません。
If people who "hate themselves" are the majority in our country, it may be easier to empathize with them.
で、「自分が嫌い」を、Googleで調べてみたら、"約 13,300,000 件 (0.42 秒)" と出ました。
So, I looked up "I hate myself" on Google and found "about 13,300,000 results (0.42 seconds).
今、Twitterで調べてみたら、この1時間で29件の書き込みあがあることが分かりました。
I just looked it up on Twitter and found 29 in an hour.
今、この結果を、どのように判断するかを考えています。
Now, I am trying to figure out how to judge these results.
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それはともあれ、「嫌い」なものは「嫌い」で、それは理屈ではないのですから、仕方がないと思いますが。
Anyway, what you "hate" is what you "hate," and that's not a theory, so I don't blame you.
それでも ――
However,
自分から「自分を否定する言葉」を発するのは、いくら自分のこととは言え、公の場で告白することは、控えた方が良いのではないかと思います。
I think it is better to refrain from confessing in public, no matter how much it is about you, that "words that deny yourself".
だって、それ「いじめ」ですから。
Because that's "bullying".
公の場で「いじめ」を見せつけられるのは、気分の良いものではありません ―― 少なくとも私には。
It's not pleasant to be shown "bullying" in public -- at least not by me.
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Me: "If I were you, I'd say 'the world is bad'... Actually, 'the world is bad'."
と呟いたら、
I whispered, and my wife responded it to me,
嫁さん:「そういう発想できる人は、世界でも一握りしかいないと思う」
Wife: "I think there are only a handful of people in the world who can think like that."
と言われました。
今年の下半期からの忙しさは凄かったと思います。
I think I have been very busy since the second half of this year.
それでも、なんとか凌げていたので『なんとかなるもんだなぁ』とか思っていました。
Still, I managed to get by, so I thought, 'I guess I can get by'.
しかし、歯痛→腰痛→風邪による全身疲労が、ここ2週間くらい立て続けで発生し、予定通りに物事が進んでいません。
However, things have not been going as planned due to a series of dental pain, back pain, and general fatigue caused by a cold that has been occurring in rapid succession for the past two weeks.
「パフォーマンスが発揮できない」 → 「予定した仕事が進まない」 → 「焦る」 という段階までは、よくあるのですが、今は、
I have often experienced the "I can't perform" → "I can't get the work done" → "I'm in a hurry" phase. However Now the situation is as follows.
『何か考えようとすると、吐き気がする』
'I get nauseous when I try to think about anything'
という状況です。
こうなると、もう、何もできなくなります
When this happens, there is nothing more that can be done.
こういう状況になって、普段の自分を俯瞰すると、
In situations like this, when I look down on my normal,
―― 私、一体、何のために、毎日あんなに頑張っていたんだっけ?
"What in the world was I working so hard every day for?"
という気持ちになってきます。
This is the feeling I have now
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多分、私は、この状態が回復したら、こんなことを忘れたかのように、自分のことや、他人のことを言い始めると思います。
Maybe when I recover from this condition, I will start talking about myself and others as if I have forgotten all this.
しかし、今の『弱っていて、何もできないこの状態の自分がデフォルト』である、ということを覚えておくために、この日記を残しておきます。
However, I leave this diary to remember that I am now 'weak and unable to do anything about this situation', which is my default.
被災して、罹患して、心が壊れて、疲れ果てて、立ち上がることもできない人々に、『がんばれ』とだけ言い放つ人間にだけは決してなるまい、と、再度、自分に言い聞かせるためにも。
To remind myself once again that I will never make me a person who only says, "Hang in there," to people who have been affected by the disaster, who have been afflicted, who are broken, exhausted, and unable to stand up.
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私は、『コーディングしながら映画をななめ見する』という、映画を愛している人から激怒されても仕方がない、という視聴をしています。
I have a viewing practice of 'slumbering through a movie while coding,' which is something that should be infuriated by people who love movies.
それについては、堪忍して頂くととて、今日は2つばかり、映画について書きます。
I will leave it at that and write about two movies today.
(1)"Love from the Camp"
これ、2022年の話題の邦画でした。
This was the hottest Japanese film of 2022.
妙な既視感があり、視聴後にちょっと調べてみたところ やっぱりありました。1993年にテレビで放送されていました。
I had a strange sense of deja vu, and after watching it, I did a little research. There it was: it was broadcast on TV in 1993.
こっちの方を見たくなって、YouTubeとか探っているのですが、現時点で見つかっていません。
I'd like to see this one, and I've been exploring YouTube and the like, but I haven't found it yet.
私、この時のテレビドラマの方での衝撃がもの凄かったのです ―― 『遺言を記憶で運ぶ』というメソッド(方法)に、驚愕し、そして、深く感動いたしました。
I was shocked by the TV drama at that time -- I was astonished and deeply moved by the method of "carrying the will in memory."
まあ、そういう個人的な背景もあり、映画の方はあまり集中できませんでした(収容所がちょっとキレイすぎるなぁ、とか、いらんことが気にかかってしまいました)。
Because of this personal background, I could not concentrate much on the movie (I was bothered by unnecessary things, like the camps being a bit too beautiful).
ラーゲリーについては、個人的には、船戸与一さんの「満州国演義」がお勧めです(図書館で借りてきたのですが、重い(重量が)本でした。今は文庫になっているようです)。
Regarding Lagerie, I recommend "Manchukuo Engi" by Yoichi Funado (I checked it out from the library, but it was a heavy (weight) book. It seems to be in a library now).
そういえば、先日、実写版の「ゴールデンカムイ」についても語りましたが、私としては「蝦夷地別件」も強くお勧めします。
I recently talked about the live-action version of "Golden Kamui." I would also highly recommend "Ezochi Betsuden."
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(2)Jojo Rabbit(2020)
以前から申し上げているように、私、現存して、公に放映されているアウシュビッツの映像は、全て見たと思っていますし、ドキュメンタリーや映画なども、落さずに見ています。
As I have said before, I believe I have seen all the existing and publicly televised images of Auschwitz, as well as documentaries and films, without dropping them.
で、まあ、
And, well,
There is also this misunderstanding -- again, my stance is "Fuck, Nazi."
この映画は、ヒトラーユーゲントに入る前の子ども(?)の視点から見た、ナチズムに対するコミカルとシリアスのバランスのれた、楽しい映画でした。
This film was a fun film that balanced the comical and the serious against Nazism from the point of view of a child(?) before he joined the Hitler Youth.
ナチスのコンテンツに疲れていた私には、ほっとした気持ちになれる映画でした。
I was tired of the Nazi content, and this film was a relief to me.
どちらも、アマプラで視聴できます。
Both are available on Amazon Prime.
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で、私は、今日も今日とて、プログラムの量産中です。
As of today, I am still in mass production of the program.