本日の人間ドッグで、生れて始めて「鼻から胃カメラ」を体験しました。
このようなものが発明されているのに、「口から胃カメラ」が未だ存在しているのが、よく判りません。
『苦痛が全然ない』ということはありませんが、苦痛の度合が、体感比1/100という感じでしょうか。
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最終的には、飲むカプセル型の胃カメラになるのでしょう。
『昔は、酷く幼稚で、凄く野蛮な検査方法があった』と、顰め顔されながら語られる時代になって欲しいものです。
以前お話しましたが、私が寄稿しているコラムは、私自身がコラムのタイトルをつ けることができません。
編集担当者さんが、PVを上げるために、色々工夫を凝らして、タイトルを付け ています。
で、今回のタイトル、
も、私は関与していません。
むしろ、「おや、今回は、普通に大人しい『タイトル』だなー」と思っていました。
しかし、やっぱりプロは違いますね。
「初音ミク」と「AKB」を同じ範疇で語ると「激怒する人」がいる、という緻 密な計算があったように思います(思い違いかもしれませんが)。
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ところがですね、執筆者である当の本人(私のことです)が、この感じがよく理 解できていない。
まず、私自身が、「初音ミク」を執筆しているのですが、その視点は研究者ビュ ーでであることです。
―― 「研究者」というよりは、どちらかというと「観測者」
で、「AKB」に至っては、この「単語」を、人生で5回くらいしか使用したこと がない、というくらい、全然分っていません。
「激怒する」という感情の発生の土台にすら到着していない状態です。
で、そのような訳で、今、色々な人に教えを請うている最中です。
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このままいくと、今度の執筆の依頼は、
■AKB48を生んだ“革命的”技術を徹底解剖!
■キャラ設定はない?◯◯が語る「AKB48の作り方」?初音ミクファンと同じ?
なーんてことに、なるのかなぁ、と。
まあ、ないな。
最近、実家で家事をすることが多くなりました。
Nowadays, I have had many chances of household affairs in my country house.
自ずと、調理器具にも注意が向くようになり、新しい鍋を購入したり、古いフライパンを捨てたりしています。
Simply, I became interested in kitchen utensil, so I purchased new pans and disposed of pots.
包丁の柄の部分が腐ってきており、また刃も切れが悪くなっているので、捨てようかと思ったのですが、使えない訳でもないので、迷っていました。
About kitchen knives, the grip has been decayed and the blade has a nicked edge.
I wonder if I disposed of the knife thought it works.
―― 砥石で包丁研ぐのも面倒だな
"Annoying to sharpen this by grind rock"
そこで、試しに、近くのDIYショップで「ナイフシャープナー」というのを購入してみました(1000円くらい)。
So, I tried to buy "knife sharpener" at the nearby DIY shop. It cost about 1000 yen.
要するに、包丁の形状をした金属性のヤスリです。
In short, it looked like a metal abrasive that sharpens a knife.
海外のシェフが厨房で2本の包丁の刃をこすり会わせるというシーンがありますよね。あんな感じで、包丁で包丁を削る、という感じの使い方になります。
We can see a scene in TV programs that a chef in an overseas restaurant robs two knives blades each other. It looks like that one knife grinds the other knife.
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この「ナイフシャープナー」が凄い。
This "knife sharpener" is awful.
包丁の刃が、豆腐のように削り削がれます。
Blade of knife is grinned like Tofu easily.
所用時間15秒。
It takes only 15 seconds to complete it.
水も使わず、刃の両面をたった2回削っただけで、切れ味が怖いくらい上がりました。
I grinned just twice both side blades, the knife cut well frighteningly.
この感動は、生まれて初めて、ピーラー(皮むき器)を使った時以来です。
I have never been moved since I had used a "peeler" for the first time.
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私は、企業の研究員であり、企業おかかえの発明家でもあり、コンピュータシステムやネットワークシステムを考えるのが仕事ではありますが、
However, I am a company employee and a kept inventor, and my missions are to think over new computer and network system,
「ナイフシャープナー」「ピーラー」のように、人間に感動を与える発明品を見ると、
Whenever I watch like the above "knife sharpener" and "peeler" that make us happier absolutely,
燃えるような嫉妬と羨望と、そして、心からの賞賛を感じずにはいられません。
I feel flaming jealousy and envy, and heartful maximum praise to the inventors.
例えば、男性から女性へ、
For example, from a man to a woman, when he said
『君、太ったね』
"You gained weight"
と言った日には、セクハラで、被告を刑事事件で告訴して、公判を維持するだけの根拠になります。
He is going to be accused of sexual harassment with a criminal case and the fact becomes the grounds that only maintain trial.
つまり、これは人間として、社会通念上、使ってはならないフレーズであると、合意が取られているからです。
In short, we all can understand mutually that the phrase should not be used as a human being under normal social conventions.
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たとえ、人間ドックの問診医であったとしても、です。
Even if he is a specialist doctor at the medical examination.
以前、LBGTに関連のある記事を書いていた時のことです。
When I wrote the article related to LBGT,
私は、『その記事に、知識やデータを文字に乗せることはできたけど、「心」が乗っていない』と思い、「形から入ってみる」ことを検討したことがあります。
I thought that the article included some knowledges and data about LBGT, but it didn't have the sprits of LBGT. So I examined to go from the style.
私の場合、その一つの「形」は、「女装」でした。
In my case, the one of them was to disguise me in woman's clothes.
この「女装」を嫁さんに相談したところ、
At that time I asked my wife about my "man in skirts", she gave me the advice of
『明確な狙いや効果の仮説もなく『形から入ること』は、逆に読者のLBGTへの理解を妨げるかもしれないよ」
"It might become harmful. You will destroy the reader's nerutal understanding of LBGT, unless there are clear hypothesis of the aiming and effect".
と忠告されて、結局、取り止めることになりました。
After all, I gave up the trial.
でも、その時でも、嫁さんは「私の『女装』」には、反対はしていなかったのです。
But my wife never disapproved my proposal at that time.
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昨夜、ちょっとした話がきっかけで、
Last night, from a small talk, I asked my family(all women)
「パパが女装して、街を歩いてもいいか」
"Do you mind trying to assume me a woman's disguise and rambling about the streets ?"
という質問を家族(全員女性)にしました。
家族全員が、即座に「構わない」と言いました。
All of them said "Not at all" at the moment.
The next question was
「では、女装したパパが、ママと一緒に出社してもいいか」
"Do you mind leaving for office with mon from the entrence ?"
と尋ねたら、嫁さんだけが難色を示していましたが、娘たちは『構わん』と言いました。
They said "we don't care at all", except for my wife.
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「では、パパが会社を退社して、起業してもいいか?」
"So do you mind my retirement from my company and making my new company ?"
と尋ねたら、
All of them said at the same time,
全員が、一斉に
「絶対ダメ」
"Absolutely YES ! "
と応えました。
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私の家族が、私に何を期待しているのか、よく分かりました。
I could understand what my family expect me to do.
(Continuation from yesterday)
しかし、このスプレッドシートを使った教育でも、まだ不十分だとと思うのです。
However, I think that education using this spreadsheet is still inadequate.
まず、「パソコンの前に向かおう」という気力が湧かないはずです。
First of all, they should not come up with the power to "go to the PC."
メールとSNSとゲームの端末と思っている(?)子どもに、あの無愛想なシートを開かせることができるとは、私ですら思えません。
I do not even think of it that, nobody can make children who think a PC is SNS and game terminals open the unfriendly spreadsheet.
それと、自分の回り(例えば保護者や教師)に、パソコンの経験者が存在するかどうかは、学習を開始する以前に、決定的な差異(あるいは不公平)になるはずです。
Before starting learning, it becomes an decisive unfairness whether there are experienced PC users around themselves(e.g. parents or teachers)
これら問題を回避する為には、子どもに、スプレッドシート(エクセル等)を使わせる「強烈な動機付け」を与えなければなりません。
In order to avoid these problems, we will give the children "intense motivation" for trying to use the spreadsheet like Excel.
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(ケース1)小学生向き
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(Case 1) For primary school students
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(1)夏休みに、この表に記載された計算をしてくること
(1)Do the calculations stated in this table during the summer vacation
(2)なお、各個人ごとにドリルの数値と計算パターンは異なるので、他人のものを写しても無駄である。
(2)Copy other's stuff will be in vain, because the numerical value of the drill and the calculation pattern are different for each individual.
(3)上記(1)の表は、希望があれば「電子ファイル」でも提供する
(3)The table of (1) above is also offered as an "electronic file" if desired
(4)スプレッドシートを印刷してそこに解答を書き込んだものを提出しても良いし、スプレッドシートをそのまま使って、パソコンで計算しても良いものとする。
(4)You can submit a printed spreadsheet and written answers there, or you can use the spreadsheet to calculate it with a personal computer.
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(ケース2)中学生向き
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(Case 2) for junior high school students
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(生徒A)
(Student A)
(1)学校の近くにある、スーパーAの一日あたりの売上と利益を推定した結果を、スプレッドシートで提出せよ。
(1)Submit the result of estimating the sales and profits per day of Super A near the school on a spreadsheet.
(2)スプレッドシートには推定に至る仮説と、それに基づく計算結果が、読み手に理解できるように記載されていればよい。
(2) The hypothesis that leads to estimation and the calculation result based on it are written in the spreadsheet so that they can be understood by the reader.
(3)お店にご迷惑をかけない範囲であれば、モニタやインタビューをしても良いが、必須ではない
(3)Monitoring and interviewing may be done as long as it does not inconvenience the store, but it is not essential.
(生徒B)
(Student B)
(1)学校の近くにある、コンビニBの(以下省略)
(1) The convenience store B near the school (hereinafter abbreviated)
(生徒C)
(Student C)
(1)学校の近くにある、自動販売機Cの(以下省略)
(1)Vending machine C near the school (hereinafter abbreviated)
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(ケース3)高校生向き
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(Case 3) For high school students
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水をつめた1リットルの牛乳パックに下から5cmのところに、直径7mmの穴を明けるものとする。その時の水位と水量をグラフで現わせ。
A hole of 7 mm in diameter shall be drilled 5 cm from the bottom into a 1 liter milk pack filled with water. At that time, show the water level and water volume in a graph.
なお、計算の手段は問わない(微分方程式の利用は随意)。ただし、スプレッドシートを使って計算しても良い。
The means of calculation is not limited (use of differential equations is optional). However, it may be calculated using a spreadsheet.
―― てな感じの、「宿題」にするのはいかがでしょうか。
How do you make the "homework" like the above?
これは、人間は『ラクをする為であれば、どんな努力もする』という矛盾した性格を利用した、「強烈な動機付け」を伴った、
This is based on the fact that human beings have a "strong motivation" with the inconsistent character of "doing any effort to make it easier"
『プログラムを使わない(コラムを定義するだけの)プログラミング教育』
"Programming education not to use programs (just define columns)"
です。
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
―― 「金」は成功の指標
"Money" is indicator of success
は、概ね正しく、そして反論ができない強さがあります。
It is roughly correct, and there is strength that can not be argued.
悔しくても、私達は、その人の主張を受けいれざるを得ません。
Even if we are chagrined at that, we have to accept their opinions.
だからこそ、このような成功を語っていた人が、コケる(会社を倒産させる、自己破産する)をの見るのは、
So when the persons who had been talking about such success, fail(Failure (corporate / self bankruptcy),
―― とっても楽しい
we feel very fun.
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コラムで好き勝手なことを書いている私に、心底ムカついている人は多いと思いますが、
I think that many people dislike me because I continue to write anything I likes, however,
安心して下さい。
Please do not worry.
―― 私は、いつか、どこかで、必ずコケる。これ以上もないほど、派手に、無様に
"I will definitely fail someday, somewhere. in an awkward manner garishly"
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「あなたが、無様な私を見て、『胸がスっとする』という未来」は、この私が保証します。
I can guarantee that the future of "You can see undaunted me, and will be pleased" will come soon.
(Continuation from yesterday)
私は、これまで一貫して「単一宇宙」を支持してきました。
I have consistently supported the "single cosmology" so far.
なぜなら「多元(並列)宇宙論」は、エネルギー総量の問題を無視することになるからです。
This is because "Multiple (Parallel) Cosmology" ignores the problem of total energy.
無限かつ並列に宇宙が存在するのであれば、宇宙の最初には、無限のエネルギーがあったことになります。
If infinite number of universe exist in parallel, there was infinite energy at the beginning of the universe.
もちろん、アニメが、宇宙の最初に「無限のエネルギー」を想定することが悪いわけではありません。
Of course, animations should not care of this "infinite energy" at the beginning of the universe.
アニメはフィクションですから。
Because any animations are fiction.
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しかし、私の中では、ここに「ビッグバン」という絶対の事実が立ち塞がるのです。
However, in my mind, the absolute fact "Big Bang" stands here.
「ビッグバン」は、フィクションでも仮説でもなく、数学(計算)と天文学(観測)と物理学(ロジック)の全部で、すでに検証済みの「事実」です(*)。
"Big Bang" is neither "fiction" nor "hypothesis", it is "fact" already verified in mathematics (calculation), astronomy (observation) and physics (logic) (*).
(*) Simon Singh :Big Bang: The Most Important Scientific Discovery of All Time and Why You Need to Know About It
それは、「論理上は原子爆弾が作れる」という世界(1945年より前)のフィクションでも仮説でもなく、「現実に原子爆弾を爆発させられる」という世界(1945年より後)の「事実」という意味での、「事実」です。
The "fact" is, for example, it is neither "fiction" nor "hypothesis" in the world of "Logically we could make an atomic bomb" (before 1945), "facts" of the world (after 1945) that "we can explode the atomic bomb in reality".
そして、「ビックバン」は、その初期において「有限のエネルギー」を前提としています。
And, "Big Bang" assumes "finite energy" at the beginning.
しかし、「多元宇宙」は、無限エネルギーを前提としなければならないので、私から見れば「多元宇宙論」は、「ご都合主義の極み」に見えてしまうのです、
However, since "multi-dimensional space" has to assume infinite energy. So from my point of view, "Multiple Universe" seems to be "extreme opportunism"
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―― とまあ、ここまでは、実際のところ、私のこじつけです。
Until now, in fact, it is just my quibble.
主観的に、私は、『ここではない、どこかにいる私』が『無限数人、存在する』いう考え方が、どうにも気に入りません。
Subjectively, I do not like the idea that "I am not only "here" but "somewhere" " and "infinite number of myself are everywhere".
『ここではない、どこかにいる私』が、いつでも、
I, who "am not only "here" but "somewhere", am
かっこよくて、聡明で、人気があって、未知の力を発揮でき、幸せである、
cool, intelligent, popular, having unknown super-power, and happy
という、ご都合主義の設定に、ムカつきます。
I feel uncomfortable about the above "extreme opportunism" configurations.
『ここではない、どこかにいる私』が、
I, who "am not only "here" but "somewhere" am
無様で、愚鈍で、嫌われ者で、何の強みもなく、ただ不幸の極にいる、
ugly, stupid, disliked, no strength, and just being at the pole of misfortune,
という設定も等しく配置してくれないと、私は「不公平だ」と感じてしまうのです。
If you do not arrange such configurations equally, I feel "unfair".
勿論、「異世界ファンタジー」は、フィクションとしては楽しいコンテンツです。
Of course, "paralell world fantasy" is fun content as fiction.
しかし、「シュタインズゲート/ゼロ」のような厳しい「タイムパラドックス」の縛りの中で、創作されたコンテンツと比較すれば、
However, compared with the content created in the tight bound of "time paradox" like "Steins;Gate / Zero", I come to think
―― 格が違う
"They are in a different class"
と感じてしまうのです。
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
(裏ルール) スイーツ取得時から、翌朝未明を過ぎて冷蔵庫の中に残存しているスイーツは、第一発見者が食べても良い
(Back rules) Sweets remaining in the refrigerator after dawn the next morning,the sweets are acquired may be eaten by the first discoverer
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これは、「スイーツに関して病的な固執をしない私」の存在なくしては、成立しないルールです。
This is a rule that does not hold without the existence of "me who do not stick sickly about sweets".
ただ、断酒して後、私も、合法的に「脳快感」を得る為に、スイーツへの執着が高まっています(これについては、後日お話します)。
However, since I stopped drinking, I have been increasingly attached to sweets in order to legally gain "brain pleasure" (I will talk about this later).
ですので、上記(裏ルール)を発動させない為に、私は、午前1時ごろに、ケーキを食すようになってきました(それでも、アルコールのカロリーよりは低いのです)。
So, in order not to trigger the above (back rules), I start eating cakes around 1 am (still lower than the calories of alcohol).
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まあ、上記は妥当なルールなのですが、江端家には、家族であれば当然に存在するはずの、以下のルールがありません。
Well, the above is a reasonable rule, but the Ebata family does not have the following rules that should exist naturally for families.
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(ルール)公平分配の原則
(Rules) Principles of fair distribution
家族は家族全員が食べ物にありつけるように心がける
Family tries to make sure that the whole family can get to the food
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なぜ、4人家族にあって、今朝の段階で、4つあった「桜餅」の全部なくなっているのか?
Why are all four "Sakuramochi" missing this morning in a family of four?
それは ―― 休日出勤なんぞをした私が悪い ―― が、江端家のルールです。
Based on the rules of the Ebata family, "I'm bad on "working on holidays""
The late Sakyo Komatsu's "The End of the Endless Stream" is regarded as one of the best works of Komatsu literature.
私は、この評価を、断固として「支持」します。
I firmly "support" this assessment.
この作品の中に、ルキッフという人物が登場するのですが、学生の頃、私は私のあだ名を「ルキッフ」と読んでくれ、と友人たちに頼んでいました。
In this work, there is a character named Lukif, and when I was a student, I used to ask my friends to call my nickname as "Lukif.
ちなみに、私は、最近の教育現場の「あだ名禁止」に賛成する一人です。不快なあだ名を付けられた当事者だからです。
Incidentally, I am one of those who agree with the recent "ban on nicknames" in education. This is because I am a person who has been given unpleasant nicknames.
本人が申告した「あだ名」については特例として良いかとも思うのですが、こういう特例を作ると、なし崩し的に、ルールが崩壊するので、やめた方がいいでしょう。
I think it would be a good idea to make a special exception for "nicknames" reported by the person their selves, but it would be better not to make such a special exception, as it would collapse the rules in an uncontrollable manner.
ともあれ、私のこの自己申告の「あだ名」、友人の殆んどが使ってくれませんでしたが。
Anyway, my self-declared nickname was not used by most of my friends.
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「果しなき流れの果に」のストーリーは、こんな感じです。
The story of "The End of the Endless Stream" goes like this.
『地球が、太陽の異常でいましも終焉を迎えようとしていた時、「審判者」は、超能力を持つ人間を選別し、多くの地球人たちをつれ去っていた』
"When the earth was about to end due to the anomaly of the sun, the "judgment" disguised as an "alien" selected humans with supernatural powers and took away many earthlings.
『だが、これに抵抗する勢力があった。あらゆる変化のベクトル対する抵抗力が形象化された存在"ルキッフ"をリーダーとする、一団である』
"But there was a force to resist this. It is a group led by "Lukif", an entity that embodies the resistance to the vector of every change. "
つまり ――
That means,
■「力のある知性のある集団による、御仕着せの善意」を拒否し、
- Rejecting "the good intentions of the punishment by a powerful and intelligent group"
■「力のない無知性な個人による、誤った自己決定」を選ぶ
- Select "wrong self-determination by a weak and ignorant individual"
この物語の中には、そういった「『間違った生き方』を歩む人間に対する『力強い肯定』」があります。
In this novel, there is such a "strong affirmation" for humans who walk the "wrong way of life."
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・・・で、実は、私、この話をきっかけに何かを語ろうとしたんですけど、それを忘れてしまいました。
So, actually, I tried to talk about something in the wake of this story, but I forgot it.
格好悪いオチになってしまいました。
It has become a ugly punch line.
本日は、ここ数日、家族+姉の間ですったもんだの原因となったメモを、ご覧頂きたいと思います。
Today, I'd like to share with you a memo that has been the cause of a lot of confusion between my family and my sister over the past few days.
"Funeral services after my death and notes regarding them"
私の死後に色々走り回るのは家族なので、私の意志は二の次、というのは仕方ないのかなぁ、と、かなりガックリきています。
My family will be the ones who will be running around after my death, so I guess it's inevitable that my will is secondary.
ちなみに、子どもからは『所詮、パパも、"普通"以外の道を歩けないんだよ』と言われてしまいました。
Incidentally, my children told me, "After all, you can't walk any other path than 'normal' either.
NHKBS Premium Humanience "Genome Editing": Is it a Technology to Create New Human Beings?
ヒューマニエンスは、MCの織田裕二さんが『その内容を理解している/感動している』という様子が伝わってきて、とても気持ちがいいのです(織田さんの映画は、ちょっと私には合わなかったですが)。
"Humanience" is very pleasant because you can see how the MC, Yuji Oda, 'understands/is moved by its content' (although Oda's film was not quite right for me).
比して、「サイエンスZERO」は、ゲストコメンテータが『その内容を理解できていない/感動していない』という様子が、手に取るように分かり、イライラして、視聴するのを止めました。
In contrast, I found the guest commentators on "Science ZERO" to be unimpressed and not understanding the content, which irritated me and made me stop watching the program.
それはさておき。
That aside.
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さて、今回の"ゲノム編集"では、やはり「デザイナーベイビー」の話が出てきました。
Now, in this issue of "Genome Editing," they are also talking about "Designer Babies.
I think I am less resistant to human cloning and designer babies than most people.
とは言え、
However,
- Foster a child with DNA 100% identical to your own (genetically, 100% your own)
- Design, give birth to, and nurture a child with the talents you desire.
というのは、私ですら、(現時点においては)倫理的に大問題であることは分かります。
Even I can understand that these are major ethical issues (at this time).
In fact, the Chinese researcher who enforced this was convicted.
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このような「DNAの人為的な編集」による生命の誕生と、今や不妊治療では当たり前(主流)となった「試験管ベイビー」が、同列に論じられないことは、よく分かっています。
I understand that the birth of life through such "artificial editing of DNA" and the "test-tube baby" that has now become the norm (mainstream) in fertility treatment cannot be discussed in the same stage.
とは言え、今や、体外受精による出産は、今や16人に1人です。
Nevertheless, IVF births now account for 1 in 16 births.
学校の1クラスあたり2人は、試験管ベイビーで誕生してきたわです。
Two per school class have been born in test tube babies.
「試験管ベイビー」について、思考停止のタブーを続けていたら、2022年の新生児80万人のうち、5万人は誕生していなかったことになります。
If we had continued our thoughtless taboo about "test tube babies," 50,000 of the 800,000 newborns in 2022 would not have been born.
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現在、政府は「"異次元"の少子化対策」を唄っていますが、どうせ、"異次元"という言葉を使うのであれば、
Currently, the government is talking about "countermeasures against the declining birthrate in the "other dimension," but if you are going to use the word "other dimension," why not try the followings?
(1)人間への体細胞クローンの法律の緩和
(1) Relaxation of regulations on human somatic cell cloning
(2)人口子宮装置の研究開発費の大型投入
(2) Large R&D expenditures for artificial uterus equipment
(3) Large-scale introduction of reproductive R&D funding for same-sex couples
くらいのことを、やればいいのに、と思っています。
もちろん、上記(2)、(3)については、国民の合意形成と、立法措置も併わせて行っていく必要があります。
Of course, it is necessary to build public consensus on (2) and (3) above, as well as to take legislative measures.
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私は、この日本国を、壮大な実証実験フィールドにすることに、あまり抵抗がありません。
I have little resistance to making this country of Japan a grand demonstration field.
我が国が、上記(1)~(3)のような技術を確立し法的な保護を与えれば、世界中から我が国への移民希望者が殺到し、労働人口問題など、たちまち解決すると思うのですが ――
If Japan could establish and provide legal protection for the technologies listed in (1) through (3) above, I believe that immigrants from all over the world would come to Japan in droves, and the labor population problem would be quickly solved.
Well, it will not be possible in the foreseeable future (in 100 years) in our country, which is in a mess over matters as minor as married couples' separate surnames and my number card.
映画「翔んで埼玉」は、2作目もヒットしたとの話を聞いております。
I have heard that the second movie "Sho de Saitama" was also a hit.
「翔んで埼玉」は、楽しい映画ではありましたが、私は『爆笑して卒倒する』という程ではありませんでした(まあ、そんな映画、滅多にありませんが)。
Sho de Saitama" was an enjoyable movie, but not so much that I "burst out laughing and swooned" (well, such movies are rare).
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Yesterday, I was hit by "The Nakagawa Yosei 2022 "Finding a Property for Rent in Tokyo" by the Nakagawa, which I watched on YouTube (jump to YouTube).
"小田急沿線"、"下北沢いじり"、"新百合ヶ丘越え"、"南武線"という、私に馴染みの路線に加えて、
In addition to the Odakyu line, Shimokitazawa, Shinyurigaoka, and Nambu line, which I am familiar with,
(正直大阪は良く分からかったのですが)"梅田"、"京都"、"大津"は、大学時代の私のテリトリーでしたので、
(To be honest, I didn't know much about Osaka.) "Umeda," "Kyoto," and "Otsu" were my territory when I was in college,
―― 笑いました。
-- I laughed.
家族にもLineを送りました。
I also sent a Line to my family.
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このコントに登場する、(1)大阪(京都を含む)と(2)東京(の西側)は、私の過去と現在のテリトリーでした。
(1) Osaka (including Kyoto) and (2) the west side of Tokyo (the west side of Tokyo), which appear in this contrast, were my past and present territories.
「地元いじり」をして貰えるというのは、なんというか"嬉しい"ものです。
It is a pleasure to have someone "tinker" with the local community.
地味な地元に、スポットライトを当てて貰えるような感じです。
It is like having a spotlight shined on a humble local community.
「翔んで埼玉」が埼玉県の人に大ヒットしたというのは、至極当然のことでしょう。
It is quite natural that "Sho de Saitama" was a big hit with the people of Saitama Prefecture.
ただ、これは、いわゆる「身内ウケ」のようなもので、マスマーケティング的には美味しくなさそうな気がします。
However, I feel that this is what is called "private favour" and does not seem to be tasty from a mass marketing perspective.
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ちなみに、私は名古屋(の隣の市)の出身でもありますので、TVアニメ「八十亀ちゃんかんさつにっき」も笑えます。
By the way, I am also from Nagoya (the city next door), so I can also laugh at the TV anime "Yajukame-chan kansatsu nikki".
『地元ネタで笑える』ということが『地元を愛している』と同義かと問われると、ちょっと違和感を感じますが ――
I'm not sure if "laughing at local stories" is synonymous with "loving your hometown," though,
『愛』に近い"何か"があるんだろうな、とは思っています。
I think there is something similar to "love.