先日、娘の中学校(高校も併設)の文化祭に言ってきました。
私の楽しみにしていたのは、娘のクラスの夏休みの自由研究です。
大変レベルが高く、そして、中学生の視点からくり出される研究は、私の知的好奇心を満足させてくれ ―― あれ、何なの? これ今年の研究レベルの凡庸さは?
私は、嫁さんに、
「何か変だよ? 今年、長女のクラスの人間が、UFOにアブダクションされて、脳をいじられたとかいう話でもあった?」
と尋ねたところ、どうやら、進学に特価した特別クラスというのが増設されたとのこと。
そっちに、優秀な研究が集まってしまっているのではないか、というのが、嫁さんの仮説でした。
「そのクラスの研究を見てきたら?」
と言われたのですが、なんだか、それも寂しくてやめました。
その他、技術科学関係の部活の部報を貰って、「校外」で読んでいました。
うん、内容も検討も考察も、全然ダメダメですね。けど、それを言っては、子どもたちの面子と心を傷つけてしまいます。よけいなことを言えないように、校外で読むのが一番なのです。
まあ、それはさておき。
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今回の文化祭で、私が一番、遺憾に思ったことは、「飯がまずい」ということでした。
ここで「飯」とは、いわゆる「出店」のことです。
どうして、彼ら/彼女らは、あの品質の、あの味の、あの量の、「焼きそば」と「焼き鳥」を、あの値段で提供できるのか。
焼き方も、味付けも、全くなっていない。
「暴利」とは、まさにこのこと。
その程度の料理の技量で、一秒単位で悪化を続ける、「未婚者大量発生時代」を迎え撃つつもりか、君達は。
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『ええい、コテを貸せ! 野菜の炒め方、ソバの絡ませかた、そしてソースを撒くタイミング、この私が見本を見せてやる』
『原価率の算出方法、価格の決定メカニズム、まるでなっていない。そもそも、バランスシートを理解しているのか、君達は』
と、説教しそうになりました ―― もちろん、しませんでしたけどね。
学園祭とは、非日常の具現化です。ここに技術やら利益やらの無粋な話は「なし」です。
学園祭とは、彼らが、自分達が大人になったとき、幸せな時代があったと思い出せる「ポインタ」となり得れば、必要かつ十分なのです。
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にしても、一言、言いたいのだが、やっぱり、君達の作る「焼きそば」は不味いぞ。
高校生が作っているのだか「旨くない」のは仕方ないとして、学園祭のお客に「苦痛」を与える味というのは、改善した方が良いと思う。
是非、来年の課題として欲しい。