米国では、同性愛婚というのが公的に認められつつあるようです。
しかし、これは米国全体が、国是として同性愛を認容している、という訳ではないようです。
これは、米国赴任中に聞いた話ですが、米国人の保護者達は、
○社会的な同性愛婚を認容しつつ、
○自分の息子からホモセクシャルであることをカミングアウトされることを何より恐れている
という、矛盾した二面性をもっている、のだそうです。
しかし、人間とはそういうものでしょう。別段、矛盾しているとも思いません。
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「痛車(いたしゃ)」と呼ばれる車があります。
アニメのキャラクターを巨大に拡大したステッカーを、自動車の全面、背面、側面に張った車のことです。
なんというか「武士は喰わねど高楊枝」の真逆を走る、確かに痛々しく、しかし、潔い自己主張。
社会にどう評価されようが、好きなアニメの女性キャラクターを世間に開示して生きる姿は、清々しいとも感じます。
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と、そこまでは理解できる、・・・できるんだけどね。
仮に、娘が、「痛車」に乗った婚約者を自宅に連れてきたら、という仮説を勝手に作って、勝手に苦しんでいます。
―― 大丈夫よ。
私のパパは、いつだって
『価値観というものは個人に依存する不可侵なもので、
我々はどのような状況であれ、多様な価値観を認めれる人間でなければならない』
って、いつでも私に語っている、その「当事者」なんだから ――
と彼氏に言い含めて、そんでもって、その彼氏がそれを真に受けて、本当に「痛車」を自宅前の道路に駐車させた時、
私は一体、何を言い、どのように振舞えば良いのだろうか、と。
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良い機会です。
私も、カミングアウトしましょう。
「私のリベラル度など、所詮はこの程度です」