(Continuation from yesterday)
私達が理解に苦しむのは、
「自分の人生を終わりにしたかった」
という要望に対して、
「全然関係の無い第三者を殺傷する」
という必要性です。
# 「動機付け」といっても良いのかも。
「自分の人生を終わりにしたかった」に対しては、一定期間放置すれば、人生は終わるようにDNAにプログラムされています。
望ましいことではありませんが、自ら終了させることも可能です。(ここでは、自殺の法的責任については論じないものとします)
-----
例えば、
(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→
(2)「ついては、人生を終わりにしなくてすむ者達が、そのまま人生を生きているのが不愉快であり理不尽に感じる。そこで、そのような者を、巻き添えにしてやりたいと思った」
と言う動機付けなら、我々は激怒しながらも、その身勝手な理屈に対して納得した上で、犯人を憎むことができます。
しかしですね。
(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→
(2)「ついては、死刑になりたかった」
では、全然、理解できない訳です。
(1)と(2)の間を埋めるべき、私達が理解可能な理由付けが存在しないからです。
(To be continued)