「サポート切れのXPを使い続けることは「ヘルメットなしでバイクに乗る」と例えられるほど、サイバー攻撃の危険は高まる」
というフレーズの妥当性を、誰か教えて頂けませんか?
誰がこの「ヘルメットなしでバイクに乗る」ほど危険と言い出したのか、私は知りたいのです。これって「死亡事故になる」と言うことですよね。
「揚げ足」を取っている訳ではないのです。
マイクロソフト社は、当然、いつまでも古いOSの面倒を見るよりは、新しいOSに移行したいので、このように煽るのは当然です。
しかし、それを「検証もせずに、言われるままに信じ込む」という姿勢は、いかがなものかと思うのです。
大体、サイバー攻撃を「パソコン」で受ける事態になっていれば、Windows7であろうが、"8"であろうが、"Windows100"であろうが、そんなことは関係はない。DOS攻撃をしかけられて終りです。
フィッシングや、標的型攻撃メール、偽サイトに対して、「Windows7なら大丈夫」で「WindowsXPなら危険」という、その論理付けが、私にはさっぱり分からんのです。
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まあ、企業や公共サービスでは、「セキュリティパッチのサポートを受けられないOSを使い続けていました」と、「システムをダウンさせられました」の間に、何の因果関係がなくても、絶対に責められるだろう ―― とは思えます。
会社のシステムでは、私は、インストールの最中ですら、ウイルスが爆発したり、外部から攻撃がされていないか、スイッチングハブのLEDの点滅を見ながら、作業するという「チキン」な対応をしています。
もちろん、それはエンジニアとしてのプライドの問題でもありますが、企業の構成員としての責任でもあるのです。
ただ、この責任とは、それは「努力目標」に基づく「免責」 ―― もっとはっきり言えば、セキュリティに関する「言い訳作り」という面もあります。
ともあれ、XPを使っていようが、Windows98や、3.1や、MS-DOSを使っていようが、「絶対にこのシステムを守りきってみせる」と宣言する、システム管理者がいれば、―― 私は、惚れてしまいます。
まあ、それはさておき。
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そもそも、皆さん忘れているようなのですが、「セキュリティパッチ」を定期的に配布しなければならない、ということは、「そもそも、その製品は不良品である」ということですよね。
こういうことです。
「私たちは、不完全で安全でない家を販売しています」→「でも当初から完璧を目指すことは諦めています」→「ですから、逐次、泥棒に入られた人から事情を聞いて、修理(セキュリティパッチの配布)をしていきます」
―― そんな不良品を、最初から売るな!
「せっかく買って頂いた古い家については、もう修理はしません。泥棒に入られても、それを反映させません」
―― ふざけるな!
「そうそう、新しい家に引っ越す時の、家具の運搬の費用(アプリケーション移行費用)は、そっちで負担して下さいね」
―― 舐めるな!
纏めると、
古い家は、もう修理の予定がないので、新しい家を自分で立てて、自分で家具を運び込んで下さいね。その費用は全部あなたがが支払って下さい。引っ越さないのはあなたの自由ですが、何が起きても、私は知りません。
ということです。
それが、製品を売ってきたものの言うセリフか?
―― という理屈が通らないのは、よく判っています。
私も、OSの研究に携わった研究員であり、「完璧なソフトウェア」は存在しないし、いつかはサポートを打ち切らなければならないことも、心の底から理解しています。
しかし、WindpwsXPという10年以上にも及ぶ製品を保守してきた会社自身が、「WindpwsXPは危険だ」と叫び回っている姿には、ものすごい不快感を感じます。
そして、その声に、根拠なく唱和するユーザも同様です。
自分達が守ってきた/使ってきた製品に対して「愛」はないのか、と。
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という訳で、本日、私は、「我が家」のWindowsOSの移行計画の中断を決定しました。
ええ、サポート終了後も、江端家のメインPCは、WindowsXPで運用を続けます。私は、体を張って、「ヘルメットなしでバイクに乗ってみせます」
江端家の記憶媒体には、娘の書いた数多くのイラスト原案や、嫁さんの町内会のフリマのポスター、そして、江端のボツにした山のようなコラム原稿があります(まあ、多くの人にとって価値はないでしょうが)。
それらを盗んで、世間に晒せ! 江端をネットで笑い者にしろ!
そして、私が丹精込めて作り上げてきた、江端家セキュリティシステムを、完膚なきまでに破壊してみろ!!
そのような運用をしていて、やっぱり酷い目にあったら、その段階で私は皆さんに、正直かつ正確にご報告し、そして、浅学で深慮のない自分を自己批判をします。
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つまり私は「意地になっているのですよ」、年甲斐もなく。
「北極ラーメンファンド」トライアルチームのメンバより、コメントが届いて おります。
The members of trial teams "Hokkyoku-Ramen fund" sent me some comments by E-mail.
これから暫くの間、毎日ご紹介します。
I would like to open their comment every day.
======================= ここから ======================
======================= From here ======================
基山です。
I am Kiyama.
江端さんのアイデンティティを0.01%くらい削った基山です。
I might have scrapped Mr. Ebata's identification about 0.01% only.
早速ですが、下記の通り
By the way, I would like to apply to you for
「中本北極ラーメンファンド(通称:江端ファンド)」
"Hokkyoku-Ramen Fund ( Ebata's fund, so called)"
への申請を致します。
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■申請内容
- Content of application
「半北極ラーメンと半蒙古丼セット」完食
"Eating-up of half Hokkyoku-Ramen and half MoukoDon bowl"
■証拠写真
- Evidence of photo
下記フォルダをご参照下さい。
See the following folder
■完食に対する所感
- Consideration of this trial
納得の「クセになるおいしさ」でした
Delicious as "habit forming"
でも「2度目はない」と思います
No hope to the next
今もお腹が変な感じです
Feeling stomach ache
やっぱり課長はすごい
Our boss is great
======================= ここまで ======================
======================= To here ======================
どんなイベントであれ、翌日には、簡潔かつ的確に、きちんと証拠を揃えて、報告を行う
Even what types of event, submit the report with evidence properly, briefly and precisely on the next day.
それが研究員です。
We are research engineers.
(Continuation from yesterday)
必ずしも、そう言い切れないかもしれません。
We can hardly say with any finality that
そもそも、「年を取る」ということそれ自体が「権力」だからです。
Above all, "aging" is a power in itself.
会社の中であっても、職位はどうあれ、年上の人には敬語が使われますし、強い言葉や口調で批判するのは、躊躇される雰囲気はあります。
Officially, we use honorific to older persons, and hesitate to criticise them with strong tone and hard expression.
(私の勤務する会社の体質が古いということもあるでしょうが)
(The reason is likely to that the company I am working is a type of old company)
考えてみれば、中学や高校ですら、上級生には敬意を払うように仕向けられていますよね。
Come to think of it, we are induced to show our respect senior students even in junior or high school.
で、私達は別段、それを不思議とも、思わずに受けいれています。
I can accept the system with small wonder.
部活でロクな活躍をしなくても、―― 下手すれば、自分よりも遥かに技量が劣る人であっても、先輩という理由だけで、敬意を示すことが「範」とされるのは
Even if the senior student doesn't have a good activity, if it's worse case, he/she is inferior to our skill, the reason of "showing our respect for the senior looks like a good manner", is
『つまるところ、それが相互にとって管理コストが「安い」から』
cheaper than other ways for our society, in conclusion.
ということなのでしょう。
極論すれば、―― 民主主義の否定。
In an extreme case, it is denial of democracy.
「年齢に権力を」は、意思決定の「早さ」を優先したいという社会の要請の一つなのでしょう。
"An elder should has power" is a kind of request of society, in order to be fast in making decisions.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
その程度のお前の下らない自己満足の為に、「病気」「メンタル障害」「過労死」させられる側のこっちの身にもなってみろ
For such your private timid ambitious, why I should have a risk of "disease", "mental illness" and "overwork death" ?
―― と言いたい訳ですよ。
I want to claim the above.
例えば、
for instance,
(1)未来、数百年に至って、
(1)for future some hundred years,
(2)世界中の何億もの人々を幸せにする為の
(2)for the happiness for more than some billion human beings
(3)偉大な「革命」(私はこの言葉も嫌いですが)の為に、
(2)for a great revolution ( I dislike the word)
(4)巻き添えで殺されるのであれば、
(4)my life should be made victim of the revolution,
まあギリギリ諦められるかもしれないしれません(それでも絶対に許さないけど)。
I might accept to being a sacrifice (but I won't allow for the person).
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しかし、
However,
(A)お前の個人的なささいな虚栄や栄達ごときの為に、
for your private timid pride or personal aggrandizement
(B)「信長」や「竜馬」を気取って、
with setting up for "Nobunaga" or "Ryouma"
(C)私達を「過労死」させるような、
going after us with overwork death
(D)下種な動機で、組織を運営しているなら
managing a company with petty-minded motivation,
とっとと止めやがれ
Stop it as soon as possible
―― と言いたい訳ですよ。
I want to say that.
私は、社用の携帯電話を使用しているのですが、時々、得体のしれない電話がかかってきます。
I use a cellphone. provided by my company, and I sometimes take a phone call from an unknown company.
電話番号だけでは、相手が分かりませんし、会社の電話にかかってる以上、、一応、どんな電話でも受けなければなりません。
Even when I read the number, I could not specify a person or a company. So I have to take it by the company cellphone.
これまで、様々なバリエーションを試してきたのですが、最近は面倒くさくなって、以下のような対応をしています。
From now on, I have introduced several methods to you to counter attacks against these accidents. However, recently I come to bother to do them, so I just do the following action.
(Step.1) 電話が鳴ってきたら、自分の名前などは一切名乗らず「はい」とだけ言う。
(Step.1) When my phone rings, I just say "Yes" and don't say nothing anymore.
(Step.2) 相手の声が、非常に愛想のよい「こんにちはーー!」という言葉で始めたら、何もしゃべらず、ひたすら沈黙し続ける。
If the person say "hello!" friendly, I keep my lips and don't respond.
これだけで、大抵、相手が「スミマセン」といって電話を切ります。
In many case, the person hung up with saying "I am sorry".
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私、相手がしゃべっている最中にでも、一方的に電話を切れるのですが、会社の同僚とか見てみると、得体の知れないセールス相手でも、丁寧に対応しています。
I can hung up even when a person is talking. However my coworkers look friendly for even a person at the end of line from a suspicious company.
I am moved that
―― やっぱり育ちがいいんだなぁ
"they are good manner"
と感心します。
私なんて、
In my case. I can say the following line of
『こちとら、ネットワークの研究員だ。今度電話してきやがったら、逆探して、テメーの身元をネットに晒すぞ』
"I am a network specialist. If you call me again, I will track your call, and disclose your private information on the Internet."
くらいのセリフは、スラスラと出てきます。
fluently.
昔、お芝居(演技とか演出とか)に関わっていたからかもしれません。
The reason I can do it, is that I had some experience in living theater.
いずれにしても、多分、私の会社を狙っているセールスは、びっくりするんでしょうね。
Anyway, the person on the end of line, might be surprised at my phrase.
こんなガラの悪い社員がいるとは思わないからでしょうから。
They cannot expect such a rude man in my company.
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先日は、こんな対応しました。
The other day, I said,
『そっちの名簿で、私の名前が分っているなら、インターネットで検索してから、もう一度電話してこい』
"If you know my name in your list, find my name by the search engine and ,recall me"
概ね、電話は来なくなります。
In many case, my phone doesn't come to ring,
先日、父の四十九日の法要で、久しく親戚が集りました。
The other day, my relatives gathered for Buddhist event of my deceased father, after a long time.
しかし、遠方から、その法要の為だけに来て頂くことになる人もいて、申し訳ないという気持ちになりました。
However, I felt sorry that some people will only come for the Buddhist event from a distance.
すでに何度も申し上げている通り、私個人としては、葬儀に重きを置いていません。
As I have already told you many times, I personally do not put emphasis on the event.
(However, I know that the events are "meaningful" to the funeral)
ですので、私は、基本的に『欠席していいですからね』という気持ちが出るような対応をしていました。
So, I basically responded them to "there is no problem that you will be absent from the event".
ところが、私ではなく、親戚の方の方が、酷く熱心で、 ―― ぶっちゃけ『その意気込みに押し切られて、法要を実施した』という感すらあります。
However, some relatives, were seriously enthusiastic, and, to tell you the truth, It was not too much to say that I was pushed by the enthusiasm.
ゲストが儀式の開催を希望する以上、ホストがそれを却下することはできません。
The host can not reject the enthusiasm, if the guest wishes to hold the ceremony.
日本各地で(そして世界中でも)、冠婚葬祭に関して、毎日のように、価値観の衝突が起きているんだろうなぁ、と、ちょっとウンザリした気持ちになりました。
Not only in Japan, but also all of the world, I bothered that many clashes of values are going on everyday about ceremonial occasions.
それはさておき。
Set it aside,
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まあ、それでも、親しくして貰っていた親戚の方との法事後の食事会は、楽しいものでした。
However, the dinner party after the event with the relatives was fun.
子どもの頃に、大変、可愛がって貰ったことを思い出していました。
I remembered what they were very kind of me, when I was a child.
今回の食事会でも、
In this dinner party, some of them said,
『まあー、◯◯君。大きくになったわねえ』
"Well, you got bigger after a long time"
というセリフも登場していました。―― 意味は全然違いますが。
However, the meaning was completely different.
その子ども達も、すでに半世紀を越える齢を重ねて、ここにいます。
The children have already been here as a adult of more than half a century ages.
そのセリフの意味は、「健康診断は大丈夫?」「血圧に問題はない?」という意味に変貌していました。
The meaning was transformed into "Is your health checks okay?" "Is there no problem about blood pressure?"
で、私の方はと言えば、
and , for me,
『智一君は、大丈夫なの。ちゃんと寝れている? 食事は取れているの?』
"Are you okay? Are you sleeping well? Can you have a meal enough? "
という感じで ―― なんか、何か心配されているみたいでした。
They seemed to be worried about my health.
嫁さんが、
When my wife said that
『この人、自分の体を使って、ダイエットの実験やっていますから』
"My husband continues a diet experiment by his body"
と言った瞬間、「心配」は、2段階トーンの高い声の「非難」に変わりました。
At the moment, the worry changed a blame with the two octave voice.
『よしなさい、そんなことは』
"Stop it soon"
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以前、ダイエット関係の連載をやっていて、(連載は終わったのだけど)今もデータを取り続けているだけだ、と、いっても、非難の目は変わなかったように思えます。
I told them to the background that I had written columns about "diet" and I have just kept my weight measurement everyday. However they seemed not to stop blaming me.
私としては珍しいことなんですけど ―― そんなやりとりも楽しかったです。
I think that this was a rare case, but I could enjoy chatting with them.
(Continuation from yesterday)
仕事中とは言え、非日常を楽しめないことは、誰が見ても「損」なことなのだろうと、自覚しています。
I realize that I am not able to enjoy an extraordinary life, even while at work, is a "unhappiness".
しかし、私は、そのような非日常の時間の中で、自分の想定外のことが発生することが、酷く「怖い」です。
However, I am terribly "scary" that something unexpected happens in such extraordinary time.
I know the fact that "failure is a property".
それでも「失敗」というのは基本的に「痛い」ものです。
Still, "failure" is basically "painful".
過去で貴重な財産となっていたとしても、未来では可能な限り受けとりたくないもの ―― それが「失敗」です。
Even if it was a valuable asset in the past, it is something that I do not want to receive as much as possible in the future. That is "failure".
-----
上記の「怖い」「痛い」を纏める形容詞があるとしたら、「臆病」でしょうか。
If there is an adjective that expresses the above "scary" and "pain" together, it would be "coward".
■考えうる事前シミュレーションを行い、
- Even as if I perform possible advance simulations,
■思いつく全ての対策を施し、
- Even as if I prepare all the measures you can come up with,
■なお安心ができない ――
- I can't rest assured.
まさに、私は、「臆病者」の優れたサンプルと言えます。
Indeed, I can say that it is an excellent sample of "coward".
私が、どれくらい「臆病者」かというと、
How much "coward" I am,
■国内出張では、出張先までの経路で発生する人身事故を「2箇所」想定してしまい、
- In domestic business trips, I assume "two places" of personal accidents that occurr on the route to the destination.
■海外出張では、現地に到着すると、その足で翌日の打ち合わせ会場まで、実際に徒歩で歩いていってしまうくらい
- In overseas business trips, after I arrive at the site, I will actually walk on foot to the meeting venue of the next day.
です。
Indeed, the reason why I hate "personal accident" is a natural enemy against "coward".
(To be continued)
長女:「パパさぁ、"SPSS"って使ったことある?」
Senior Daughter: "Dad, have you ever used SPSS?
江端:「何・・・だと・・・? 今、"SPSS"と言ったか?」
Ebata: "What... what did you...? Did you just say "SPSS"?
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長女が、現在、卒業論文作成の為、フィールドのアンケートのデータ収集で、忙しい様子なのは知っていました。
I know that my senior daughter is currently busy collecting data for her field questionnaire for her "Graduation Thesis."
現在のコロナ禍にあって、リモートアンケート環境でのF2Fアンケートで、大変苦労している様子です。
In the current corona disaster, she is having a very difficult time with F2F surveys in a remote survey environment.
敢えて"偏見"を含めて言いますが、
I dare to say that I am "prejudiced".
―― 文系学科の卒論って、そんなに大変なのか?
"Is a thesis in a liberal arts department really that hard?"
と、正直驚いています。
And I'm honestly surprised.
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かつて、私が大学在学時代、文系の友人(女性)との会話で、
Once, when I was in college, I had a conversation with a humanities friend (female).
友人:「卒論仕上げるのに、3日間徹夜しちゃったよー」
"I stayed up all night for three days to finish my thesis!"
というフレーズに、何と答えるのが正解なのか、分からなくなったことを覚えています。
But I remember I didn't know what to say to this phrase.
(1)『ヘー、それはラクでいいね』
(1) "Heh, that's easy and nice"
(2)『えー、それは大変だったね』
(2) "Well, that was tough"
なにしろ、その程度の徹夜作業、工学部では、隔週で発生する通常イベントだったからです。
After all, that kind of all-night work was a regular event that occurs every other week in the Faculty of Engineering.
なので、最近の学生(ただし「長女」のみ)の学業への取り組みに、正直驚いています。
So, I'm honestly surprised at the recent efforts of students (but only "my daughter") in their studies.
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私が驚いているのは、「私の知見が古い」あるいは「偏見が入っているから」です。
The reason why I am surprised is that "my knowledge is old" or "my prejudice."
もはや、今の大学生は「理系」と「文系」という単純な枠組みでは、把握できないのでしょう。
Today's university students can no longer grasp with the simple framework of "science" and "humanities".
これは、「動ける学生」か「動けない学生」か ―― という学生側のアクションではなく、
This is not an action on the part of the student, "a student who is active" or "a student who is not active".
「動ける人間を作れる大学/学部」か「作れないか大学/学部」か、が問われるようになると思います。
It will be "The university / faculty that can make people who can be active" or "The university / faculty that can make people who can be active".
実際、娘を見ている限り、娘の在学している大学の学部は、私の中では高評価になっています。
In fact, as far as I can see my daughter, the faculty of the university she attends is highly rated by me.
閑話休題
Quiet talk
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"SPSS"とは、IBM社が製造・販売している、データ分析のスタンダードソフトウェアです。
"SPSS" is standard software for data analysis manufactured and sold by IBM.
私は使ったことがありませんが、超有名ソフトです。
I have never used it, but it is a very famous software.
ちなみに、私が使い込んだデータ分析ソフトは、概ね、NTTデータ数理システム社の製品です。
By the way, the data analysis software I used is mostly a product of NTT DATA Mathematical Systems
like this and this.
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それはともかく。
Anyway,
自分の娘から、"SPSS"の言葉が出てこようとは ――
The word "SPSS" is coming out of my daughter.
『今、娘が大きく羽搏(はばた)こうとしている』
"Now, my daughter is about to flutter in the world."
と、私は、思わず感慨に耽ってしまいました。
I was deeply moved.
時々、『江端さんは、シミュレータを作る時に、どういうモデル化をして、I/F(インターフェース)を規定しているんですか』という質問をされることがあります。
Sometimes I am asked, "Mr. Ebata, when you create a simulator, what kind of modeling do you do to define the interface (I/F)?"
私の答はいつも同じです。
My answer is always the same.
『何も考えていないです』
"I don't think about it."
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私のプログラミングは、現実にある世界のモノを、構造体(クラス)に記述して、モノ同士で通信が必要になったら、後でI/Fを追加しているだけです。
In my programming, I just describe things in the real world in a structure (class) and I/F later when things need to communicate with each other.
私は、こういう設計思想を「オブジェクト設計」といい、この思想に基づくプログラミングを「オブジェクト指向プログラミング」というだけのこと ―― と思っています。
I believe that this kind of design concept is called "object design" and programming based on this concept is just called "object-oriented programming".
このプログラミングのメリットはただ一つです ――
There is only one advantage to this programming --
『ラク』。この一言に尽きます。
"Easy". This is the only word that comes to mind.
ただ、この『ラク』を実現する為には、「オブジェクト指向プログラミング」の特徴と言われているものを、何一つとして使わない、という腹の括り方が必要です。
However, in order to make this "easy", you need to be willing to not use any of the features of "object-oriented programming".
ちなみに、「継承」や、「汎化」なんぞ、使いません。デバッグする時に面倒くさいからです。
I don't use "inheritance" or "generalization" because they are too much trouble when debugging.
「多重継承」なんぞ、確実に混乱します。
"Multiple inheritance" is sure to be confusing.
「ポリモーフィズム」が必要なら、作り方が下手くそなのだ、と思っています。
I believe that if you need "polymorphism," you're not very good at making it.
"private"とか"public"など死ぬほどうっとうしいので、私は全部"public"にしてしまいます。
I find "private" and "public" annoying to death, so I just use "public" for everything.
こういうものを使うと、プログラムの可読性メチャクチャ悪化します。とても、読めたものではありません。
If you use this kind of thing, the readability of your program will get really bad. It's not very readable.
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まあ、ここまで割り切った考え方ができるのは、これは「研究員の個人レベル」のプログラミングだからできるのかもしれませんが、
Well, maybe it's because this is a "personal level" programming of a researcher that we can think this way, but
『私にとってのモデル化とは、登場させる"モノ"を、自分の目で見えるままに、クラス(構造体)で記述するだけ。以上』が、私の手法です。
For me, modeling is simply describing the "things" that I want to appear in a class (structure) as I can see them. That is my method.
それ以外のことは、「必要になった時に覚えればいいんじゃないかなー」と思うんですよ ―― 『必要になる時なんて、あるのかなあ?』とも思っていますが。
Other than that, I think it's fine to learn when you need it -- although I wonder if the time is coming.
I am continuing to do abdominal and back (and pull-ups) exercises with the above device.
一般的には、「ちょっと苦しくなるくらい」の(腹筋または背筋の)回数が良いとされていますが、私の経験上、これは正しくありません。
It is generally accepted that a "slightly painful" (abdominal or back) numbers are good, but in my experience this is not correct.
―― 1mmたりとも苦痛を感じない段階で止めてしまう
"Stop at the number of times I don't feel any pain at all"
が正解です。
is correct.
ほんの僅かでも、『苦しい』と感じることは『継続しない』ことを私はよく知っているからです。
I know very well that even the slightest amount of 'suffering' will not 'keep me going'.
「全く苦しくないトレーニングを、ダラダラと継続しつづけること」は、
"To continue to train without any pain at all" is much better than
「ちょっとでも苦しいトレーニングを、時々サボる」より、ずっとマシだからです。
"To skip the occasional workout that's a little painful"
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この程度の事実を記載した自己啓発本を、私は読んだことがありません。
I have never read a self-help book that states this fact.
正直、不思議です。
Frankly, I am wondering.
本日、家族でアイスクリームを食べていた時のことです。
When I was eating ice cream with my family today,
娘から、
my dauguter said
『ジャニーズに、自分の子どもを入所させた親たち』
"Parents who have enrolled their children at Janny's."
という観点を提示されて ―― 衝撃を受けました。
I was presented with the perspective that -- I was shocked.
はじめて、この事件を『自分の視点から見えた』と思えました。
I could 'see' the case from my perspective for the first time.
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もちろん、この事件は「ジャニーズなんとか」という名前の、運よく鬼籍に入って逃げ切った、鬼畜の所業です。
Of course, this case is the work of a demon named "Johnny's Something," who was lucky enough to get away with his death.
被害者、そして被害者の保護者に、1mmの過誤も瑕疵もありません。
There was not a single millimeter of error or defect on the part of the victim or the victim's guardian.
ですが、被害者当人はもちろんですが、その親たちの、悔しさ、悲しさ、そして、その怒りは、私には想像もできません。
However, I cannot imagine the parents' frustration, sadness, and anger, not to mention the victims themselves.
もし、嫁や娘が、こんな形で陵辱されたら ―― 多分、私は『私を止めない』。
If my wife or daughter were to be humiliated in this way -- maybe I wouldn't 'stop me.'
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この本の中に、古代中国、春秋時代の呉の政治家であり軍人でもあった、伍子胥の話が出てきます。
In this book, there is a story about Corporal Castle, a politician and soldier of the Wu Dynasty in ancient China during the Spring and Autumn period.
彼は、父と兄が楚の平王によって処刑されたため、楚を逃れて呉に亡命しました。
He fled Chuxing and went into exile in Wu after his father and brother were executed by King Ping of Chuxing.
そして、16年後、呉の将軍となった伍子胥は、楚の都郢を陥落させました(紀元前506年)。
Sixteen years later, Corporal Castle, now a general of Wu, fell the capital city of Chu (506 B.C.).
平王は既に死んでいたので伍子胥は王墓を暴き、平王の死体を300回に及び鞭打って恨みを晴らした ―― これが、「死者に鞭打つ(死屍に鞭むちうつ)」の語源になっています。
Since Ping Wang was already dead, Corporal Castle uncovered the royal tomb and whipped Ping Wang's corpse 300 times to settle his grudge -- this is the origin of the phrase "whipping the dead."
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同じようなことが、今の我が国で起こったとしても、私は驚きません。
I would not be surprised if something similar happened in our country today.