今回寄稿したコラムの、「海外に長期赴任が決まった後輩A君に贈ったメール」というのが気にいっています。
だれか、このメールをボカロで歌わせてくれないなぁ、と考えています。
コンセプトとしては、伊武雅刀さんの歌う「子供達を責めないで」です。
-----
基本的には、歌に合わせて、このメールの文章を適当に変えて貰ってもいいと考えています。
早速、次回の寄稿コラムでの執筆テーマの予定である「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」で表記することを考えています。
このホームページのトップで表示している"CC BY-ND" では、楽曲作る人が、歌詞を一部も変更できなくて困るだろうから、"CC BY" で許諾すれば良いのかな、などと考えています。
-----
色々考えるのが面倒なので、あの N次著作問題一括解決装置「ピアプロ」に突込んでみるのもいいかも、と考えています。
ですが、完璧にスルーされるかもしれないし、そうすると、私でもちょっと傷つくと思うので、今、いろいろ考え中です。
最近、「江端先生」で始まるメールを頂くのですが、違和感があります。
Recently, I got a mail that starts the phase "Ebata-sensei (Dr.Ebata)", but I feel odd.
私は、学習塾の講師を辞めて20年以上になりますし、その後、人を教える職業についたこともありません。
I had resigned a lecturer of prep school, and I have never been a teacher.
博士号の学位を持っている訳でもないし、高度な専門職についている訳でもありません。
No doctor degree and no professional specialist.
-----
しかし、これを「呼ぶ人」の立場から考えてみると、これまた仕方がないのかもしれません。
From the viewpoint of mail senders, I am afraid that it cannot be helped.
「江端さん」ではなれなれしく感じる人もいるかもしれませんし、「江端様」では他人行儀です(最初は他人ですが)。
They think that "Ebata-san" might be too free, but "Ebata-sama" should be remoteness (Of course, everyone is stranger for the first time).
-----
まあ、「江端先生」でもいいのかもしれません。
"Ebata-sensei" looks like to be good.
私が21歳の時に、中国を一人で旅をしていた時、特にお歳を召されている中国の方には、敬語として「○○先生(シェンション)」とお呼びしていましたし。
When I have made a lonely trip in China at twenty-one years old, I called old Chinese persons with "sensei".
それ意外に、単に「ご年配」という意味で「先生」というのでも間違っていません。
As another way, “sensei" means "who is older than me".
「単に、自分より先に生きている江端」→「江端先生」であれば、
So you call "Ebata-sensei", because "Ebata is born before me."
―― うん。私の中では受け入れ可能です。
O.K. I can accept "Ebata-sensei".
以前、女子高校生の間で、
Previously, I heard among high school girls, the diet fashion of
「アイスクリームに唐辛子をかけて食べる」
"chili pepper on soft ice cream" had expanded.
という、一瞬「は?」っと言ってしまいそうな食べ方が流行っているというという内容のインタビューの場面をテレビで見たことがあります。
For the first time, I didn't understand what this was all about it when watching the TV program.
『アイスクリームのカロリーを、唐辛子の燃焼力で、チャラにする』という考え方に基づく、ダイエット(カロリー相殺)手段、ということなのです。
It was said that "the Calorie of the soft ice cream is going to be lost by burning function of the pepper", which was a new type of diet.
-----
まあ、一種の「おまじない」みたいなものだと思いますし、子どもは、こういうトライアルを続けて、成長していくものですし、そうでなくては「子どもではない」と思えます。
I thought that it was a kind of spell. Children are growing up through these illogical experiments. I though that they were really children.
私がカチンきたのは、番組製作者側の『小娘をバカにしている感じ』の番組の構成です。
In opposition, I felt offended an attitude of the TV producer side, who made fun of the girls.
「まったくナンセンスである」という態度で振る舞っていましたし、保護者が「こんな食べ方をしていたら体を壊す」と心配しているシーンも放送されていました。
They had an attitude as much as to say "it should be nonsense", and they also broadcast her guardian's interview, who were worry for her health.
-----
『なぜ、彼女に、このような食べ方がナンセンスなのか、論理的に説明してやらないのだ』
"Why do you give her your logical experiment about its nonsense?"
ちゃんと消費カロリーを計算して、その結果を示して、説明するべきだろう?
They should have explained about the result after calculating the consumed Calorie.
I thought
『あんたら、大人なんだろ? 子どもの健康に係わることなんだろう? なにヘラヘラ笑っているんだ』
"Are you adults? is this for children's health? Why do you laugh at her frivolously?"
と思ってしまったのですよ。
というか、彼らの中に、このダイエット方法の非合理性を説明できる者は、多分一人もいなかったのだろう、と思うのです。
I mean, probably I thought that there would be no people who can explain the illogicality of this diet method.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
つまり私にとっては、
For me,
「大きな苦しみを受けいれる代わりに、大きな喜びを得られる」(「エースをねらえ!」の桂コーチの名言)
"A great deal of pleasure is coming in return for a great deal of suffering" (by Mr.Katsura trainer in the comic "aim for your ace")
という人生よりも、
is inferior to
「全ての苦しみを拒絶する代わりに、凡庸な人生をダラダラと生きる」
"Living a mediocre life in return for rejecting all kinds of suffering".
という人生の方が、はるかに価値があるのです。
I think that the latter life is more valuable than the former.
-----
ところが私のような主張をする意見は少なく、その声も小さい。
However, my opinion like above is few, and the sound is small.
世の中には、自分の「痛み」の過去や「痛み」の哲学を語りたくってしょうがないヤツらで溢れかえっているのです。
There are a lot of guy who want to talk about their past pain and present philosophy in the world.
―― 実に不愉快だ
"How awful they are?"
無痛の人生の何が悪い?
What is wrong about painless life?
痛みを伴う人生が好きなヤツは、好きなだけ「痛み」を楽しめばいい。
If they love their pain so much, you enjoy them by themselves.
そんなマゾヒスティック哲学を私に押しつけるないで欲しいんですよ。
I don't want to be enforced their own masochistic behaviour.
迷惑ですから。
Because they annoy me.
-----
次は、「無痛の歯の治療」ですね。
The next target is "painless dental treatment".
その後は、「無痛恋愛」 ―― と書きかけて、気がつきました。
After that, we are going to aim "painless love affair".., but I came to that,
恋愛シミュレーションゲームで、「無痛恋愛」は完成していました。
we have already embodied the "painless love affair" by simulation games.
-----
そして、最終的には「無痛死」の論理づけに至りたいと思います。
I want to run into the logic of "painless death" eventually.
「AIシリーズ連載」の一つのテーマとして、「SFで登場するAI」というのを調べてみたいな、と思っています。
Now I think that I want to know about "AI in SF" as a theme of "AI series serial".
「SFで登場するAI」としての超有名どころでは、当然「2001年宇宙の旅」の「HAL9000」ですが、
As far as superfamous as "AI in SF", of course, "HAL 9000" of "Travel of the Universe 2001"
私の中では、圧倒的に、故 小松左京先生の
In my mind, overwhelmingly, Komatsu Sakyou-sensei's
「さよならジュピター」のスペースアロー号の「電子脳(ブレイン)、ナヴァホ」です。
It is the "Electronic Brain (Blaine), Navajo" of a Space-ship "Space Arrow" of "Bye-bye Jupiter".
このフレーズを読み直すと、今でも心が震えます。
When I read the following phrases again, my heart will tremble.
======
"ナヴァホ"がほとんどパニックにおちいりかけたのは、測定をやりはじめた直後だった。――
"Navajo" scarcely panicked, after he started doing the measurement. -
(中略)
(Abbreviation)
"ナヴァホ"は、休止中の残り全系統に、「衝撃的」といっていいほどの急激なコールをかけ、宇宙船と周辺空間の状態に対して、あらゆるセンサーをつかった、あらゆるレベルと精度の「緊急チェック」を指示した 。
"Navajo" made a sudden call like "shocking" to the rest of the dormant remaining lines, and instructed "emergency check" of all levels and accuracy to the state of the spacecraft and surrounding space, using all sensors,
―― 同時に、生命維持システム系に対しても、「冷凍睡眠(コールド・スリープ)」中の2つの生命体に、危険水準ギリギリの「緊急覚醒コール(アージェント・ウエイト)コール」をかけるように命じた。
At the same time, "Navajo" ordered "emergency awakening call" on the edge of dangerous level for life support systems to two living organisms in "cold sleep",
======
この小説が、私の人生をかなりの確率でひん曲げたのは、間違いないと思います。
I think that this novel is absolutely broke my life with a high probability,
これは、私の小松左京先生の「さよならジュピター」ネタの数でも、明らかです。
This is also clear even in the number of my talks about "Bye-bye Jupiter".
-----
私、この「AIシリーズ連載」で、電子秘書の名前に「ナンシー」と名づけています。
In this "AI series" I named "Nancy" as the name of the electronic secretary.
自分でも、この理由がよく分かりませんでしたが、私の中では、議論の余地がないほど決まっていました。
Even I did not understand this reason well, it was decided absolutely in my mind.
で、先ほど、ようやく、その理由が分かりました。
So, I understood the reason finally.
―― 「さよならジュピター」の主人公、本田英二の「秘書(セクレタリ)コンピュータ」の名称が"ナンシィ"だったから
"Nancy was the name "secretary computer" of the main character "Eiji Honda" in "Bye-bye Jupiter".
「摺り込みって、凄いな」と思ったりしていました。
I thought "brainwashing is amazing".
-----
さて本論に入ります。
Well, Go back to the board.
「AIシリーズ連載」の一つのテーマとして、「SFで登場するAI」というのを調べてみるのに際して、江端に、「SFで登場するAI」を皆さんに推薦して頂きたいと思います。
As one theme of "AI series", I would like you to recommend "AI in SF" to me , before I start search for "AI in SF".
面倒でしょうから「お前は、黙って、○○の本を読め/映画またはアニメを見ろ」と一言頂くだけで結構です。
It will be troublesome for you, "you shut up and read a book of xxx or look at a movie or anime of xxx", just a single phrase is fine.
ただし条件としては、
As conditions, however,
(1)ただAIが人間として振る舞う話はダメ
(1) a story that AI just acts as a human, is not good.
(2)AIやアンドロイドが主人公となるものものダメ(AIギャルゲー系、可愛いアンドロイドが、最後に主人公を守って死ぬような話、等)。
(2) a story that AI or androids become the main characters, is not good. (For example, for games for AI girls and stories for pretty androids)
(3)例題
(3)Examples.
望ましい方向:小説:さよならジュピター、虚無回廊、未来の二つの顔、創世記機械、未来からのホットライン、アニメ:ヘビィ・オブジェクト、アルノドア・ゼロ
Desirable direction:(omitted)
推薦して頂く必要のないもの
Not to be recommended(omitted)
ドラえもん、キテレツ大百科、ベイマックス、ガンダム、攻殻機動隊、とあるシリーズ、シビュラシステム、マギー、SAO、マクロス、ターミネーター、ブレードランナー、STAR WARS、ウォー・ゲーム、2001年宇宙の旅
という訳で、
So,
「江端はだまってこの本/映画/アニメを見ろ」から、あなたのご意見をお待ちしております。
I am waiting your opinions from the site of "I would like you to recommend "AI in SF""
(Continuation from yesterday)
最近、私は、こんな感じで、トラブルが発生する予感がすれば、いつでも逃げ回っています。
Recently, whenever I feel that a trouble will occur, I always run around.
しかし、「逃げ回る」ということも、日々の訓練が必要なのです。
However, to "run around" also requires daily training.
人は、事態を改善することを期待して、そこに留まってしまうものだからです(例:火災、地震等で避難をためらう人)。
People are expected to improve the situation and stay in the current situation (eg, people who hesitate to evacuate due to fire, earthquake etc).
年を重ねるとこの傾向は顕著なります。
This trend becomes prominent as years go by.
私は、日々「逃げ回る」を心掛けることで、トラブルに巻き込まれる率が、格段に減ってきたように思えます。
I think that the rate of getting involved in trouble has drastically decreased by keeping in mind "running around" every day.
-----
今、車両を移動して、この日記の執筆を続けたいたのですが、今度は目の前に、丸刈りの高校生の団体が(運動部バック持ち)が乗り込んできました。
Well, now I'm moving the car and continuing to write this diary, however, next time, a group of high school students who cut the crawls (with exercise back baggage) came in.
そして、7人つの巨体を振り回して、大きな声でバカ話をしています。
And they wave around seven big bodies, and are talking stupid in loud voice.
―― まあ、そういう日もあるか
"Well, it's just one of those days"
と、今日は、色々と諦めることにしました。
Today, I decide to give up a lot.
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
Today, new my column is released, so I take a day off.
世界を「数字」で回してみよう(58) 働き方改革(17):
障害者雇用対策に見る、政府の覚悟と“数字の使い方”
Let's turn the world by "Number"(58) : Work style reform(17) "
Government's Resolution and "How to Use Numbers" in the Employment Environment for the handicapped
-----
今回のコラムの第一稿では、珍しくEE Times Japan編集部から「懸案」が示されました。
For the first draft of this column, the "EE Times Japan" showed me a "pending in issue".
まあ、何故、難色が示されたかというと、コラムを読んで頂ければ一目瞭然です。
Well, the reason why they showed it, will be clear, if you read this column.
私たちの社会には『コストで計ってはならない』ものがいくつかあって、今回のコラムは(今回のコラム"も")、そのタブーに、土足で踏み込んでいるからです。
Our society has some problems that cannot be expressed numerically, this column (also) goes into with its shoes on on of the the problems.
もっとも、私は、第一稿で『この問題は、数字で回しても解決可能である』という論旨を展開していました。
Originally, I had argued that "this problem will be resolved even from the viewpoint of the cost" at the first draft.
しかし、それでも、この私ですら、この問題を「数字で語る」ことは、怖かったし ――
However, even I felt fear to talk this problem from the cost view,
―― 正直、今でも怖い。
"To tell you the truth, I feel fear of it"
-----
担当のMさんから「懸案」がメールで伝えられたのは、ちょうど、新人歓迎会が終って、二次会に向かおうかとしていたところです(原則、私は、二次会には出席しませんが)。
When I received a mail from Ms.M, executive editor, we were about to go the post-party for a newcomer.(though I am used not to attend any post-party)
その後、私は、自宅に戻るまでの記憶がありません。
After that, I could not remember how to go home back.
どのように原稿の内容を変更するかを、ずっと考え続けていたからです。
Because I thought deeply how to make an alteration of the first draft on the way to my house..
その日の深夜、新しいコラムのプロットを案出して、翌日、担当のMさんからO.K.を貰いました。
In the middle of the night, I submitted a new plot to Ms.M, she gave me "O.K." to me, at the day after.
-----
結果として、今回のコラムは、
As a result, this column worked for
―― 有意義な10連休の使い方
How to use meaningful the ten day consecutive holidays
になりました。
私、「孫子の兵法」という本、いくつかの翻訳書や解説書で何度か読みました。
I've read the book "Sun Tzu's Art of War" several times in several translations and commentaries.
―― つまり原文は読んでいない、ということです。
"I mean, I haven't read the original text."
抜ける手があるなら、その手を尽す、というのが私のモットーです。
My motto is that I'm willing to make the effort to cut corners.
それはさておき。
Aside from that.
「孫子の兵法」は、色々と学ぶべきことが多い本ですが、それを、仕事や人生に活用しよう、などということは考えたことがありません。
Sun Tzu's Art of War is a book with a lot to learn, but I've never thought of applying it to my work or my life.
何故か。
Why?
この本、徹底的に「経営者視点」だから。
Because this book, thoroughly "management perspective".
下っ端を、徹頭徹尾「道具」として取り扱い、その「道具」に示す愛情すらも勝つための戦略の一つである、という割り切りが、不愉快です。
The book treats our underlings as "tools" all the way through, and even the love they show for that "tool" is one of your winning strategies. I am uncomfortable with the ideas.
特に、「兵士を窮地に陥れて、その力を最大限発揮させよ」という下りは、とてもムカつきます。
In particular, the phrase "put the soldiers in a corner and let them use their strength to the best of his ability" pisses me off.
-----
「孫子の兵法」を引用して、新型コロナ対策を論じているブログとか見ると、笑ってしまいます ―― 大爆笑です。
When I see a blog or something like that, quoting "Sun Tzu's Art of War" and discussing new corona countermeasures, I laugh -- it's a huge laugh.
『彼を知り己を知らば、百戦殆うからず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし』
"If you know your enemies and allies well, you'll have little to worry about breaking into any battle"
を引用して、国民や政府がどうあるべきか、を、偉そうに語っています。
He quotes this phrase and talks about how the people and the government should be, arrogantly.
「本当におめでたい」と思っています。
I think that "he is really happy".
(To be continued)
先日まで、アニメ「スーパーカブ」の主人公のことを『私の妹』とまで言っていた、長女が、
My senior daughter, who had even referred to the main character of the anime "Super Cub" as "my little sister," until the other day, is saying now,
『あまり可愛くない』
"She's not so pretty"
と言い出しました。
江端:「なんで?」
Ebata: "Why?"
長女:「バイクの初心者が、あんなにバイクに精通していてはダメだ。もっと色々な失敗を重ねて、ライダーとして成長していかなければ」
Daughter: "A beginner should not be so familiar with motorcycles. She need to make more mistakes and grow as a rider"
まあ、色々な視聴方法や感想があって良いと思います。
Well, I think it's good to have various ways of viewing and opinions.
-----
私も、大学の通学にオフロードバイクを使っていました。
I also used to use an off-road bike to get to college.
私は、バイクに「かっこ良さ」などというものを1mmも求めたことはありません。
I have never looked for "coolness" in a motorcycle.
私がバイクに求めるものは、ポータビリティと燃費であり、そして、大きな課題は「防寒」と「雪害」でした。
What I was looking for in a motorcycle was portability and fuel efficiency, and the major issues were "cold protection" and "snow damage".
私の住んでいた、当時、京都市の極北に位置していた街は、雪が降るとバスも動かなくなるので、深刻な問題でした。
The city I lived in, which was located in the extreme north of Kyoto at the time, was a serious issue. When it snowed, the buses also stopped running.
降雪した日に、高熱を出して下宿で倒れた時は、本当に危なかったです ―― 私の命。
My life was really in danger when I collapsed in my lodge with a high fever on the day of the snowfall.
朦朧とした意識で、みぞれ雪がレインコートを抜けて体の中に入ってくる状況で、両足を付きながら125CCのバイクを動かして、クリニックに行った私は ―― 本当に偉かった、と思う。
In a dazed state, with snow falling through my raincoat and into my body, I rode my 125cc motorcycle with both feet to the. I was really great.
ともあれ、防寒対策をする為であれば、私は、何でもしました。
Anyway, I did whatever I could to protect myself from the cold.
オフロードバイクに装着できるウインドシールドもあったのですが、小さくて、防寒には役に立ちそうにありませんでした。
There were windshields that could be attached to off-road bikes, but they were too small to be useful for keeping out the cold.
-----
私の辿りついた最終形態は、
The final form I've arrived at, was
―― スキーウェア、グローブを装着して、バイクに乗る
"Putting on ski clothes, gloves, and getting on the bike"
でした。
キャンパスにバイクを停めてから、スキーウェアを粗大ごみ用のビニール袋に入れて、それを持って、キャンパス内を濶歩(かっぽ)していました。
I parked my bike at the campus, put my ski clothes in a plastic garbage bag, and carried it around the campus.
『そういうことに全く頓着(とんちゃく)しない』という私の気質が、私のバイクによる学生生活を支えたのです。
My character of "not caring about such things at all" supported my life as a motorcycle commuter.
高齢者が熱中症で倒れる ―― というのは、父が実家で一人で住んでいた時、現実的な恐怖でした。
Old-agers fall down by Heat Disorder, was a realistic fear, when my father lived alone in his house.
父が死去した後、『そういう夏に恐怖しなくてよくなった』と思った時は、正直ホッとしたことを、気まずく思ったものでした。
After his death, I felt in relief "I don't have to fear summer anymore" unpleasantly.
しかし、逆に言えば、同じような心配をしている人が ―― 夏が怖い ―― という人たちが、この日本には、山ほどいるということです。
On the contrary, there are many people who fear "summer" in the world, as I once was.
そして ―― そう遠くない未来、「父」と「私」が入れ替わる時がやってきます。
And in the near future, the time is coming that I will replace with my father.
-----
最近、熱中症ではなく、ハンガーノック(空腹)で倒れかけたお話をしました。
Previously I told you that I was about to fall down with Hunger-Knock, not Heat Disorder.
私は、コロナ禍の中、肥満にならないように、日々、エネルギーの消費と供給を、かなり厳密に計算して過してきました。
I have watched both consume and supply of calories in the COVID-19 disaster period severely, to be attention for my weight.
その結果、ちょっとした非日常で、あっというまにバランスを崩してしまうようになりました。
As a result, I come to collapse my health-balance easily with a little unusual day.
もちろん、「歳のせい」という面もあります。
Of course, I know that the reason is my old age.
-----
これは、仕方がないことです。
However, I think that it cannot be helped.
高齢者は、様々な新たな障害を起こし続け、ちょっとした非日常によって、簡単に命を落すことがあるのです。
Old-agers continue to face new disorders everyday and lost their life easily with a little unusual day.
そのような悲劇に直面した時、『仕方がなかった』と思えるようにしておいて下さい。
When you face the tragedy like that, I hope that you think "It cannot be helped".
人間には、いずれ『自分の空腹や飢渇に、全く自覚できなくなる』というフェーズがやってくるのです。
Any human-being will have to walk into a new phrase that "unconsciousness against hunger and thirsty"
私にも、あなたにも、です。
Both you and I are.
自分で作ったコードは、原則として、他人の環境では動かない ―― これ、コードの常識です。
As a rule, your code will not work in someone else's environment -- this is common sense for code.
仮想環境やマイクロサービスは、その問題を解決する手段なのですが、その環境を作るのにも失敗する ―― これ、環境構築の常識です。
Virtual environments and microservices are a way to solve that problem, but they also fail to create that environment -- this is common sense in environment building.
総じて『人の作ったコードを、自分のパソコンで動かそうとすると、大変苦労する』というのは、 開発者の常識です。
It is common knowledge among developers that "it is tough to run code written by others on a computer.
で、問題はここからです。
And here comes the problem.
この常識を知らない人は、開発者に対して「なぜ動かないか?動かすにはどうしたらいいか?」と、平気で質問をしてきます。
People who do not know this common sense will ask developers, "Why doesn't it work? How do I get it to work?" they are not afraid to ask questions.
―― そんなもん分かるわけねーだろう
"How could I possibly know that?"
と、しか返事のしようがありません。
The only way I can reply is.
だって、私の環境では、コードは動いているからです。
Because, in my environment, the code is working.
-----
開発者に、質問者を『助けてやりたい』と思わせるか、『うっとうしい野郎だ』と思わせてしまうかを、分(わか)つ分岐点があります。
There is a dividing line between making the developer think, "I want to help you," and making the developer feel, "He's an annoying son of a bitch.
それは、『この問題を解決する為に、自分にできることは全てやりきった』ことを、できるだけ詳細に記載することです。
It is to describe in as much detail as possible how you have 'done everything you can to solve this problem.'
これによって、あなたの真剣さと、あなたの苦しみが、開発者に伝わ(ることがあ)ります。
This will let the developer know how serious you are and how much pain you are in.
後は、できるだけ丁寧な文面で、『時間があって、気が向いたら教えて下さい』というフレーズを、必ず加えることです。
After that, you should be as polite as possible and add, 'Please let me know when you have time and feel up to it.
善意かつ無償でコードを公開している開発者は、あなたの問題を解決する義務も責任も1mmもなく『気が向いたら助ける』が原則です。
Developers who release code in good faith and for free are not obligated or responsible for solving your problems but are there to "help when they feel like it."
-----
Well, the story here is the same as the story here.