私にとっての「京都」は、若い頃の幻想で、一過性のものであり、そして本質でもなんでもないだろうということは、自分でも、よく分かっています。
I know well even by myself, that for me, "Kyoto" is an illusion of a young age, transient, and no essence.
なにしろ、私にとっての京都とは、―― 「着物」でも「和菓子」でも「工芸品」でもなく ―― 「天一ラーメン」と「牛丼」と「定食屋」と、そして「電気工学」と「電子回路」で構成されていた、といっても過言ではありません。
After all, It is no exaggeration to say that Kyoto for me is not even "kimono", "Japanese sweets" or "crafts". Kyoto is "Tenichi Ramen", "Beef Bowl", "Diner", and "Electric Engineering","Electronic Circuit".
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それでも、京都を扱うコンテンツ ―― 寺や店を使うサスペンスドラマなんぞは、どーでもいいのですが、、アニメやラノベで「京都」という用語を使われるタイトルのコンテンツは、どうにも評価が厳しくなります。
Still, for contents dealing with Kyoto, my evaluation will be tough for contents of titles that use the term "Kyoto" in animation and lanobets, not suspense drama that uses in temples or shops.
とはいっても、私は、京都については「四条」「伏見」「木屋町」と言われても、別段、何も感じることはありません。
However, I do not feel anything else, even if the title includes "Shijo" "Fushimi" "Kiyamachi",
しかし、「三条」「烏丸」「修学院」「北大路」「岩倉」と言われると、
However, when someone uses "Sanjo" "Karasuma" "Shogakuin" "Kitaoji" and "Iwakura", my thinking circuit comes to be activated, like,
―― それは、「オレのシマ」だ
"That's my territory"
―― 勝手に入ってくるんじゃねえ
"Do not come in arbitrarily"
とかいう、訳の分からん思考回路が発動します。
うん、本当に、意味不明な上に ―― 本当に、バカ。
Yes, really, this is meaningless and I am really stupid.
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最近、ラノベやアニメのタイトルが、京都を北上しています ―― 私は心配です。
Recently, the title of novel and animation is going north on Kyoto - I am worried.
For example, the animation "Holmes of Kyoto Teramachi Sanjo" has started.
「寺町」は、私のシマではないのですが、「三条」は私のシマなんですよ。
"Teramachi" is not my territory, but "Sanjo" is my territory.
『オレの納得しない作品だったら、許さん』などという、メチャクチャ理不尽ことを考えている自分を感じて ――
"I would not forgive you, if the work become not good", I can feel an unreasonable me
自分がちょっと怖い。
I am a bit scared of myself.