先日、満員電車の中でのことです。
The other day,
座席に座って、吐きそうな様子をしている若い女性の前に立っていた私は、次の駅で、即座に下車して、別の車両に乗り換えました。
In a crowded train, when I stood up in front of a woman, who seemed to be vomit, I got off the compartment, and change it.
嘔吐に巻き込まれたり、その現場に立ち会うなど、御免だったからです。
I don't wish to be concerned in such be vomited, and a witness to the scene.
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という話を、先日家族にしました。
I told the above story to my family.
長女:「『困っている外国の人がいたりしたら、必ず助ける』とか、『最初に優先席に座っておいて、席を必要とする人を見たら、必ず席を譲る』ということをやっているっていっていたよね」
My senior daughter said that "you make it a rule to help foreign persons in need" and "you always keep a priority seat to give a person in need the seat"
私:「うん。実際にそう思っているし、そうしている」
"Yes, I do and have done them, indeed"
長女:「矛盾している!」
"It is contradiction!"
私:「・・・あのなぁ」
"You know...”
と私は、娘に語り始めました。
I told her the following,
―― 私の親切は、私の予定範囲内のものだけだ
- My kindness ranges within my expectation.
―― 私が対処できない人までも、助けるつもりは、これまでもこれからも、一切ない
- I had and have no intention to help person that I can't reach my capability.
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私:「つまり、パパの親切とは、『無償かつ無限の親切』ではなく、『無償かつ、限定的な親切』だ」
"In other words, my "kindness "is not "free and infinite" but “free but limited".
長女:「・・・」
"..."
私:「パパのことを卑怯だと思ってもいいが、それでも、「ゼロよりはまし」だと、パパは信じているけどね」
"Do you think that I am cowardice? Still I believe in "it is better than zero""