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2014-02-09 しかし、その「お元気なご老人」の「最期」は、放送されません(後半)。 [長年日記]

(「前半はこちら」からの続き)

具体的には以下の2点。

There are concrete two points as follow.

(1)もう、もとの生活に戻れず、今より悪くなっていくことが確定した命を、その命の持ち主は、どう考えて生きているのでしょうか?

(1)How do they think their life that have already been decided that they cannot return to the previous health life, and go worse than now.

(2)そして、当事者ではない私たちは、そのような命を、どのように把握して生きていくべきなのでしょうか?

and, (2)How do we have to understand their life from the third person's views?

この問題が哲学の領域の問題であり、ソーシャルワーカやケアマネージャの人には、荷の重すぎる質問であることは、十二分に判っていました。

I knew well that these questions belonged to philosophy, so it should has been hard for social workers and care managers to answer the problems.

しかし、「現場」という観点では、彼らこそがスペシャリストである、と考えました。

However, from the viewpoint of "on-the-spot", I thought they were really specialists.

彼らは、明示的には言ってくれませんでしたが、黙示的に「解はない」と教えてくれた ―― と考えています。

They didn't answer my questions explicitly, I believed that they told me that "nothing to answer" implicitly.

上記(1)の質問に対しては、「産まれてきてよかったハズである。生きてきてよかったハズである、と思えるように、人生の最期を生きること」

According to the (1) question, that is "getting the ending time they feel happy to had been born and their life"

上記(2)の質問に対しては、「産まれてきてよかったハズである。生きてきてよかったハズである、と思わせるように、人生の最期の環境を整えて上げること」

According to the (2) question that is "making their ending time they feel happy to had been born and their life"

と。

で、私は「それは、一体どのようなものなのですか?」と、さらに尋ねたところ、

Additionally, I asked the care persons to what it is in detail.

「『優しい気持』『穏やかな気持ち』『安心できる気持ち』にさせるようなものだと思います」と教えて頂きました。

They answered me "warm, calm and easy feeling".

更に私は、「それはどのように具体化されるのですか」と尋ねました(私も、たいがいしつこい)。

Insistently, I asked them how to give sharp the feelings.

「それは『一所懸命』を一生懸命やることでしょうか。所詮、私たちにでることは、その程度のことだと思うのですよ」と、おっしゃっておられました。

They told me that "I think we do best for "doing our best". What we can do is such thing, after all.

深く感銘を受けるお話だったと思います。

Impressed deep stories, I thought.

「一生懸命」が、そのまま「優しさ」に至るとは限らないし、ましてや、健康な元の日々に戻すことなんかできない

Not all "do best" can reach "warm feeling", much less to make them return to old good days.

―― でも、それしかできないじゃないですか、と。

However, What we can do is such thing.

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全ての人生が死に向っている以上、私たちは、皆、負ける運命にある ―― これは絶対的な事実のようです。

All of the people in the world have fate of defeat. I think this is real grit.

とすれば、目的や目標を与えられて、そこに向かって進むことを、絶対的な価値のように言われている今の世の中、―― それは、受験でも、仕事でも、なんでもいいのですが、―― このような価値観は、人生の最期の最期で、完全に裏切られることになる。

So, the concept of value that going to purposes or targets for example, examination and business, is the best, eventually becomes meaningless.

私たちを、受験や仕事に追いたてて来たものに対して、嘘つき!」「嘘つき!」「嘘つき!」と、100回呼び続けても、もう、その時では遅いのです。

It should be too late if we accuse the concept in the last stage of our life, with shouting "you are a liar!!" repeat.

「目的・目標指向ベース」の生き方を、今変えておかないと、私は人生の最期の最期で、世の中を呪詛しながら死んでいくことになりそうです。

Unless I change the direction of my life now, I am about to going to death with cursing the world around me.

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今の私は、「優しさ」とか「愛」とか、そのようなものの片鱗しか理解できていないと思います。

Now I think I understand a little part of warm feeing and love.

でも、今のうちに、人生の位置付けを「目的」や「目標」などというものから、方向転換していかないと、

Unless I change the direction of "purposes" and "targets" to others, I come to think,

―― マジでヤバイ

Seriously dangerous.

と、真剣に思い始めています。