以前より、面倒くさくて、なかなか取り組めなかった「靖国問題」の勉強(単に読書)を始めています。
私も、人生の後半の前半くらいには差しかかっているし、この問題に関して、そろそろ自分なりの見解を出しておく必要はあるかなぁ、と思ったからです。
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靖国問題というのは、フェルマーの最終定理と同じように見えます。
フェルマーの最終定理は「設題は恐しく簡単なのに、その証明が死ぬ程難しい」というものであり、
靖国問題は、「論点は非常にクリアなのに、その答えが無数に存在し、合意に至りうる世論の形成が恐しく難しい」というものです。
―― どの意見も正しくて、間違っている
どんな意見を言おうとも、どこからでも批判され、下手をするとテロの対象にもなりかねない。
なるほど、この問題から逃げ出したくなる人が多いというのも、理解できます。
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「靖国問題」について、結論を出せないまでも、問題点のラインナップくらいは挙げられるようにしておきたいなぁ、と思って、色々な書籍に目を通してみたのですが、どうにも、よく分からん。
そんな時、図書館でたまたま見つけた「靖国への帰還」という、内田康夫さんの小説を読みま した。
―― 時をかける青年 + 靖国問題
靖国問題にタイムリープを導入するという、そのSFエンターテーメント性は、「時空間フリーク」の私の心にドンピシャに嵌りましたし、靖国問題の論点を、どちらに偏ることなく、絶妙のバランスとライトな感覚で描写しています。
重厚で陰鬱な問題にも関わらず、それを、登場人物のキャラクターに喋らせながら、ライトに書くという技量が、どれほど偉大な創作であるか、私は思い知っている人間の一人と自負しております。
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それで、嫁さんに、この本を勧めたのですが、『靖国? なんか、嫌だなー』と言われました。
まずまず、妥当な反応だと思います。
右翼宣伝カーに醜悪に記載されている「靖国」の文字だけの責任ではないでしょうが、ここまで、多くの人が「関わりたくない」と思うまでに至ってしまった「靖国」が、
実のところ、
霊験とか、尊厳とか、国威とか、国家とか、そういうややこしい話でも、
国民全員に同じ方向を向かせるような思想とか理念でも、
そういう「正解」を求める問題ではなくて、
単に、美しい山や川に対して、静かに頭を下げるように、
亡くなった人に想いを馳せて、懐しく思い出すように、
自分の心に「在る」ものを、静かに見つめる為に、
どこにでもある、町内会の集会場の横にある、普通の小さい神社と同じように、
ただ「在る」だけでいいじゃないか、ということを、
とても自然に教えてくれる、お勧めの一冊です。
(嫁さんも読了しました。『面白かった』とのことです)