私の敬愛する二人のハードSFの巨匠、小松左京先生と、ジェームズPホーガン先生が、立て続けにお亡くなりになったとき、私は心底に堪えました。
あの巨匠たちから、もう作品が創作されないのかと思うと、たとえようもない寂しさがあります。
これを突き詰めて考えれば、「その人」を惜しむのでなく、「その人から生まれるはずだった作品」を惜しんでいる訳です。
そのように考えると、創作者というのは、惜しまれる対象を、いくつも持っているんだなー、と、少し羨ましくなりました。
それはさておき。
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ジェームズPホーガン先生の名作中の名作「未来の2つの顔」は、人間が、コンピュータに対して実験的に破壊攻撃をしかけて、それがエスカレートして、ついに何百人もの死傷者を出す戦争にまで発展してしまう、SFでよくある「コンピュータ対人間の戦争」の話です。
最後に、コンピュータが人間の思考形態を理解するに至って、この話は平和的に解決するのですが、最後に印象深いシーンがあったので、概略を紹介します。
『なるほど、このコンピュータは、人間と共存できる能力を獲得できたのかもしれない。しかし、他のコンピュータはどうだ? この能力を獲得する為に、またコンピュータと死傷者を出すような戦争をやらなければならないのか?』
『なんで? そんな必要ないじゃん。このコンピュータは、確かに『まぐれ』の産物だけど、その『まぐれ』の産物は、無制限にコピーできるんだよ?』
『あっ!』
という話が、このSFの「落ち」になっています。
コンピュータは、その理屈がどうあれ、「動いてしまえば、こっちのもの」という面があるのは事実です。
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このたび、私はWindows7へのSKKIMEのインストールに、「まぐれ」で成功しました。
なんで動いているのか、全然分かりません。
でも動いています。動いてしまえば、こっちのものです。
後は、その手順や構造、あるいはカーネルイメージを、別のコンピュータやシステムに、コピーしまくれば良いのです。
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今の社会を支えているインフラシステムの中には、「まぐれ」で動いているものが含まれていることがあることは、かなり公然の秘密だったりします。