ちょっと、古い記事になるのですが、初音ミクを生んだ“革命的”技術を徹底解剖!ミクミクダンス、音声、作曲…というコラムを寄稿したことがあります。
これは、私が、ボーカロイドの仕組みが分かなかった時に、特許明細書、アルゴリズムそして、ソフトウェアの構成に至るまで、「初音ミク」の技術的調査を行った時の解説記事です。
-----
最近、読者からのツイートにこんなものがありました。
『この著者はミクを単なるプログラムだとしながら、それに対しての愛を否定していない。本当はどう思ってるか知らないが、その配慮が好きだ』
私は、最初、このフレーズの内容を理解できなかったのですが、暫く考えて、ようやく、分かりました。
―― あ! そうか!そういうことか!!
このツイートは、私の「愛」に対する疑義です。つまり、プログラムの一形態にすぎない「初音ミク」を、江端は本当に愛しているのかと問うているのであると、ようやく理解しました。
この読者の、疑義は妥当だと思います。
コンピュータのアプトプットを、普通の人間が普通に愛すことは、かなり難しいだろうと ―― 私でも思えるからです。
-----
しかし、私は、普通の人間ではないのです。
エンジニアなのです。
エンジニアは、無体物への愛を否定しません。いや、むしろ積極的に肯定します。
-----
例えばですね、私は、自分の開発したソフトウェア(仕事で開発したものと、プライベートで開発したものの区別なく)が、大好きです。
そのソフトウェア達が、私の思った通りに動いてくれた時には、コンピュータの前で、「よくやった! 偉いぞ!!」とソフトウェアを褒めながら、ビールを喰らったことは、数知れず、です。
-----
また、別の話になりますが、
何年か前に、ある移動体の通信方式の研究をしていたことがあり、その仕事の内容が、ある会社の交通機関で採用して頂いたことがありました。
それから数年後、たまたま乗り合わせた、その交通機関で、偶然パソコンを開いた時に、インターネットが繋がってしまった時、
私は、―― 嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなくて(滂沱といやつ)、終点の駅まで、その感動を、嫁さんにメールしながら、一人泣き続けていました。
周りの人には迷惑をかけたと思います。
相当、気持悪かっただろうなーと。
-----
まだあります。
ある日本最大手の電話会社の交換機(ルータではない)のソフトウェアの開発を手伝っていたことの時です。
その交換機装置の再起動が上手くいなないので、困っていたことがありました。
その交換機の開発主任に相談したところ、
「お前は、その再起動時に『愛を込めて』リブートボタンを押したか」と言われました(本当の話)。
「いいか、こうやって、左上方から、ゆっくりと右下方に向けて、腕を内側に曲げるようにしてだな、そうして『立ち上がって下さい』と心の中で念じながら、ボタンを押せば」(本当に、このセリフの通り)
「ほーら。な。」
主任がリブートボタンを押せば、いつでも、その交換機は再起動に成功したのです。
-----
私の中では「『技術』は『愛』というプラットフォームの上でしか機能しない」は、信念でも観念でも思い込みでもなく、
―― 「事実」です。
まして、ですよ。
「初音ミク」は、可愛らしい外観と、素晴しい歌唱力、そして、驚異的なダンスパフォーマンスを提供する、現時点における最高水準の技術の粋なのですよ。
そのような「技術」に「愛」が宿らない訳がない。
-----
皆さんの多くは、我々エンジニアを見損なっています。
我々は、交換機にさえ「愛」が求められるのです。
そのような我々が、ボーカロイドへの愛を、理解できない訳がないのです。