先日、出勤時に、地下鉄の駅で駅の出口の方向を向いて、両手をあるパターンを繰り返して動かしている、初老の御婦人を見ました。
私が知っている限り、その動きは「手旗信号」。
背筋を伸ばしつつ、動作はキビキビとしており、一つ一つの姿勢が堂に入って おり、この御婦人は、退役した自衛隊員に違いないと確信しました。
この携帯電話の普及しつくした時代にあって、このような通信手段を見せて貰 えるとは、なかなか稀な機会だ、と思いました。
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しかし、その御婦人の正面の方向には、私がどんなに目をこらしても、手旗信 号の通信相手どころか、誰もいなかったのです。
その視線の先には、地下鉄駅の出口があるだけでした。
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ふうん、なるほど。
「認識の客観性を担保する手段」などというのは、青くさいティーンが好きそうな話題ではあります。
しかし、そもそも、そのような手段はなく、そのような議論をすること事態が不毛です。
「世界は人間の数だけある」が正解です。
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その御婦人の目には、私には見えない何かが見えていたのだろうな ―― と思うと、『自分の目に見えるものだけが、全てではない』ことを痛感します。
遠からず未来に、私も、誰とも共有できない世界に生きるのだ、ということを、今のうちから自覚しておかなければ、とも思っています。