先日、 「役員」やら「管理者」なんぞに、本当に成りたい人がいるのかという日記を書きました。
本日はその続編です。
先日、本件に関して記事を読んでいたら、「女性役員、女性管理者を増やすという、国策(?)」について、ある女性の方が、ブログで、
―― いらんことするな
という主張をしていました。
「これまで、男性上司に対して有効であった、『ヤバい時の泣きマネ』が通用しなくなる世界は、脅威であり」
「女性役員、女性管理者が、マイノリティ(少数派)であるうちは良いが、そのような上司が増えれば、旧来の『女の武器』を使う機会が脅かされる」
のであると。
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まあ、男の上司は、女性の部下を叱責している時に、いきなり「泣かれ」たら、うろたえてしまうことは、想像に難くありません。
回りから見ても非常に印象が悪く、マネージメント能力に、×印をつけられて、下手をすれば降格の理由にもなりかねません。
そう考えると、これは、確かに「強力な武器」であることは否定できません。使い方によっては「暴力」にもなると思う。
比して、ここに女性の上司が表われて、『ヤバい時の泣きマネ』を発動したら、どうなるか。
―― そりゃ、「スルー」されるだろう
と思えます。
女性管理者は、その武器を使わないで修羅場をくぐってきたのであれば、そんなものによる反撃は、怖くも何ともないでしょうし、回りの目だって、全然印象は違うでしょう。
確かに、これは、多くの働く女性にとって、半端でない「脅威」と「機会損失」となるのかもしれません。
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とは言え、私もこのブログを本気で読んいた訳ではありません。
筆者が本気でこんな意見を言っている訳ではないことは、文体から読み取れましたし、基本的にはブラックユーモアの類であることは、よく分かっています。
しかし、そんなことはどーでも良いのです。
私が私自身に、かなり絶望したことは、
―― 一瞬でも、私がこの意見(女性上司マジョリティ脅威論)の可能性に達することができなかった
という事実です。
つまり、「マジョリティとしての女性役員、女性管理者」の意味(というか効果)に、全く至れなかったということです。
私は、自分では性差を気にしていない人間と信じていたのですが、実際のところ、こういう「思い込みをしている奴」ほど、たちが悪い上に、業が深い。
私を含めて、こういう奴等は、「リベラルな主張を理解していれば足りる」と信じている分だけ、物事の見方に多様性がなく、詰るところ
―― 何も分かっちゃいない
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嫁さんに、こういう「女の武器(『ヤバい時の泣きマネ』等)」を行使したことがあるか、と尋ねたところ、不快そうな顔で
『そんなこと、考えたこともない』
と、断言されました。
一方、長女(中学生)に、こういう「女の武器」を行使する予定があるか、と、尋ねたところ、真剣そうな顔で、
『そういう効果が見込めるのであれば、行使を躊躇(ためら)わない』
と、断言されました。
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たった2件のインタビュー結果ですが、こんな身近に、これだけの真逆の意見が存在しているのです。
このような意見を「一元化」して把握するのは、無理なのかもしれない、と思います。
この問題を、全体感をもって把握する為には、
「一度、女性として生まれ変わる」
しか方法がないのかもしれません ―― と、諦めかけています。