今上映している、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の予告編で、飛行機エンジニア達が、「計算尺」を使っているシーンがありました。
「計算尺」とは、稼動式の2つの定規を組み合わせて、目盛りを合わすことで、計算を行うものです。
なぜ、そんなことを知っているかというと、私は、高校生の頃の選択教科の「計算尺クラブ」に入っていたからです。
しかし、なんで、私がそのようなクラブに入っていたか、不思議なのですが、 ―― それ以上に、なんで、そんなクラブが存在していたか、の方が、とても気になっています。
ちょっと調べてみたのですが、その当時、電卓はもう、それほど高価なものではなく、普通に使われていました。私が大学に入学することには、BASIC言語が使える関数電卓がありましたから。
―― そんな時代に、なぜ「計算尺」なんだっけ?
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計算尺も、ソロバンと同様に、練習問題というのがありましてですね、それが、なんというか、誤差付きなんですよ。
思い出しているのですけど、たしか、「解答欄」の記載はこんな感じだったかと。
"4.67~4.84 x 10^8"
この範囲の答であれば、「正解」ということです。
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このような誤差を認容する計算手段(計算尺)で、当時は、航空力学の最先端技術である、戦闘機を作っていたということは、本当に驚くべきことです。
あの東京タワーも、数十人のチームが何ヶ月もかけて、計算尺で構造の力学の計算していたそうです。
ですが、その計算は、今なら(ソフトウェアの作成時間を除けば)、パソコンで1秒も必要なく完了できるものなのだそうです。
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コンピュータの影も形もなかった時代と、コンピュータが社会インフラの全てを制御するこの時代とを比較して、何か劇的に変化したことって、何かありますかね?
私には思いつかないのです。
例えば、ボーカロイドの映像や音声を作り出すコンピュータリソースの消費量は、私の在学中の当時の大学の大型計算機センターの全能力をはるかに越えると思います。
今や、そのコンピュータリソースは個人で所有できるレベルに至っているのですが、その潤沢な処理能力の行きついた先が、"YouTube" や "初音ミク" ?
―― なんか、違う。
そもそも、私達は、そんな脅威の計算能力を手に入れたのに、「幸せ」になっているような気がしないのですよね。
一方、SFの描くコンピュータ社会の最終形は、コンピュータが政府を乗っとり、外交を行い、勝手に戦争を始め、人類を滅亡させてしまうものですが、―― 現在のコンピュータシステムでは、この境地には遠く及ばん。
はっきりいって、「不幸」にもなっていない。
そのくせ、コンピュータシステムは、いまだに、全米の1/3の地区を大停電させたり、航空機の墜落事故や、鉄道の停止ミスや、ATMを使用不能状態にし続けています。
―― もう、そろそろ、「自分で自分を直せ」と言いたいです。
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「計算尺」の時代に生きた人は、ノイマン型コンピュータが実現することで、素晴しい未来がくると信じていたと思うのです。
その人達に、『潤沢なコンピュータリソースの未来の成果物は、これです!」といって、「初音ミク」を紹介したら ――
まあ、私なら、間違いなく「怒る」と思う。