上記のイラストで、娘が「金欠なう」との文言を入れております。
これは、私がこずかいによる金銭的な虐待をしている訳ではありません。
理由を尋ねたところ、
―― 友人と二人で、2000円で食べ放題のしゃぶしゃぶ屋に行ったから
なのだそうです。
女子中学生が、二人でしゃぶしゃぶの鍋をつついている絵。
想像するに、なんともシュールな光景です。
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私も、人生で2回程、「低料金の食べ放題のしゃぶしゃぶ屋」にいったことがあります。
一度は大学生の頃。もう一度は社会人になってからです。
大学生の頃、あんなに美味しいと思ったあの牛肉が、社会人になってから「これは『紙』か?」と思うくらいに、文字通り「味気ない」味と感じました。
「舌が傲った (おごった)か?」とも思ったのですが、多分そうではないと思います。
大学生の時、私は、低料金の食べ放題のしゃぶしゃぶ屋で、「牛肉」ではなく「牛肉という概念」を食べていたのだと思うのです。
「牛肉」という非日常を食す ―― これは、ビンボーな苦学大学生にとって、一大イベントであったはずです。
「牛肉」という有体物ではなく、「牛肉という概念」という無体物を食して喜んでいられた。それはそれで、幸せな時代だったのだろうと思います。
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嫁さんは、学生の頃に「吉野屋の牛丼」を一回食べたきり、その後の人生で食べたことがないそうです。
「牛肉の味がしない」のだとか。
嫁さんは間違っているのです。
「吉野屋の牛丼」に、「牛肉の味」などを求めてはならないのです。
「吉野屋の牛丼」とは、「牛丼」ではありません。あれは「吉野屋の牛丼」なのです。
米、牛肉、タレ、紅生姜、七味唐辛子、(ときどき生卵)が有機的に結合した一つの作品なのです。
そして、何よりあれは、「吉野屋の牛丼」という「概念」なのです。
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ですから、嫁さんが「牛肉の味がしない」というのは当然です。
「吉野屋の牛丼」からは「吉野屋の牛丼」の味しかしないのですから。