私の携帯電話のメールアドレスが流出しているようだ、というお話は以前致しました。
本日、ネーチャンの写真入りのメールが、携帯に登場してきて、私は「切れました」。
いや、かつてのように報復メールのDOS攻撃をかけるということはしません。今となっては、あんまり効果もないでしょうしね。
一番簡単な手段 ―― メールアドレスを変更する ―― ことに決めました。
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世の中には、メールアドレスを変更することに対して、抵抗がある人が多いようです。
友人関係や仕事の重要なアイテムである以上、メールアドレスを変更することは、それなりのインパクトがあるとは思います。
嫁さんの場合、仕事の依頼はメールでやってくるので、特に大変だと思います。
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私の場合、この辺の「マインド」がちょっと違うようでして、メールアドレスは勿論、携帯電話の電話番号を変更した後でも、そのまま放置してしまいます(勿論、業務で使っている電話は別ですが)。
「携帯電話をかけあう友人が存在しない」という環境が、それを簡単に実現させてしまうのです。
そのような環境が「気にしない」「苦に感じない」という人生は、どっかが間違っているのかもしれませんが、これは私の巨大な「強み」と認識しています。
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しかし、こうやって定期的な人間関係の整理をしていると、「お前の携帯が繋がらない。どうなっている!」とクレームをしてくる人もいます。
事情を説明すると「なぜ、電話番号の変更を知らせないのだ」と文句を言われます。その辺は、逆に察して欲しいと思うのですが。
結果として、携帯電話番号を変えることによって、もっとも「享受を得たい利益」が、逆に得られないという矛盾も含むことにもなる訳です。
「無報告の電話番号変更」も、これでなかなか難しいのです。
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しかし、「これは、逆の使い方もあるな」と思いつきました。
「電話がかかってこなくて寂しい」と感じる人は、世の中に多いのですよね(私はよく知らんのですが、小説とかブログとか読んでいると、ちょいちょい目にする)。
どうでしょうか。いっそうのこと電話番号を変えてしまっては。
電話がかかってこないのは、あなたの人柄や人格とは無関係です。物理的に繋がらないんだから、しょうがない、と思えるですよね(思えないか)。
いかん、話が二転、三転していますね。元に戻します。
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ともあれ、私の携帯電話の電子メールは、明日から変更されます。
これで、スパムメールを全部殺せるかと思うと、非常にいい気分です。
私のように、さくさくメールアドレスを変更する風習や文化が根づくといいだろうに、と思うのですが、世界がこのパラダイムに至るのは、難しいのかもしれません。