ラスベガスで開催されている家電見本市で、日本の家電メーカが「脱テレビ」の基調講演を行ったそうです。
私自身は10年くらい前から「脱テレビ」だったので、今更という感じですが。
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私は自分の部屋に、2万円の地デジチューナに、不要となったHDDと、ヤフオクで購入した5000円のディスプレイを繋いでいます。
ディスプレイは、パソコンとも併用可能で、録画した地デジの映像も十分にきれいです。
もはや、テレビというハードウェアの「箱」を買う理由がないのですよ。
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かつて「インターネットテレビ」という製品がありましたが、自社のポータルを強制的に仲介させるというアホな仕様を組み込み、ユーザに嫌われて、コケました。
また、3Dテレビも、変な眼鏡を装着してまでテレビを見たいというユーザの数を見誤って、コケました。
「テレビなんぞ、飯食いながら見る程度しか価値がない」と言うことは、もちろん家電メーカの人たちも分かっていたと思うのです。
起死回生の一手として、そこに賭けるしかなかった彼等を、同じエンジニアとして、私は批判することなんかできません。
テレビはディスプレイだけあれば良く、本体なんか雲のむこう(クラウド)にあれば良いのです。
我々はコンテンツが欲しいのであって、テレビが欲しい訳ではないのですから。
ま、それはさておき。
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昔、保護者は「テレビを見る=勉強する時間が無くなる」という理由で、子供から、テレビを遠ざけようとしました。
しかし、結局その時間は、PCで見る「ニコ動」や「YouTube」に置き代わっただけで、あまり何も変わっていないように思います。
それならば、家族がコンテンツをシェアする時間があるだけ、まだテレビの方がマシのような気もします。
しかし、世代毎のコンテンツの嗜好は、もう絶望的くらいに隔っており、共有される可能性はないでしょう(初音ミクを出すまでもない)
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発想を転換しましょう。
我々自身がコンテンツになるのです。
お父さん:日曜日には、家族に練習した落語を披露して下さい。
お母さん:土曜日には、カルチャースクールで習ったラテンダンスを披露して下さい。
子供たち:学校のできごとを、毎日紙芝居で披露して下さい。
これを2週間でも続けられたら、大したものです。
うんざりして、げっそりする家族の顔が、ありありと見えてきます。
その後は、家族で見るテレビ番組は「NHKニュース」に限定してしまいます。
もう誰も文句は言えません。
極め言葉は、「好き嫌いいわずになんでも美味しく『見なさい』。そうでないと、お父さんに落語やってもらうわよ」
で、O.K.です。