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2011-01-12 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その4) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

○『自分の人生が、そこに存在していたかどうか』を、世界の誰からも認識されず、そして、自分自身ですらもよく分からない。

○10秒後に自分がいなくなったところで、そこには何も変わらず続く世界が残り、信号交差点の信号機が切り替わるように、自分という点滅が消えるだけ。

○「自分の死」に幾許(いくばく)かの意味も見い出せず、そして、多分その通りである。

このような認識に至った時、人は、自分の死に対して、飢えるような気持で、「手続」を求めるのではないか、と。

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自分以外の誰かに、身柄を拘束され、自分の人生に評価がなされ、議論がされ(被告と原告での争い)、判断がされる(裁判官の判断)、執行される。

ステップ1→ステップ2→・・・、と順番を付けられ、自分の人生の終結を他人に委ねることになろうとも、そこには「自分の人生」の為の手続がなされ、そ れなりの取り扱いがなされること。

前述した、(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→(2)「ついては、死刑になりたかった」の間を埋めるべき「もの」とは、

万策付きた絶望の漆黒の闇の中で、最期の人間としての取り扱いを求めて、彼らが餓えるような思いで求めている

「手続」

なのではないかと。

(続く)

(To be continued)