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2009-11-21 るろうに剣心 追憶編 [長年日記]

素晴しい作品なので、一度ご覧になることをお勧め致します。

全米でDVD売上第7位なったという(本当か、これ?)脅威のコンテンツだそうです。

感想も他の方が沢山記載されているので、これも割愛します。今なお、音楽を聞くだけで涙が出てきそうです。

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しかし。

私を激怒させたのは、英語のサブタイトル(字幕)です。

普通、英語のサブタイトル出さないかもしれないのですが、どういう風に訳しているのか気になりました。

「滅茶苦茶じゃないか!」

酷い。酷すぎる。

これでは、全く別の話になってしまう。

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■幕府御庭番の長の言葉

「判らぬなあ。おなごと言うものを」

→"The weakness of heart. Our most formidable enemy"

(恐るべき敵は、我等の弱き心だ)

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■巴が死んだ後の、桂小五郎と緋村剣心の会話の部分

「巴もそれが判っていたから、俺を守っていてくたのだと思います」

→"Tomoe was destroyed by Shogunate.They used her emotions to control her"

(巴は、幕府に殺されたのです。彼等は、彼女を使う為に、彼女の心を利用したのです)

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「新時代がきたら、刀を捨てるか」

「判りません」

→"yes" (刀を捨てます)

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「もう二度と人を殺めない」

→"I cannot honor her life if I die as a swordsman"

(人斬りとして死んだら、彼女の人生を侮辱することになる)

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英語のサブタイトルを繋げると、確かに一つの話になっているんですよ。でも、これは別のストーリーです。

勿論、翻訳の限界もあるでしょうし、判りやすい(いわゆるハリウッド的な)「敵と味方」という二元論的視点なら、これでも良いとは思います。

しかし、この「追憶編」が語りたいことは「善悪の彼岸にある何か」ではないのでしょうか。

この凄いコンテンツは、この「何か」を全米や全世界に伝える希少的チャンスであったはずです。

私は、本当に、本当に、握った拳から血が出てきそうなほどに、残念なのです。