これはコロラドに住んでいた時の話です。
デパートの階段の前で、嫁さんが、まだベビーカーに乗っていた当時二歳の娘をベビーカーから抱きかかえて、階段を上がろうとしていた時のことです。
はるか遠くから、全力疾走で走ってくるアメリカ人の男性二人。
娘の入ったベビーカーをガシっと掴むや否や、どどどどどーーとベピーカごと、娘を階段の上に運んでしまい、嫁さんが礼を言うまえに、ぱぱっと走って消えていってしまったそうです。
この話を聞いたとき、私は感動で背筋が震えたのを覚えています。
「『かっこいい』とは、こういうことだな」と、嫁さんと二人で頷きあっていました。
米国の生活の中で、ちょっと日本では味わえないような、(言い方は良くないのですが)数多くの「暴力的な好意」に出会いました。
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しかし、、、、
私が分からんのは、このような親切の塊でできているような(と私には見えることが多い)多くの米国人を代表する政府が、頼みもしないのに、他の国に出かけてまで戦争なんぞをしに行くのだろう、ということなのです。
もの凄い違和感を感じます。
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私の出会ったいわゆる米国の人は、自国の戦争方針に凄い嫌悪感を持っており、大統領の政策を批判して憚らない方が多かったようです。
例えば『ブッシュの中東政策は間抜けだ』というような意見です。
確かに、私も、政府の政策が、我々の意図と同一と思われたらかなわんと思うようなことが沢山あります。
「国家の人格」と「国民の人格」は完全に独立である、と考えないと、我々は大切なものを「国際的」に失なってしまうかもしれません。