やっと内閣府の「平成25年版少子化社会対策白書 概要版(PDF形式)」を読みはじめました。
第2回目のコラムがリリースするまでは、できる限り公的な情報に触れないようにしていたものですから。
予想通りではありましたが、これくらい「予想通りの白書」というのも珍しいなぁ、という感じでした。
ざっくり言うと、
(1)「現状のパラダイムを一欠片たりとも壊さない」というポリシーの元での、
(2)子育て環境を改善することでの特殊出生率の増加を目指す
と、いうものでした。
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私は、この少子化問題を、
太平洋戦争に突入するか否かを最終決定した「御前会議」くらいの緊急事態と把握されているのだろう、と思っていたのですが、
―― なんか、そういう感じが伝わってこない。
この白書の作成に係わられた方には不愉快でしょうが、
『とにかく、やるだけのことやってみようよ。あとは上手くいくといいね』
と言っているように感じます。
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えっーと、ですね、私、この理由も判っています。
これはですね、現行政府の方針である、現状の「家制度」の基盤においた対策になっているからです。
最悪なのが「三本の矢」という、結婚→妊娠→出産 というパックメニューです。
特に「結婚」が最大のガンです。
私、これまでのインタビューで「ダンナはいらんが、子どもは欲しい」という女性の声を、聞いているのです。
要するに、父親はAnonymous(あのクラッカー集団の「アノニマス」とは関係ない)で良い、という非配偶者間人工授精(AID)を前提とした、シングルマザー希望の女性は ―― 結構な数、いました。
あるいは、子どもを生む為だけの為に、男性からSEXの提供だけ受けている女性の話も、です。
つまるところ、「結婚」や「家」は、面倒で、重い、ということです。
ダンナの後ろには、興味もない他人の親(の介護など)や、「子どもを生まなければ女ではない」などという下らない考えをもつ親戚がくっついてくる―― と考えるだけで、そりゃ「結婚」なんて阿呆らしくて選択できないですよ。
「自立して生きていけるのに、なんでわざわざそんな面倒を」と思うのは、自然なことです。
誰であれ、「私は『結婚』と『家』を拒否します。子どもと二人で静かに生きていくことにしました」をいう宣言を、非難できるわけがありません。
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政府は、「家制度」を維持する為の、この結婚というこのイベントが、どれだけ出生率を下げているか、分かっていないのかなぁ?
いや、判っているはずです。このような白書を作成された人が、そのような声を「一つも聞かなかった」などという訳がない。
しかし、書かなかった。いや、書けなかった、と思っています。
それは、現日本国首相の主張する「美しい日本」を、根底から破壊する内容になるからです。そんなことをすれば、自分のキャリアに大きな「×」がつくでしょうし。
私の少子化を回避した状態の未来とは、
■母と子のペアだけからなる家族(当然、姻戚関係なんぞ絶無になる)と、
■種を提供するだけの男からなる社会(その中で、大部分の男性は、種すら必要とされない)
という感じです。
「美しい日本」がどんなものか、私は知らんし、興味もありませんが、首相や一部の政治家が、発狂しそうな未来図であることは、間違いないでしょう。
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私は、「猥雑でインモラルな日本」でも、あるいは、「美しい日本」の理想(?)を推し進めて、そのまま人口減少が進んでいっても、どっちでも構いません。
ただ、社会インフラの研究員としては、
『せっかくエンジニアががんばって作ってきた社会インフラを、人口減少などという理由で停止させたくないなぁ』
と ―― まあ、詰まるところ、その程度の意識しかありません。
問題が顕在化するのは、間違いなく私の死後ですし。
以前、 「次女が解けない算数の問題は、私には絶対に解けません。」 という日記を書きました。
The other day, I wrote my diary of the title "I can never resolve an arithmetical question that she cannot resolve."
そして、その中で「今の私は、塾の解答の解説を読んで、その内容の解釈を娘に伝えるだけの、「糸電話」のような役割にまで堕ちています」と書きましたが、
In addition, I also wrote "I am afraid that I am just a string telephone. I read the suggested answer the prep school provides, and I tell her my interruption only. "
今や、私は「糸電話」の役割すらできなくなってきました。
Now I don't work even as "string telephone"
―― 解説を読んでも分からん
"I can't understand how to resolve a question, even if reading the suggested answer"
つくづく思うのですが、過去問題の解説の記載って、本当に不親切ですよね。
I have the acute feeling, but the descriptions of collection of the past questions are not easy.
あんな、いいかげんな解説で、「この私」が理解できると思っているのか。
Who thinks that I can understand such a difficult question by the ambiguous description?
特に「組合せ問題」は最悪です。パターンの法則性を見い出せないと、手も足も出ません。
In particular, "combination question" is the worst for me. I can do anything if I could not find the pattern rules.
で、この「情けない父親」は、どうするか、というと、コンピュータで解答を導き出してしまうのです。
So, what this poor father does next is trying to use computer with programming.
#include#include int main () { int a,b,c,count=0; for (a=1; a<8; a++){ for(b=1; b<8; b++){ for(c=1; c<8; c++){ if ((a != b) && (a != c)&& (b != c)){ if (9.0 * 8.0 / (double)a + (double)b -(double)c > 75.0) printf("P1: %d,%d,%d\n",a,b,c); if (9.0 * 8.0 / (double)a - (double)b + (double)c > 75.0) printf("P2: %d,%d,%d\n",a,b,c); if (9.0 * 8.0 + (double)a - (double)b / (double)c > 75.0) printf("P3: %d,%d,%d\n",a,b,c); if (9.0 * 8.0 + (double)a / (double)b - (double)c > 75.0) printf("P4: %d,%d,%d\n",a,b,c); if (9.0 * 8.0 - (double)a + (double)b / (double)c > 75.0) printf("P5: %d,%d,%d\n",a,b,c); if (9.0 * 8.0 - (double)a / (double)b + (double)c > 75.0) printf("P6: %d,%d,%d\n",a,b,c); } } } } }
(この問題が、平成何年度の何処の学校の問題か分かった人は御一報下さい(何も差し上げませんが))。
(Please contact me if you know that when and what school set questions( I am sorry but I don't give you anything) )
コンピュータによる総当たり戦をすれば、当然ですが、一瞬で全ての解答を導き出すことができます。
It is natural that all answers are going to be derived from the computer's round robin competition.
この「情けない父親」は、コンピュータが弾き出した解から、逆に解法を導くという、本末転倒な方法で娘に指導しているという、落ちぶれ様です。
This "poor father" leads the solving method from the computer's answers, and gives his daughter the method after that. How helpless he is.
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ここに、
Herein,
「問題が解けるなら、どんな手段だっていいじゃん」
"Any method is good if we could resolve a question"
という、現場問題解決指向のエンジニアのスタンスが垣間見られると思います。
You can see the engineer's stance of "spot solution's problem-oriented"
求解方法に命を賭ける数学者なら、間違いなく激怒する所行でしょうが。
If you are a mathematician who engages in solution methods, you will get mad with me.
―― 「友達がいない」ことは問題ではない。「友達がいないように思われること」が問題なのだ。
""Having no friend" is not a problem, The problem is "Being looked like having no friend"
は、[次女]の名言として、私の名言集に登録されています。
This is my junior daughter's quote I have registered in my mind.
―― パパに『ぼっち』を名乗る資格はない。全国の『ぼっち』に失礼だ。
"You are not qualified to write down "loneliness". You are rude to "loneliness" in Japan."
は、[長女]の名言として、こちらも登録されています。
This is my senior daughter's quote I have registered too.
その他のアニメや小説などを読んでみても、ティーンエイジャにとって、「友達」という概念は、私の目からは一種の「拷問」のように見えます。
According to their quotes, I think that a concept of "friend" is a kind of torture, from some animations and books I have watched and read.
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しかし、振り返ってみるに、昔から集団行動というものが大嫌いだった私にとって、修学旅行や遠足というのは、確かに「拷問イベント」でした。
In retrospect, for me, I dislike any kind of group action, so any school trip and excision is absolutely torture events.
特に「班分け」という、
Especially, "division into small groups", that means,
―― 校外において、教師が、生徒を管理する負担を減らすために存在している
a system of avoidance of responsibility for teachers in order to reduce their tasks in field activities,
責任回避システムの為、私は随分苦労させられたのを覚えています。
annoyed me very much.
こういう「拷問イベント」の度に、私は「ぼっち」を回避する為に、姑息な裏工作をしなければなりませんでした。
Whenever I faced these torture events, I had to make underhanded deals in order to avoid "loneliness".
心底、気が重くて、うんざりでしたものです。
I thought to be depressed and be disgusted indeed.
(To be continued)
荷物の整理をしていたところ、15年前のビデオテープ(VHS)が山のように出てきました。
When I was going through storehouse, and I found a lot of VHS tapes in the warehouse.
現在、それを、埃を被っていたVHSレコーダで再生し(まだ動いた)、DVDに焼いて、さらにパソコンに取り込む作業を実施しています。
So I work the VHS recorder (still runnning) , and burn it to DVD, and the captured data to my PC.
VHSテープが結構あるので、長期戦になりそうです。
It will be a long war because of many DVD tapes.
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で、今回驚いたのが、15年前の私が、今の私より、はるかに「おっさん」に見えたという事実です。
To my suprise, I who was 15 years ago, seemesto much "old man" than I am now.
簡単に言えば「太っていた」のですよ、今よりもかなり。
Simply speaking, I was "fat" 15 years ago, rather than now.
太っているだけで、歳をとっているように見えるのは、奇妙にも感じますが、事実です。
I feel strange to be looked an old man who became just fat, but it cannot be helped, because it is fact.
私達には、
We, human being, might be inprinted, like
―― 人間は、歳を取ると太っていく
"human being becomes fat as they become old.
という、刷り込みがあるのかもしれません。
The other days I had tried many analyses about diet from the view of private merit, however, I passed over "a man of 15 years ago".
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通販チャンネルなどでは、飽きることなく、各種のアンチエイジングの手法や小手技(化粧)が紹介されていますが、
In the TV program of mail-order, they do "methologoies or making-ups for anti-aging" to death, however I think that I can tell you,
「ダイエットに勝る、アンチエイジングなし」
"No way to succeed in "anti-aging" except for loss weight"
と言い切っても、良いのではないかと思います。
リーダーを育成する学校、というのがテレビで見られるのですが、
A school that fosters leaders can be seen on television,
―― リーダーって、教育できるものかなぁ
"How to make readers in the educational process"
と私は、思っています。
I think.
だって、そういうもの(リーダー)を不要とする為に、企業には職位というものがある訳ですよね。
There is something called a position in a company, not to make such a leader unnecessary.
リーダーと職位が併存しているという事実は、「リーダー」という存在を否定しているんじゃないんでしょうか。
The fact that a leader and a position are coexisting does not deny the existence of "leader".
あ、ちがうか。
It is different isn't it?
「出生して職位を上げる為の教育」であるなら、それは、矛盾しません。
If it is "education to raise the position", it is not contradictory.
しかし、それなら、「リーダー教育」というカンバンはおかしい。
But then, the nomine "leader education" is strange.
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私にとって、「リーダー」は分かりかねるのですが、
For me, I cannot understand "leader", however,
少なくとも「私はこの人に付いていくぞ」と思った人は、私の人生においては、一人もいませんでした。
There was no one, I think, "I will follow this person", in my life.
私は、私の利益になると判断できる人の指示は聞きますが、
I will listen to instructions of those who can judge me to be profitable,
私は、私の不利益になると判断した人の指示は、聞いたフリをします。
I will pretend to hear the instructions of those who judged me to be disadvantageous.
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もっとも、そんなことは、直ぐに気が付かれます。
However, it is easy to be noticed soon from anyone.
人間が、人間を欺き続けるのは、結構難しいからです。
It is quite difficult for humans to keep deceiving humans.
だから、チームメンバが「聞いたフリ」をしているのを、チームリーダーは「分かったフリ」をして ――
A team members is doing "pretending to hear" and a team leaders "pretending to understand",
結局、チームというのはそういう風に運営されていくと思うし、
After all, I think that the team will work in that way, and
それで別段問題があるようには思えないのです。
it does not seem like there is another problem.
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そんな訳で、私は
For that reason, I want to experience, even just one time is enough fro me,
『その人に惚れて、その人に付いて行く』
"Deeply impressed with a person's character, I will follow him/her"
ということを、一度でいいから体験してみたいのです。
私は「子ども」の保護や人権について、色々な意見を言っていますが、これは、私が「子ども好き」という訳ではありません。
I talk about protections and human rights of children on a regular basis, however, It's not that I like children.
むしろ、「子ども」は苦手です。
It is rather difficult for me to deal with children.
電車で走り回っている子どもは、足をひっかけて、ケリ倒してやろうかと思います。
I will want to hook and kick children who run on a train, and,
遠足などで子どもが集団で乗ってくれば、その場で、車両を乗り換えします。
I will change the cargo when a bunch of children rides on for school excursion.
つまり、私の中では、
I mean, in my mind,
概念としての子どもと、実体としての子どもでは、全く取り扱いが違うということです。
there are difference between children as a concept and children as an entity.
別段、私は、それが矛盾したこととも、悪いこととも思っていません。
In particular, I don't think that it is contradiction, or vice.
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私にとって子どもは、絶対的な意味で「保護対象」ではあります。
Children are absolutely "deserve protections" for me.
それは、「子どもが幸せを感じられない社会」は、全ての人間にとって「幸せを感じられない社会」だから
The reason is "a society that children cannot feel happy" is "a society that all people cannot feel happy"
―― などとキレイごとを言うつもりはありません。
I don't have intention to sprinkle with fine phrases as the above.
私に関して言えば、子どもの頃の方が、圧倒的に不幸だった。
In my case, when I was a child, I felt more unhappy overwhelmingly.
■稚拙でアホで理屈が通じない同級生
- classfellows who were childish, foolish and naive
■意味不明な校則の設立趣旨すらもキチンと説明できない教師
- teachers who could not explain the background of meaningless school rule
■全校全員を集めて、意味不明で1mmも楽しくもない抽象論を延々と続けるだけの校長
- presidents who just speak abstract theory which is meaningless and not fun with collecting all the students.
とにかく、『もう一度、子どもをやれ』と言われたら、私は全力で逃げます。
Anyway, if I were told that "I am going to do my child again," I will flee with full power.
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私にとって、子どもが「保護対象」である理由は、彼らが、
For me, the reasons why children should be "protected" are
■重要な社会構成要素であり、
- they are important social components,
■生産者であり消費者であり、
- they are producers and consumers,
■社会を環境に応じて変化させ続ける為のエンジンであり、
- they are engines for keeping society changing according to the environment,
それ以上に、
moreover,
■現時点において、自分を守る武器 ―― 社会福祉の制度の使い方、法律の基礎知識、暴力や虐待からの脱出手段 ―― を、"まだ"知らない
at the moment, they do not know "yet" the weapons that protect themselves - how to use social welfare systems, the basic knowledge of the law, the means of escape from violence and abuse.
からです。
これは「不公平」であると思います。
I think that this is "unfairness".
別段、私が不利益になっているという訳ではありませんが、「気持ちが悪い」とは思います。
Separately, although I am not disadvantaged, I think "I feel bad".
それに、『私は子どもの頃に不幸だったのだから、次の世代も不幸でもいいのだ』と考えるほどには、私は、ひねくれてもいません。
I don't have so bad personality, with thinking that "the next generation can be unhappy because I was unlucky as a child,
私は、現状の「不幸生産装置」になっているモノ(子どもであれば、学校、友人というモノ)があれば、「改善」したいし、それが難しいのであれば、「破壊」しても良いと思っています。
If there are something like "misfortune production equipments"(In the case of children, school, friends and so on), I would like to "reform" them, and even if it is difficult, I think that I will "destroyed" them.
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「『概念としての子ども』を守る」方では、私は、がんばります。
I will do my best for children who "are protected as a concept".
「『実体としての子ども』を守る」方は、私以外の方のがんばりを期待しています。
I will expect your efforts for children who "are protected as a entity".
(Continuation from yesterday)
ともあれ、私は「将棋めし」というコミックが200円くらいで購入できて(今は、その3倍)、Fire7で読めるようになれれば、それでいいんです。
Anyway, what I want is to buy the comic "Shougi Meshi" about \200 (Now it is three times than that), and to read it by my Fire 7 tablet.
別にAmazonから購入しなくても、出版社、または、著者から、直接PDFファイルで購入してもいいです。
I don't mind that I have to get books from publishing company or authors, not Amazon.com
私には、電子ブックリーダーを使う方が、よっぽど面倒くさいです(起動も遅い)。
For me, using electronic book player annoys me. (the boot is slow)
それはさておき。
By the way,
「将棋めし」は、食事のシーンや、将棋棋士のマインドの他、将棋戦の運用方法、その他、頭脳戦における食事の重要性を教えてくれます。
"Shougi Meshi" gave me a lot of information, for example, how to grub in the battle, minds of Shougi player, the importance of nutritive substance for intellectual battle.
恥しい話ですが、私、この本を読むまで、本当に『将棋の最中に食事できること』を知りませんでした。
It is shame that I had not known "the player can leave the gaming table for meals" since I read this book.
特に、この本では、「女性」と「将棋」の関係について、実に詳しく記載されています。
Especially, this book describes the relationship between women and Shougi-game in detail.
『女性のプロ棋士(×女流棋士)が存在しない』ことや『女性のタイトルホルダー(×女流棋士タイトルホルダー)が存在しない』ことも知らず、本当にびっくりしました。
I was really surprised that there was no female professional player (x female-style player) or "no female title holder (x female-style title holder)".
これは、母数(人口)の問題だろうなぁ ―― と、当りをつけてちょっと調べてみたところ、やっぱり、そんな感じでした(*)。
I though that "this is about population problem isn't this?". When I research it. I said "Bingo!".
(*1)将棋人口は、男性が336万5000人、女性が56万5000人。男女比は85:15
Male Shougi population is 3,336,500 and female one is 565,000. The ratio is 85:15.
I also thought that this become a story of column if I try to research the background in the proper way, however there were still advanced researches.
ただ一つ言えることは、
What I can say here is
"If I have a great deal of interest in Shougi, I can enjoy the comic more."
と思うと、悔しくて仕方がない、ということです。
I have no choice but to regret the matter.
昨日の日記に関連するお話は、これにて最後にしたいと思います。
This is the last story related to yesterday's diary.
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This time, I read back "The level of support for "LGBT" is too high" as an absolute primary resource.
が、当時と同じように、この文章の「読みにくさ」には、困りました。
However, as at that time, I was troubled by the "difficulty of reading" of this sentence.
"文章構成"がなっていなくて、"内容"に入りこむことができなかったからです。
I couldn't get into the "content" because the "sentence structure" was so bad.
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そもそも、私は、この文章を"論文"と称呼されていることに、強い違和感を感じます。
In the first place, I feel a strong sense of discomfort in calling this sentence a "paper".
これが"論文"なら「私」が可哀想過ぎます。
If this is a "paper", then "I" is too pitiful.
私は、論文とは、
I think that paper is
『仮説と、エビデンス(証拠)と、客観的なデータ(または計算)と、そこから導かれるロジカルな結論を記載するもの』
"A statement of a hypothesis, evidence, objective data (or calculations), and the logical conclusions to be drawn from them"
と、思っています。
そして、論文の執筆プロセスは、
And the process of writing a paper is that
- 査読者にボロクソに(但しロジカルに)批判されて、
- I am severely (but logically) criticized by the peer reviewers.
- 何度も検討や計算をやりなおして、
- I have to go through all the reviews and calculations again and again.
- それでも受理されず、
- the paper isn't accepted.
- 再投稿を繰り返し、
- I repost it repeatedly
- ようやく掲載の許諾を得る
- I finally get permission to publish it.
というものだと思っています。
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という訳で、私から、この文章の著者への提案です。
So, this is my suggestion to the author of this article.
一度、「新潮45」で発表された内容について、大学等でちゃんと論文指導を受けて、国内の学会に「査読付き論文」として提出してみるのはいかがでしょうか。
Once, about the contents released at "Shincho 45", you received proper dissertation guidance at universities etc. and how about submitting it as a "peer-reviewed paper" to a domestic academic society?
本人の思想がどうあれ、論文としての体(てい)を成していれば、原則、学会は論文を受理します(というか、受理しなければならないハズです)。
Regardless of the person's thoughts, the academic society will accept the dissertation (or rather, it must be accepted) as long as it forms the body of the dissertation.
本人の主観か客観的事実かが明確でない箇所があれば、「引用文献を明示しろ」と指導が入ります。
If there is a part where it is not clear whether the person is subjective or objective, you will be instructed to "specify the cited document".
面倒ですが安心ではあります。
It's a hassle, but it's safe.
国内の学会が受理してくれなけば、外国の学会に提出すれば良いです。
If the domestic academic society does not accept it, you can submit it to a foreign academic society.
英文翻訳が必要になるとは思いますが、翻訳は外注すれば足ります。
I think you will need an English translation, but it is enough to outsource the translation.
もし、世界中のどの学会にも受理して貰えなければ(そんなことはないとは思いますが)、査読のないカンファレンスペーパーの投稿と、学会講演を行うという手もあります。
If it is not accepted by any academic society in the world (I don't think that is the case), you can post an unrefereed conference paper and give a lecture at the academic society.
事前にアナウンスしておけば、多くの聴講者を集めることもできるでしょう。
If you announce it in advance, you will be able to attract a large number of listeners.
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先ずは、出身大学でお世話になった先生に、ご相談することからお勧めします。
First of all, I recommend that you consult with the teacher who helped you at your university.
学会や先生から拒否されたら、一番最後に、私(江端)にご相談下さい。
If you are rejected by an academic society or a teacher, please contact me (Ebata) as the last line.
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新潮45の『「LGBT」支援の度が過ぎる』を、
According to "The level of support for "LGBT" is too high" in Shincho45
■きちんとした査読付き論文で読める
- If I can read it in a proper peer-reviewed dissertation
または
or
■ロジカルな内容での講演を聴講できる
- If I can listen to a lecture with logical content
のであれば、私は、支援を惜しみません(本当です)。
I'm willing to help (it's true).
I've been messing around with the idea of writing a book (or report) using only Markdown, but I've managed to finish it.
表紙や図面はSAIやPowerPointを使っていますので、『Markdownだけ』というのは誇張かもしれませんが、まあ、これは仕方ありません。
I used SAI and PowerPoint for covers and drawings, so 'Markdown only' may be an exaggeration, but, it cannot be helped.
今回のMarkdownを使った執筆活動では、Visual Studio Codeというフリーのエディタ(?)と、プラグインの、Markdown-PDF, Markdown-TOCの威力が凄かったです。
In this writing activity using Markdown, I used Visual Studio Code, a free editor(?). and the plug-ins, Markdown-PDF and Markdown-TOC, were very powerful.
コマンド一発で、目次が更新され、直接PDFを作成でき、いやー、本当にラクできました。
With a single command, the table of contents was updated, and the PDF file is created. Well, it was really easy for me.
分割した画面の左側で執筆すると、リアルタイムで左画面にビューイメージが表示されて、大変助かります。
When writing on the left side of the split screen, the view image is displayed on the left screen in real time, which is very helpful.
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Markdownの魅力は『表現力の乏しさ』です。
The appeal of Markdown is its 'lack of expressiveness'.
■文字サイズを変えられない
- Unchangeable text size
■強調表現は3種類程度
- A few types of emphasis
■プログラムリストなどの表記手段も1つしかない
- Only one way to describe a program, etc
■章立てに工夫を入れる余地なし
- No room for creativity in the chapter structure
If you read around here, you'll know that, well, anyway, there is hopelessly "no way" to decorate the paper.
それは、つまり「コンテンツに集中するしかない」ということになります。
That means that you have to focus on the content.
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Microsoft Wordは、原因不明の場所に図表を登場させやがるし、インデントもこちらの期待した通りにならないし、目次の整形だけで半日を持っていかれまます。
Microsoft Word keeps putting figures and tables in places I can't figure out, indenting is not what I expect, and formatting the table of contents alone takes up half my day.
Latexにしても、自分でテンプレートを作るとなれば、結構な回数の『試行錯誤の地獄』が待っています。
Even for Latex, if you create your own template, you will have to go through a lot of "trial and error hell".
比して、Markdownのこの気楽さ ―― 「テキストファイルを記載するだけのこの軽いノリ」を世界中のエンジニアが選んだのはもっともだと思います。
In comparison, how easy to use this Markdown. "It's no wonder that engineers all over the world have chosen Markdown for its ease of use -- "this light-heartedness of just describing a text file.
GitHubで、"README.md"がデフォルトで使われているのも、『なるほど』と思います。
I understand why GitHub uses "README.md" by default.
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そこで、(私のように)装飾を含めた、ファッション全般に無頓着な生き方を
So, I would like to propose that we call the way of life that is indifferent to fashion in general
―― Markdown Life (マークダウン ライフ)
"Markdown Life".
と、称呼することを提言したいと思います。
as I do.
ちなみに、"markdown"を辞書で調べてみると「値下げ(品)」「値引き額」という意味のようです。
By the way, if you look up "markdown" in the dictionary, you will find that it means "price reduction" or "discounted amount."
この点でも『この用語は、私(江端)を上手く表現している』と思います。
From this point of view, I think 'this term expresses me (Ebata) well'.
I have just finished writing today's diary, howeve, I think that I have already write the same story before, and I checked it. I am sorry but I found it.
仕方がないので、今日の分は全部削除しました。
I had no choice, so I deleted all of today's.
10年間近く、毎日日記を書いているので、ざっくり3600超のネタがあるわけです(時々サボるけど、ちゃんと後で埋めています)。
I've been writing a daily diary for almost 10 years, so I have roughly over 3,600 stories (sometimes I skip them, but I make sure to fill them in later).
これからは、何度もネタ被りをするんだろうなぁ、と思います。
I'm sure I'll be making a lot of double submissions from now on.
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本日2回目の懸垂-腹筋-背筋をやったかどうか、私は忘れてしました。
I forget if I did pull-ups - sit-ups - back-ups for the second time today.
「やった」と思うのですが、確かな記憶がありません。
I think I did, but I don't remember for sure.
これを「やったこと」としてカウントするのか、「やらなかったこと」としてカウントするのかで、私のこれからの「人生の価値」が決まるような気がします。
I feel that my future "life value of mine" will be determined by whether I count this or not.
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結論:
CONCLUSIONS:
量子論的アプローチを取ることにしました。
I decided to take a quantum theoretical approach.
懸垂-腹筋-背筋の回数を「半分」にして、もう一回やることにします。
I would do "half" the number of pull-ups-abdominal-back exercises and do them one more time.
At the time of the attacks, our family, who was posted to the U.S., was unable to leave the country -- all airports were closed.
あの時の恐怖は、よく覚えています。
I remember well the horror of that moment.
あの時、私たちは、本当にシンプルに『助けてくれ』と願っていました。
At that time, we asked for 'help.
そして、その当時、米国内の邦人(日本人)の救出について呑気にネットで議論しているやつらを、心底から憎悪していたことを覚えています。
And I remember that at that time, I hated with all my heart those who were discussing the rescue of Japanese citizens in the U.S. on the Internet.
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ですので ―― これから、確実に戦火に巻き込まれれることになる市民(非戦闘員)に対して、私は、語るべき言葉が、分からないのです。
So - I don't know what to say to the civilians (non-combatants) who will surely be caught in the fire of war and killed.