0207|09|
2007|09|10|12|
2008|01|02|03|
2009|01|05|08|10|11|12|
2010|01|02|03|04|09|11|12|
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2024|01|02|03|04|05|

2013-06-14 ジョージ・オーウェルの「1984」が、現実性を持って開始された日

以前、「どーでもよくなる」という日記を公開したことがあります。

ここのところ、久し振りにLBS(Location Based Service)の調査をしていたのですが、Googleが、「Google Maps Coordinate」というモバイルワーカー管理ツールのサービスを開始しています。

「モバイルワーカー管理ツール」というのは「全社員位置監視ツール」ということです。

無論、この程度のツールはすでに存在していましたが、これをGoogleが提供を開始したということには大きな意味があります。

ジョージ・オーウェルの「1984」が、現実性を持って確かに開始された、ということです。

-----

Googleといえば、我が国でも一時期大騒ぎになった「Googleストリートビュー」に関する騒動って、どうなっているんでしょうか?

私が調べている限り、この件について、国内で係争中の裁判を見つけられていません。

この理由は、推測の枠を出ませんが「訴状が書けなかった」のではないかと思っています。

裁判を提訴する為には、当然告訴が必要なのですが、その告訴の理由は、正当な法律の条文を引用したものでなければ、裁判を開始することすらできない(請求却下)のです。

「気持ち悪い」とか「止めて欲しい」だけでは、原則、訴状を構成できないのです。

ただ、「Googleストリートビューのせいで、精神疾患になった」と認められる場合は、その当事者とGoogleの間で、損害賠償請求とか、その家の表示だけを停止するような差止請求は可能と思います。

しかし、「Googleストリートビュー」のサービス自体を潰すのであれば、国民の8割程度が精神的疾患に陥いっていることを、客観的に証明する必要があるでしょう。

それはさておき。

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ジョージ・オーウェルの「1984」は、強権的な国家権力によって開始すると思っていたんです、私は。

これが、よりによって「インターネット」上で、「Googleによってスタートした」という点に、私は、歴史の皮肉さを感じています。

ひしひしと。


2014-06-14 「今年死ぬ確率は1割」

以前、人口変動シミュレーションプログラムを作って、「3222年に日本人が一人もいなくなる」という結果を出したことがありました。

Before, I made a simulator of population estimation, and got a result that all Japanese is going to vanish away by A.D. 3222.

合計特殊出生率と、死亡率の2つのパラメータを使って行っただけの単順なプログラムです。

It was a simple program that was used both total fertility rate and death rate.

死亡率のパラメータを手で入力していったのですが、これが、なかなか感慨深い作業だったのです。

Though I have to input the death rate in my program source file by my hand, this is an interesting process.

例えば、

For example, the death rate is

■10歳での死亡率は、10000人に1人

One of ten thousand in the 10's

■20歳での死亡率は、10000人に6人

Six of ten thousand in the 20's

ですが、

■85歳での死亡率は、10000人に1200人

One thousand two hundred of ten thousand in the 85's

■90歳での死亡率は、10000人に2025人

Two thousand and twenty-five of ten thousand in the 90's

■95歳での死亡率は、10000人に3188人

Three thousand and eighty-eight of ten thousand in the 95's

となります。

現在の私は、「来年には、もう存在していないかもしれない」という考えを持たないで生きています。

Now I don't have to think that "I still might not to be in next year"

しかし、近い未来に、

In the near future, I am about to calculate

「来年も生き残っている確率は9割」

"The probability to survival is in next year is 90%"

と勘定するようになるのだなぁと思うと、感慨深いですが、

It might interest me, though,

「今年死ぬ確率は1割」

"The probability to death is in this year is 10%"

と考えると、結構恐いかもしれません。

will make me unhappy.


2015-06-14 「デザインとして表現すると、考えが限定的になってしまう」という主張もあるようですが、その主張は二重の意味でナンセンスなのです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

特に大学関係者のプレゼンに、「文字だけ」の資料が多いです。

For example, college researchers is apt to make character presentation material without picture.

大きな文字を書いて、読みやすくしている『つもり』になっているようですが、サボっているのは見え見えです。

Though they are about to make their materials easier to read, it is obvious that they want to cut corners.

また、「デザインとして表現すると、考えが限定的になってしまう」という主張もあるようですが、その主張は二重の意味でナンセンスなのです。

Some persons tell that design restricts expansion of technical thoughts, but this is a nonsense as a double meaning.

デザインというのは、技術の具現化の一番最初のフェーズですから、デザインのない技術というものは存在できません。

Design is coming at the first phrase of technical realization. So there is no technology without design phrase.

そもそも「抽象的な技術的思想の創作を保護する」ことを目的とする特許においてですら、『実施例』の記載が義務づけられています。

Above all, the purpose of patent rights is to protect creations of obstacle technology thoughts, however, practical example should be attached in patent applications.

これは、特許法が、「デザインを作り、具体化して、実施可能なものが、最低1つはないと、権利(特許権)はやらん!」と宣言しているということです。

This means, patent law declares "I don't give you any patent right without specified application with designs and method. You should open at least one example"

まあ、それ以上に、

More over, the story will arrive at the following saying,

―― デザインすらできない技術的思想なんぞ、何の役に立つ! ボケ!

"Don't be dumb! Technology without design ? What is on earth it?"

という、当然の話に落ちます。

-----

もちろん、方法の発明(アルゴリズム)とか、製品コンセプトなど、デザインしにくいものがあるもの事実です。

Of course, I know well that some object is difficult to realize as a design, like method invention(algorithm) or product concept.

しかし、それらのものでさえ、デザインとして表現する方法はあるのです。

But even if that, we can make them as design.

その一つの手法が「擬人化」です。

One of them is "personification".

(続く)

(To be continued)


2016-06-14 『主催者は、独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いている」というデータを出せ!』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

しかし、ナンシーが、『EU残留に利益がある』ということを立証した場合(完璧な立証である必要はない)、

On the other hand, if Nancy can show the profit of "EU stay",( and it is O.K. even if it not perfect),

今度は、トムに、『EU離脱に利益がある』ことを、立証しなければなりません。

the next time, the "burden of proof" moves to Tom, who should show the profit of "EU breakaway"

反証です。

It is "counter proof".

「立証責任の転換」という言い方をすることもあります。

It is said "change of burden of proof"

もし、この反証ができない場合には、トムはナンシーに論破されたことになります。

If Tom fails to do this "counter proof", Tom is going have the worst of this dispute.

-----

なんかねー、自分の論の正当性を主張する為に、「相手に証拠を出させる」ことが、当然のごとく振る舞うような、

I think that in order to insist the claim of their own, some people are likely to act, for example, "making opposite people put the proofs", is normal.

However I am afraid that it is a clear

―― 不合理なロジック

"unreasonable logic"

が、まかり通っている気がするのです。

-----

例えば、ですね、

For example,

先日、「猫の里親会」に、独身男性の参加が拒否されて憤慨されている方(たぶん男性)のコメントを見ました。

The other day, I read a comment, that there was a meeting of foster parent(FP) of cats that rejects to join single men, and a person (maybe "male") became resentful.

これは、主催者が「独身男性」は猫のマネージメントができない(とか、あるいは異性の出会いの場として利用されている)などの理由で、拒否していることが起点となっているようです。

In this case, the promoter seemed to reject joining a single man with reasons of luck of cat management (or abuse intention to meet a single woman (just my estimation, though)).

この男性は、

This man seemed to claim

『主催者は、独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いている」というデータを出せ!』

"The promoter should show me the data that a single man lacks the management capability of cat management."

と主張されているようなのですが、

and,

そして、―― その憤慨している気持ちも理解できるのですが ――

to tell you the truth, I can understand his anger deeply, however,

この場合、その憤慨している男性自身が、

in this case, it is reasonable that the man who get angry,

『独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いていない」という客観的なデータ』

"should show the promoter the data that a single man doesn't lack the management capability of cat management."

を提出して、反論するのが「筋」なのです(もし「本気で反論しようとするなら」ですが)

and argue against the meeting policies(even if he really want to do it).

これが「立証責任」の考え方の、基本的なサンプルです。

This is a simple and basic example of "burden of proof".

(続く)

(To be continued)


2017-06-14 ただ、"学問"とか"勉強"のない世界は、「エコ」ではないだろうな、とは思います。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

「ピタゴラスの定理」がなくても、世界は問題なく回っていく ―― という事実は、私にとっては、残念なことですが、事実だと思います。

"Unless the Pythagorean theorem exists, the world is moving". I am afraid, but this is true.

(あるいは、少数の専門家が存在していれば足りる、という理屈もあるかもしれまえん)

(Or, there might be a logic that it is no problem to exist some few experts )

同じように、古文がなくても、世界史がなくても、英語がなくても、国語がなくても、そして、どこぞのアホな作家夫婦の著作物の全てが焚書されても ―― 世界は回っていくのです。

In much the same way, the world that no ancient writing, no world history, no English, and no Japanese and no books that are written by a simple-minded author couple, is also moving.

畢竟、"学問"とか"勉強"などなくても、多分、世界は大丈夫なのでしょう。

Extremely speaking, "learning" or "studying" is not indispensability for the world.

-----

ただ、"学問"とか"勉強"のない世界は、「エコ」ではないだろうな、とは思います。

However I think the world without "learning" or "studying" is not good for "ecology".

「もの凄く、効率悪そうだなぁ」と。

It looks "it is tremendous inefficient" for me.

なぜなら、"学問"とか"勉強"の目的は、会話(コミュニケーション)だから、と思うからです。

Because I think that the supreme goal of "learning" or "studying" is conversation (or communication).

基本的に、

Basically,

■数字や数学や科学は、モノや物理法則の間との会話ですし、

Numbers, math. and science are for conversations with objects,

■古文や歴史は、過去の書物や、過去の人(の考え方)との会話ですし、

Ancient writing and history are for conversations with past era and people,

■英語は、言語が異なる人どうしの会話ですし、

English is for conversations with people who use different language each other,

■国語は、同じ言語での、さらに細かい意思伝達の為の会話です。

Japanese is for conversations with people who want to convey the detailed intentions.

会話の成立しない世界での、世界の理解の仕方は、基本的に1つしかありません。

The method how to understand the world without conversations is unique.

「暴力」です。

It is "violence".

「暴力」だけの社会は、どう考えても、膨大なリソース(人命を含む)の無駄遣いが永遠と続き、命が保証される安全安心な社会とは、縁遠そうです。

The society made by just "violence" is, obviously, wasting tremendous resource(including human life), and far from unassured daily life.

-----

「ピタゴラスの定理」が分からないことと、「古文の助動詞の活用」が分からないことの間には、大した差はないののかもしれません。

There might be almost same between blindness of "Pythagorean theorem" and "auxiliary verb conjugation of ancient writing".

多分、どちらも同じように重要で、同じようにどーでもいい。

Maybe, both are important, and at the same time we don't care them at all.

しかし、これらの全てに背を向けるということは、「世界との会話を拒絶」する、ということであり、

However if we build against "learning" or "studying", it means that we will reject a conversation with the world.

仮に、それは「非効率」で、そして「安心できない人生」をもたらす ―― という、江端仮説が真であるとすれば

"It is insufficient and gives us unassured daily life", if this Ebata's assumption is true,

色々な分野のことを、数多くを知り、かつ、理解できるようにしておくことは、

Knowing many things in many field, and keeping them in our mind, are

―― 「ラクな人生」を生きる為に、かなりてっとり早い方法

good methods to put daily life at our ease

と言えるかもしれません。

might be true,

まあ、そうでないかもしれませんけど。

Well, it might not be true, however.


2018-06-14 会報のスポンサーをして頂いている店舗のいくつかは、Webサイトどころか、メールアドレスすら持っていなかったのです。

ビットコインでも地域通貨でも、なんでも構わんから、

Whatever it is, bit coins or local currency, is O.K. so,

誰か、早いところ、電子メールに添付できる通貨作ってくれ ―― って、思っています。

I hope that someone will make a currency that can be attached to e-mails.

-----

―― 町内会の役員や班長になることは、天罰であって、

To become an officer or group leader of a neighborhood association is a fine penalty,

―― 『町内会の会費の徴収』の任務は、究極の罰ゲームである

The task of "collecting membership fees of neighborhood association" is the ultimate penalty game

と、町内会の会合で公言して、思いっきり顰蹙を買っている江端です。

I invited frowns of disgust because I publicly proclaimed the above phrases.

でも、これ、事実です。

However this is true.

もっとも、事実なら、何を言っても良いという訳でもありませんが。

Even so, it is not a good thing to say anything.

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電子メールで、通貨を添付できれば、送金も受金もラクラクです。

If I can attach a currency by email, I will feel easy for remittance and receipt.

これで集金という作業が減り、町内会の班長の罰ゲームを、一つ減らすことができます。

And I can reduce an ultimate penalty game of group leader of a neighborhood association

私、町内会会報の編集を担当していますが、今年から、スポンサーのお店などへの集金を作業を取り止める方針を打ち出しました。

I am in charge of editing the town association newsletter, but since this year, I have launched a policy to stop collecting funds for sponsors' shops.

―― 面倒だから

"Because it is troublesome"

この結果、広告スポンサーを激減させてしまうことになりました。

As a result, I made numbers of advertising sponsorship reduce dynamically

その代わりに紙面も半分にして、記事のほとんどを町内会のWeb掲載に持って行くことにしました。

Instead, I decided to halve the page and bring most of the articles to the neighborhood association's Web site.

-----

町内会の活動をしていると、驚くことの連続なのですが、今回も驚かされました。

Activities of neighborhood associations are continuous of surprises, and I was surprised this time as well.

会報のスポンサーをして頂いている店舗のいくつかは、Webサイトどころか、メールアドレスすら持っていなかったのです。

Some of the stores that are sponsored by the newsletter did not even have a website, even a mail address.

―― 一体、どうやって集客しているんだ?

"How are they are attracting customers?"

これを理解する為には、

In order to understand this situation, I have to accept the real that matching both

(A)Webサイトを前提としない店舗と、

(A) a store which does not assume a Web site,

(B)Webサイトの利用を前提としない顧客と

(B) a customer who is not required to use the website

(A)(B)両方のマッチングが成立している、という現実を認定せざるを得ません。

is established

このようにアナログは、まだまだ無視できない勢力です。

In this way, analog is still a power that can not be ignored.

というか、もしかしたら人類にとっては、デジタルの方が非主流なのかもしれません ――

For the human race, the digital might be non mainstream.

単に、ここ20年くらいが、奇妙な時代だっただけ、とか。

Simply, just about this 20 years, is just a strange era.

-----

で、私が今何やっているかというと、仮想通貨の勉強を始めています。

So, what I am doing now is studying virtual currency.

『町内会(だけ)で使えて、電子メールに添付できる仮想通貨を作る』という妄想に狂っております。

I am crazy about the illusion for how to make virtual currency for neighborhood association that can be attached by e-mail.


2019-06-14 『技術典書』です。

エンジニアの人が、自分がコンピュータの設定で困ったことを、積極的に公開してくれています。

Now, many engineers are open their technical troubles on the Internet.

私のようにメモ(ブログ等)にアップしている人もいれば、Wiki, Qiitaなどで公開している人もいます。

Some people, like me, upload them to their own memo(blog). The others used Wiki and Qiita.

私も含めて彼らが、このような情報を公開している理由は、基本的には「同じ目(はまった時)の為の、自分の為のメモ」です。

The reason why they, including me, open the information is for themselves, in order to avoid same trouble again,

「世界の役に立ちたい」という理由ではありません。

never "for everyone in the world".

せっかく備忘録を作るのであれば、「ついでに、世界にも教えておくか」というノリで公開しているだけです。

If they have to make a memo, they open it with the light feeling of "for the world incidentally".

そこには、新聞が持っている(のか?)『社会の木鐸』などの意識はなく、ひたすら「私益」のみです。

There is not intention of "hold a mirror to society" like a newspaper company, but "self-profit" only.

しかし、私とって、少なくともそのメモは、新聞社の記事よりは役に立っています。

However, at least, the memo is more helpful for me than an article of newspaper.

それはさておき。

By the way.

-----

これらのメモの閲覧は基本的には無料です(考えてみれば、これも凄いことですが)が、私を助けてくれるメモなら、有料だって構いません。

These memos are for free basically(thinking of it, this is amazing), but it is no problem eve if a charged memo is needed.

それは「書籍」じゃないか、と言われればその通りなのですが、最近、私は、あるアクリティビィを興味を持って見ています。

If you ask me "is it a book?", I say "yes". Recently I am interested in an activity.

"Technical Book Festival"

一言で言えば、「技術のコミックマーケット」です。

In a word, "Comic Market for Technology"

This is an outline about "comic market".

技術に関する「薄い本」・・・もとい、分かりやすい本を、出版社を通さずに、出展して、その場で販売するイベントで「池袋サンシャインシティ」で開催されているようです。

This event will be held at "Ikebukuro Sunshine City", exhibits and sells easy-to-understand "thin books" about technology, without passing through the publisher.

(技術典書で出版される本は、実際に薄くて、読みやすく、(もちろんエロの要素は絶無ですが)、便利なので、ここでは便宜的に"薄い本"と表記します)。

(The books published at the event are really thin, readable, and convenient, of course without erotic elements. I write "thin book" for my convenience) .

で、その"薄い本"の内容が、全く侮れないのです。

However the contents of "thin book" is really formidable.

実際に、私は通販で、電子書籍(PDF)を何冊か購入していますが、実に良くできています。

In fact, I bought some e-books (PDFs) by mail order, but I think that all of them are good.

特にマンガキャラクターを使った、初心者向きの必要最小限の説明については、舌を巻いています。

Especially, the minimalist explanation for beginners using manga characters is speechless with admiration.

(続く)

(To be continued)


2020-06-14 とりあえずは「安定してクスリを処方して貰える環境」の確立です。

まだ、在宅勤務が続いています。

I'm still working from home.

出社するには、正当な理由と、2階層上長の許可が得られないが必要となります。

In order to come to work, I must have a valid reason and the permission of your two levels of superiors.

まあ、これは「会社に来るな」という意味だと思っています。

Well, I think this means "don't come to work".

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世の中の多くの人に比べれば、私は、「もの凄く在宅勤務に適した業務」をしていますので、贅沢を言ってはならないのですが、色々問題も出てきています。

Compared to many people in the world, I have a "tremendously telecommuting-friendly job", so I shouldn't be extravagant, but there are a lot of issues that have come up.

(1)実質労働時間が増えて、疲労の度合いが深くなってきている

(1) Real work hours are increasing and my fatigue is deepening.

睡眠以外の時間は、仕事ができてしまうので、結果的に、仕事を打ち切るタイミングを見失ってしまいます。

When I wake, I am able to work, and as a result, I lose sight to stop my work.

(2)運動不足

(2) Insufficient exercise

外出しないので、運動不足になります。

Since I don't go out, I don't get enough exercise.

ぼーっと散歩することができない性格なので、本を読みながら歩くことで、疲れてしまいます。

I have a personality that can't take a walk in a daze, so I get tired of walking with reading a book.

先日、雨の中、傘をさしながら、コラムの原稿の修正作業をしていたのですが、なんか変な歩き方をしたようで、腰を痛めてしまいました。

The other day I was working in the rain with an umbrella, revising my column manuscript, and I think I walked in a strange way, and I hurt my back.

(3)会社の診療所を使えない

(3) I can't use the company's clinic.

いつも処方して貰っている安定剤(セルシン)が手に入らないので、困っています。

I am trouble getting the stabilizer (Celsin) that I have always been prescribed.

前回、近くのクリニックで例外的に処方して貰ったのですが、2回目も処方して貰えるか、不安です。

The last time I had an exception prescribed at a nearby clinic, I'm not sure if I can get it prescribed a second time.

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これからの私の生活が、コロナ災禍の前に戻ることはない、と腹を括らなければならないのでしょう。

I guess I will have to make up my mind that my life from now on will never return to the way before the coronal disaster.

これまでの、私の生活インフラも、少しずつ変化させていなかければならないと思ってはいますが、結構、憂鬱です。

I've been thinking that I need to make some changes to my life's infrastructure, but it's pretty depressing.

とりあえずは「安定してクスリを処方して貰える環境」の確立です。

For now, it's about establishing a "stable environment where I can get a prescription for drugs".


2021-06-14 「余計な演出なんぞしない、記録映像とナレーションだけでいいんだけどな」と、考えていました。

先日、

The other day,

I wrote that I was watching the movie "Yukio Mishima vs. the University of Tokyo Zenkyoto: 50 Years of Truth" on Amazon Prime.

で、「三島文学」というものに興味が出てきたのですが、その前に、ちょっと

So, I'm getting interested in "Mishima literature", but before I watched the movie whose title is

『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』

"11.25 The Day of Self-Determination: Yukio Mishima and the Youth"

という映画に目を通して(早送りして)

so,

―― 一気に冷めました

"All at once, I felt blank"

「余計な演出なんぞしない、記録映像とナレーションだけでいいんだけどな」と、考えていました。

I think, "I don't need any extra direction, just the documentary footage and narration".

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』も同じ監督による作品であることが分かりましたので、見るのをやめることにしました。

I found out that "United Red Army: The Road to Asama-Sanso" was also directed by the same director, so I decided not to watch it.

あさま山荘事件については、帰省する度に、実家の本棚に置いてある「兵士たちの連合赤軍」に目を通す程度には知っていますので、妙な演出されていたら『私は怒り出すだろう』と思いまして。

I know about the Asama-Sanso incident to the extent that every time I go home, I look through the book "United Red Army of Soldiers" that I keep on my parents' bookshelf. That's why I think, "I would be very angry if it was staged in a strange way.

まあ、好みは人それぞれです。

Well, everyone has their own preferences.

私には合っていなかっただけです。

It just wasn't right for me.

-----

お願いがあります。

I need your help.

私は、映画「東京裁判」をDVDで持っていますが、「東京裁判」のようなドキュメンタリー映像の編集をされた、三島由紀夫や連合赤軍の映画があれば、ご紹介下さい。

I have the movie "The Tokyo Trials" on DVD, so if there are any films about Yukio Mishima or the United Red Army that have been edited for documentary footage like "The Tokyo Trials," please let me know.

あ、それと、全共闘、中核、革マル、革労協などが登場してくるものも、お願いします。

Also, I would like to ask for the ones in which the All-Academic Congress, the National Committee of the Revolutionary Communist League, the Revolutionary Communist League of Japan, the Revolutionary Marxist Faction, the Revolutionary Workers' Association, etc.

まあ、分かる人には分かると思いますが、テーマは「内ゲバ」です。

Well, you know, the theme is "internal strife".

ちょっと調べたいことがありまして、これらの運動のざっくりした全体感を、映像からてっとり早く把握したいと思っています。

I'd like to do some research, and I'd like to get a quick grasp of the general feeling of these exercises from the video.


2022-06-14 ―― 黙っていることが正解、または、正義

『20代独身男性「4割がデート経験なし」 内閣府の調査』 ―― というニュース見出しを見ても、

"'40% of the 20's single men have not had a date' by the government research"

Even if I read an article like that,

―― 黙っていることが正解、または、正義

"Silence is the best or justice answer"

ということが、ようやく、最近分かってきました。

Recently I come to understand that.


2023-06-14 『友人は債券である』 ―― この話を嫁さんにしたら、嫌な顔をしていました。

最近、ソーシャルキャピタルに関する論文を、かたっぱしから読んでいます。

I have been reading a lot of articles on social capital lately.

「どうやらソーシャルキャピタルのデファクトスタンダードとなる定義はなさそう」という結論になりそうです。

I might conclude, "There is no de facto standard definition of social capital."

そこで、一番最初に、この概念を提唱した人の著書に立ち戻ることにして、自分なりの解釈を開始しました。

So, I decided to return to the books of the first proponent of the concept and began my own interpretation.

'Friends are bonds' -- I told this story to my wife, and she looked disgusted.

嫁さん:「まあ、『町内会で活動することには金銭的価値がある』というのは良いとしても、『友人に値段が付けられる』という考え方は不快だ」

Wife: "Well, it's fine to say 'there is a monetary value to being active in a neighborhood association,' but the idea that a price can be put on a friend' is offensive."

江端:「不快かもしれないけど、ロジカルだよ ―― 『人間の幸せはお金だけじゃない』という人は多いけど、これは前提として、『お金は幸福を構成する要素であることを否定しない』と白状していることと同じだよね」

Ebata: "It may be uncomfortable, but it's logical -- there are many people who say that 'money is not the only factor in human happiness,' but this is the same as saying point blank that the premise is 'I don't deny that money is a component of happiness.'"

嫁さん:「それは、そうかもしれないけど」

Wife: "That may be true, though."

江端:「では、その『お金だけじゃないもの』は、多分、何かの"価値"だよね。でね、『友人の数で幸福の過多を語れない』というのであれば、「ひとりぼっち」と「一人以上の友人を有する」ということに、幸福の差はない、それは主観の問題だ、と自信をもって主張できる人なんて、この世界にいるかな?」

Ebata: "Then, that 'something other than money' is probably some 'value. So, suppose we can't talk about happiness based on the number of friends. Who can confidently assert that there is no difference in happiness between being alone and having more than one friend and that it is a matter of subjectivity?

嫁さん:「・・・」

Wife: "..."

江端:「『社会的関係を断ち切る人生こそが幸せ』という論文を、私は一つも見つけだすことができなかったし、既往研究のソーシャルキャピタルの総量は、コミュニティや友人の数で算出されていたよ」

Ebata: "I couldn't find a single paper that said the life of disconnected social relationships is happiness,' and the number of communities and friends calculated the total amount of social capital in existing studies."

嫁さん:「・・・」

Wife: "..."

江端:「"友人0人と1人の間には幸福の差異がある"、けど、"1人と2人の間には差異がない"、というのは、論理的におかしいと思うんだけど」

Ebata: "I think it is logically wrong to say that there is a difference in happiness between zero friends and one friend, but not between one and two friends.

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もっとも、友人の数が多ければ多いほど良いとは思えませんが、これは、経済学の「限界効用」の概念で説明可能です。

However, more friends are not better, which can be explained by the concept of "marginal utility" in economics.

To begin with, the loneliness check questionnaire says the same thing: a friend can put a price on your friend', I think.

さて、あなたは、どう思いますか?

Now, what do you think?