最近、朝のニュース番組などで、ボーカロイド(ボカロ)が、初音ミクを例に、紹介されるようになっているそうです。
何年か前には、主要なマスコミメディアは、まるでボカロ愛好者を変態扱いまでしていたようですから、「えらい態度の変え方だな」と、思っている人も多いでしょう。
しかし、この事実は、新しい技術と文化が、ある一定の期間「寝かせつつ」と、ブームをゆっくりと細々とでも継続させ続けるということが、いかに大切であるか、という、一つの分かりやすい事例とも言えます。
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そういう技術(または文化)は、それを作り上げている人からは価値があるように見えますが、そうでない人からは、「どーでも良い」ものです。
そういう技術開発には、予算が付かないのです。
予算が付かないと、なかなか自分の意思だけで続けるというのは、難しいです。だって、「何も食べずに働くようなもの」ですから。
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我々研究員がやりたい研究を続ける為に必要とされる資質というのは、「能力」「才能」「熱意」「カリスマ」というようなものよりは、寧ろ、
「粗食」で幸せになれるような、「自己洗脳」だと思います。
毎日、納豆御飯ともやし炒めで「我慢する」 ―― ではなく、そのような食事を、心から「美味しい」と思える、自己催眠の技が必要になってくるのだと。
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私も今、だれにも知られないように、2つの研究と勉強を続けています(週末研究員)。
一生「日の目を見ること」はなさそうな、無茶な挑戦であると自分でも思っています。
ですから、時々、お腹がへって、そのひもじさに、ステーキハウスの前のウィンドウの前で、もの欲しそうな顔をしてしまいます。
(この場合、ステーキハウスとは、国や会社から、予算が付くような研究テーマ(今でいう「クラウド」、昔でいう「ファジィ」など)が相当するか、と)
それでも、私は、敢えて「納豆御飯」を選ぶという生き方もあると信じています。
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でも、正直なところ、研究員は「メジャー」なってナンボ、というのも事実です。
そして、ほとんどの場合、「納豆御飯」の人生の多くは、「納豆御飯」の人生で終わります。
ですから、一年365日、いつどこでも、「納豆御飯」を美味しいと思えない人には、絶対にお勧めできない生き方です。
江端家では、私の「歩きながら本を読む」という文化を、次女が継承しています。
In the Ebata's, my daughter success to the culture of "walking reader" of mine.
先日、その次女がいらんことを言いました。
The other day, she said unwished saying.
「最近の自動車、音がしなくて、危いんだよねー」
"Nowadays, some kinds of car sound small and it is danger.
そう、電気自動車はエンジン音がないので、耳を頼りに歩く、私たち"Walking readers"にとっては天敵なのです。
Yes. The electric vehicles should small, so the car is a sort of counter-pest against our walking readers.
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この結果は言うまでもありません。
Needless to say, the result is clear.
―― 歩きながら、本を読むな!
Don't walk with reading.
と、嫁さんと長女に、しこたま叱られていました。
She was scolded by my wife and the senior daughter.
幼いということは、無知なものです。「爆弾ワードを、ここで言うか?」
Children are ignorance. "Why did you say bomb words?"
その矛先が、私にも向けられるのは当然です。
And it is natural that they direct their spear to me.
「"Walking reader"は、大人になってからにしろ」
I said to the junior daughter with hitting her back, "You are no enough to be walking reader"
と、まあ、はっきりいえば、自分を守る為に、次女の背中を撃ちました。
in order to save me.
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"Walking reader"は、確かに危険です。言い訳できないです。
"Walking read" is absolutely danger. No way to explain myself.
しかし、歩きながら読む本や問題集は、恐しい程、頭の中にすーっと入ってくるのです(私の案出する発明は、ほぼ100%歩行中に、完成します)。
It is easy for me to understand the contents of books and textbooks with walking. (My inventions have been completed in walking).
私には放棄できないものです。
It is abdicable for me.
"Walking reader"が一定数あるのであれば、"Walking reader party(日本歩き読み党)"を結成して、国会に議員を送り込みたいです。
If there are some populations of walking readers, I will make a party and send lawmakers to the parliament.
そして、「歩道」の他に「歩き読み専用歩道」のレーンの為のロビー活動を考えております。
Our party will propose a new lane for walking readers only as a lobbying activity.
I have started a new serialization from this month.
内容は、ずばり「ダイエット」です。
That is "diet".
「ダイエットの方法」ではなくて、「ダイエットそのもの」について、分析していきたいと考えています。
I want to analyze not the method of diet, but actual "diet" itself.
ところが、この「ダイエットそのもの」を、論考した文献が見付かりません。
But I cannot find the material about the actual diet.
私の最大の謎は、「ダイエットしている状態の体型が評価される」という、論理的な理由です。
My biggest question about this theme is to know the logical reason why the body on diet seems to be valuable.
調べれば調べるほどに、「ダイエット」というものが、私にはどうにも理解できなくなってきているのです。
The more I examine about it, the more I cannot understand it.
さらに、「ダイエット」が、「宗教」や「英語」や「結婚」や「環境問題」と同じように、その意義や効果などについて、深い考察をことが許されないような、―― 息苦しい圧力 ―― のようなものを感じるのです。
And I have felt some stuffy pressure that we are not allowed the deep argument about the signification and effectiveness, like "religion", "English", "marriage" and "environment".
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という訳で、本日はお願いです。
I have a favor to ask you the following today.
江端のアンケートに応じてもいいという、ボランティアの方を募集しています。
I am recruiting volunteers who answer my question about diet.
「ダイエット」は全ての人類に関わる問題なので、全ての方をアンケートの対象とさせて頂きたいと思います。
I think that diet is a big issue about human being, so I want to aim for the questionnaire towards all.
もし、協力して頂ける方がいらっしゃいましたら、
アンケート用のメールアドレスから、私に御一報頂けませんでしょうか。
上記のアドレスが使えない場合は、江端の公開メールアドレスから、私に御一報頂けませんでしょうか。
If you could join this questionnaire, would you please send me your mail using this my mail address ?
頂いたあなたのメールアドレスを使って、「アンケートシート」を送付させて頂きます。記入項目はYes/Noの数項目、所要時間90秒、可能であればコメントも頂ければと考えております。
I am going to send you my questionnaire mail using your mail address.You need to check several Yes/No check in 90 seconds. If possible, please give your comment about diet.
言うまでもありませんが、絶対的な意味において、アンケートに応じて頂いた方のプライバシーを守ります(従来通り、頂いたメールは、メールアドレスごと読後廃棄します)。
Needless to say, I do keep any your privacy information in an absolute meaning.(I promise "disposal after reading" with your mail address as before.)
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問題点は2つあります。
There are two problem above the above.
(1)報酬がありません。
(1)No reward
1円もありません。お渡しする手段もありません。
No money. I have no way to give you even if money is.
但し、頂いたご意見等の掲載を「希望される」場合は、実名/匿名(ツイッターのハンドル名等)を問わず、全て寄稿コラムで紹介させて頂きます。これはお約束します。
But, if you hope, I promise that I am going to open your opinion with your real or handle name.
This is the sample of the previous questionnaire event.
This is the statistic analysis of the previous event.
(2)江端の「悪意の不在」を証明する手段がありません。
(2)No means to prove "Ebata's malicious absence".
江端は、あなたのメールアドレスを悪用しようと思えば、当然に可能な状態になります。そして、私にその「技術」があることはご存知の通りです。
If I try a malicious use of your mail address, I think it is easier for me. You know that I have the kind of the technical skills.
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あなたのメリットがあるとすれば、以下の様になります。
Your merits are followings even even if they are merits.
■江端の寄稿コラムを、先行的に読めます(秘密は守って頂きますが)。
- You can read my column before public open. (Though I ask you to keep the secret before opening it).
■江端の考えているネタを、先行的に知ることができます。
- You can know the my idea of columns before the opening.
■江端の非公開プライベートメールアドレスを、知ることができます。
- You could know my non-open Ebata's private address.
■江端に感謝されます。
- You are thanked for by me.
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なお送付して頂くメールには、あなたの名前は勿論、1文字の文面も記載して頂く必要はありません(勿論、記載して頂ければ嬉しいですが)。
You don't have to write your real mail, your background, greeting and other your private issue( Of course, for me, any your information is to welcome )
メールのサブジェクトに「アンケートに応じます」(検索で使うので、この通りのフレーズでお願いします。)とだけ記入して、空のメールだけで、送付頂ければ、十分でございます。
Please write "I accept the questionnaire" in the subject, and send an empty mail to me. It is good for me.
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なぜ、私が(ツイッターなどを使わないで)このような面倒くさい手段を用いてアンケートを試みているかというと、
Why I try this complicated method (not to use Twitter) is that,
私の日記を読んで頂いている(大変奇特な)方の多くが、(1)理知的で、(2)礼儀正しく、(3)約束を守り、(4)気持の良い対応をして頂ける方であることを、私は経験的に知っているからです。
I know well experimentally that my diary's readers are (1)intelligent, (2)polite (3) keeping their words, and (4) a good responder.
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それでは、日頃より、私の日記をご愛好頂いている皆様。
Then, Dear all of you who usually read my diary on a regular basis.
本件、ご検討頂けますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
Thank you for your cooperation for this matter.
江端智一
Best regards,
Tomoichi Ebata
週末、長女の世界史年号の暗記につきあっていました。
Last weekend, I went with my senior daughter about rote learning of world history.
私、年号暗記なんぞ、歴史の勉強ではないと確信していますので、最小限の個数を、最小限の努力で行なうべきだと思っています。
I don't think that the rote learning of world chronological table is a study of history. So I think we should make less effort for the minimum counts.
歴史の年号は、歴史の流れを理解する為の、ランドマーク(目印)のようなものだと思っています。
The years of world history are just landmarks to understand the flow of the history.
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いやー、大変ですね、本当に。
Well, it is a hard work for my age.
もう、この年になると、力づくの暗記って、もう全然無理です。
I cannot learn many historical events by heart.
歴史の背景とか、人物の性格とか、政治や宗教などもインプットされていないと、記憶できないのです。
Without backgrounds of history, historical person's characters, and political styles or religions in the period, I cannot leave the event in my brain.
しかし、このやりかたでは、歴史の年号一つの暗記に1時間以上を必要としてしまいます。
But if I choose this way, I need more than one hour for each historical event.
年号の暗記だけで、受験日を経過してしまいまう。
The day of an entrance examination is going away before the completion.
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複数の教科の勉強を、ダイナミックかつスケーラブルに展開するには、
In order to study several subjects dynamically and massively at the same time,
『どうしても、ティーンエイジャの脳味噌が必要なのだ』
"The brain of teenager is needed absolutely"
と実感した週末でした
I could understand the fact deeply.
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―― と、言うとでも思いましたか?
"Do you think the above is my argument ?"
ところが、私は、上記のスレッドは、全部、
I am sorry but I believe that all of the above are just excuses of educators or guardians, who
■教え方に命を賭けない、
have no intention to make a study of lecture technology for life, or
■創意工夫を行わない
have no intention to invent new methods.
教育者または保護者の「言い訳」だと思っているんですよ。
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
作成途中の、機能の一部だけを実装した、
I ask the engineers to open a part of source code, that realizes a part of whole function. In addition, the code might be
■汚くて、
lame, unmade
そして
and
■ステップ数が短い(どんなに長くも100行)
shorter (less than 100 steps, if ever)
コードを、バシバシ公開して頂きたいのです。
I really want to read such incomplete codes.
そのようなプログラムは、大抵の場合、アルゴリズムの「根っこ」であったりします。
Those codes are, in many case, fundamental function of the algorithm.
そして、その「根っこ」は、私にとっては、完成した完璧なソースコードより、はるかに価値があるのです。
For me, the code is better for me than complete and completed source code by far.
汚いコードは、データ構造の本質を理解するのに、大変助かりますし、
A lame and unmade code is helpful to understand a basic structure of data, and,
短いコードは、そのアルゴリズムを理解するのに、大変助かります。
A shorter code is helpful to understand the basic algorithm.
特に、実時間処理を施しているコードなどにおいては、その処理を施す前のコードが、私にとっては至宝のコードです。
Especially, about a code that implements realtime processing function, the old code, before implementing the process, is extraordinarily fine, for me.
(実時間処理が入ってくると、トレースができないから)
If the realtime process includes, the code traces must be difficult.
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善意でソースコードを公開して頂いている方の多くは、ソースコードを作ることが大好きで、
Many engineers, who have opened their source code with good-will, love to make codes,
そして、
however,
―― ドキュメント(解説資料)を作るのが大嫌い
they don't like write a document(like instruction manual,practical guide)
です。
もし、その方から、「ソースコード自体が、ドキュメントそのものだろう」と言われると、それはもっともな話で、グウの根も出ません。
If they say "source code itself, is a manual" to me, I don't argue against them.
それが、正論だからです。
Because it is a just argument absolutely.
なにより、自分のソースコードを公開している私自身も、ドキュメントは作っていません。
Above all, I also open my source code to the Internet, but I have not made the manual since now.
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だから、「ドキュメントを書いて下さい」とは言いませんので、
So I don't say "Please write "readme.txt" down". but I want to say to them
「作成プロセス途中の、小さくて、汚い、のソースコードを残して下さい」
"Please leave your lame, unmade and short code under the construction"
と申し上げさせて頂いている次第なのです。
with greatest courtesy.
宗教における教義や解釈についての争いというのは、多分、こんなもんだと思うんです。
I think that fighting about doctrine and interpretation in religion is probably like this.
The difference of following programs between
int a[100]; for (int i = 0; i < 100; i++){ a[i] = i; }
を、
and
int a[101]; for (int i = 1; i <= 100; ++i){ a[i] = i; }
と、記載するのを、絶対に許せない ―― というようなもの。
absolutely unforgivable for me.
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例えば、C/C++とPythonは、喧嘩しません。
For example, C/C ++ and Python do not fight in my mind.
私の中で、仲良く共存しています。
For me, the above two languages coexists friendly.
(Continuation from yesterday)
最近の哲学・宗教のマイブームにのっかって、AmazonでNHKのテキストを購入しまくっていますが、先日読んだ、
Recently, based on my boom of "philosophy and religion", I continue to buy a textbook of NHK radio program. Especially, this book,
"Greater vehicle Buddhism --- Where the Dharma teachings of Buddha is going"
は、私の疑問に対して、100%答えてくれる書物で、あっと言う間に読み切ってしまいました。
is to answer my questions perfectly, and I finished reading the book in just about no time.
この本を、どう表現したらいいのか、と色々考えてみました。
I thought that how to express my feeling of reading. How do you think about
『知的大爆笑』というのはどうかな、思っています。
"Intellectual explosive laughter"
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まあ、とにかくこの本や読みやすいです。
Well, the book is readable.
内容が薄いからではなく、むしろ深く、丁寧で、親切な書き方です。
However, the content is not poor but rather rich, and polite and kind.
「青年」と「講師」という二人を登場させているところも「上手い」です。
It is skillful that two persons "a young" and "a lecturer" appear in the book.
ちょっとした不明点や矛盾点にも突っ込んでくる「青年」と、その質問から逃げることなく、全てに答える「講師」の二人のかけあいが、実に楽しい。
The talk between the young, who seeks out tiny question mark and contrariety, and the lecturer try to reply to all his queries, is very fun.
(私が「講師」なら「青年」の突っ込みにキレるな、と思いました)
If I were the lecturer, I would get mad with the young.
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『この著者、凄いなぁ』と思いながら、履歴を見てみたら、
I felt ""this author is something" and I read the personal history.
工学部工業科学科と、文学部哲学科仏教学を卒業した文学博士で、現在、文学部仏教学の教授をされているようです。
He is graduated from an industrial science in engineering department and Buddhist philosophy in literature department, and take Doctor of Letters degree, and now he is professor of Buddhist philosophy in literature department.
"工学部工業科学科"というフレーズを見て、「ああ、なるほど」と納得しました。
Reading "industrial science in engineering department", I could understand the background.
―― テクニカルライティング
It is "technical writing".
この本が読みやすかったのは、技術的手法に基づいて、論理的に記載されていたからだと、気がつきました。
I noticed that the reason why this book is readable, is that it is based on technical methods, and it is written logically.
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さらに、この本の最後から15ページのところに、著者いわく、
In addition, at the 15 pages from the end of book, this author said
あのワイルズ氏の成し遂げた「フェルマーの最終定理の証明」に匹敵する、
Being equal to "proof of Fermat's last theorem" by Mr.Andrew John Wiles
『大乗仏教上の難問が、2017年に解決されていた』という
"Conundrum of greater vehicle Buddhism" has been resolved in the 2017.
驚くべき話が登場します。
The amazing story comes on stage.
それは、
This conundrum was resolved by the collaboration of
(1)敦煌で見つかった仏教文献の電子化と、そのコンテンツのインターネットによる公開
(1)An information disclosure by computerized Buddhist scriptures in Dun Huang
という情報開示と
(2)上記(1)のコンテンツの、コンピュータを使った分析
(2)analysis by IT technology (big data analysis)
という、ビックデータ解析手法によるコラボレーションを使って、この難問が解決された、とのことです。
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ネタバレになりますので、ネタのお話しませんが、情報公開とIT技術が、宗教上の論争にケリを付けたということだけでも、私は十分に興奮しました。
I will be a spoiler, so I won't talk about it. However I was excited enough that just because information disclosure and IT technology had settled on a religious challenge (or confrontation).
それは、私の仮説「大乗仏教コミケブース論」を、力強く支持してくれる内容であった、とだけ、ご報告しておきます。
I would like to report that it was a content that strongly supported my hypothesis "greater vehicle Buddhism Comikets's theory".
Recently, I've been running my second website in WordPress.
当初、現在のhtmlバージョンを、WordPressに全て移行しようと思ったのですが、ちょっと試してみて、その移行にかかる手間暇がハンパでないことが分かりましたので、断念しました。
At first, I was going to migrate all the current html version to WordPress, but I gave it up because I tried it for a bit and found that the time and effort to migrate was too much.
そんでもって、
And so, I thought to myself,
―― 同時に2つ運用してやればいいか
"Why don't I just run the two at the same time?
と開き直りました。
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WordPressに移行しようと思ったのは、最近、スマホからアクセスして頂いている方の比率が大きくなってきている、ということに起因します。
The reason why I decided to switch to WordPress is that the percentage of people accessing my site from a smartphone has been increasing recently.
私の本家のホームページは、PCからのアクセスしか想定していなくて、これをスマホ対応にもする必要があるかなぁ、と考えていたのも一因です。
My home page was only intended to be accessed from PC, and I thought it was necessary to make it smartphone-responsive, too.
それと、WordPressの方は、2年前に、町内会のホームページをリメイクした時に、一度立ち上げを経験しているので、比較的ラクだろうとも思っていました。
I also thought that WordPress would be relatively easy, since I'd done it once before, when I remade the website of the town hall association two years ago.
実際の作成では、色々なWebサイトの情報を参考にし、ページのデザインは、私が気にいったネットのページで「ページのソース」を表示して、設定をマネしました。
In the actual creation, I referred to various web sites, and for the design of the page, I displayed the "page source" on a web page I liked, and imitated the settings.
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WordPressのメリットは、
The advantages of WordPress are
■テキストを放り込めば、適当な形に変更してくれる
If I throw in the text, it will be changed to an appropriate shape.
■特に図や写真も、放り込むだけで、適当なフォーマットにしてくれる
Especially diagrams and photos are put into a suitable format just by throwing them in.
■スマホ用、PC用別々に作らなくても良い
I don't have to make separate versions for smartphones and PCs.
という、『私がラクできる』の一言に尽きます。
It's all about "I can do it easily".
デメリットは
The disadvantages of WordPress are
■自分の思うような表示の設定を見つけるまで時間がかかる
It takes time to find the right display settings for you.
■自分でページをコントロールできないので不安
I'm worried because I can't control the page myself.
です。
という訳で、現在、WordPressは、ほとんど「私のメモ帳」として機能しています。
Anyway, at the moment, WordPress is functioning mostly as "my notepad".
今日、安定剤を貰いに、近くのクリニックに来たのですが、「話の長いおばさん」に、辟易してしまいます。
Today, I came to a nearby clinic to get some stabilizers, but I was fed up with the "long-talk old woman".
彼女は、コロナのワクチン摂取の予約が取れない事情を、長々と、クリニックの受付で語り続けていました。
She was talking at the reception desk of the clinic about how she couldn't get an appointment to get the Corona vaccine.
待合室で話を聞いていた私の方が、キレそうになりました。
I was listening to the conversation in the waiting room, and I almost lost my temper.
『結論を先に言え!』と、そのおばさんに説教しそうになりました。
"Tell me the conclusion first!" I was almost to lecture the old woman.
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私が、『偉いなぁ、立派だなぁ』と思ったのは、おばさんの話に割り込むことなく、話を聞き続けていた、受付のお姉さんでした。
What I thought was great and admirable was the lady at the reception desk who kept listening to the old woman's conversation without interrupting.
これからは、こういう「非ロジカルトーク」を上手く捌ける人間が、必要となってくるのだろうと思います。
From now on, I think we will need people who can handle this kind of "non-logical talk" well.
なぜなら、私たち(私も含めて)、ロジカルに語ることや、ロジカルに記載することが、苦手だからです。
This is because we (myself included) are not very good at talking logically or describing things logically.
ロジカルトークや、ロジカルライティングは、それだけでトレーニングの対象(対価が発生する)になるほど、難しい技術です。
Logical talk and logical writing are such difficult skills that they should be the subject of training (for a price) on their own.
これを、全ての人に強いるのは、普通に「暴力」です。
It is usually "violence" to force this on everyone.
それはよく分かってはいるのですが、『30秒で説明できることを、4回繰り返して、5分以上もしゃべる続けること』も「暴力」だよな、とも思います。
I am well aware of this, but I also think that 'repeating four times what can be explained in 30 seconds and talking for more than five minutes' is also 'violence'.
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まあ、そう遠くない未来、私も「そう」なります。
Well, in the not-too-distant future, I will be "that" too.
ロジカルかどうかはさておき、私たちの最期は、(1)認知症にならずに死ぬか、(2)認知症なって死ぬか、の二択しかありません。
Logical or not, we have only two choices at the end of our lives: (1) die without dementia, or (2) die with dementia.
And now there is an "overwhelming" chance that it will be (2).
(さらに、50%以上の確率でガンで死にます)。
(Furthermore, there is a greater than 50% chance that we will die of cancer).
自分が、何をしゃべりたいのか上手く纏められない時に、回りから『結論を先に言え!』と罵しられるのは、『さぞ辛いことだろうな』とは思います。
When I can't speak well and people around me are cursing me, "Speak your conclusion first!". I can imagine that this is absolutely painful for me.
しかし、その一方で、
But on the other hand...
―― どうせ、いずれ自分が罵しられることになるなら、今、他人を罵しっておいた方がおトクかな
"If I'm going to be abused sooner or later, it's better to abuse others now"
という、下衆(ゲス)なことも考えています。
I also think about the despicable matter.
江端家は、一応、地震を含めた災害対策をしているつもりです。
The Ebata family, for its part, intends to take disaster countermeasures, including earthquake.
以下は、その対策を、町内会報に掲載した時の記事です。
The following is an article about the measure when it was published in the town newsletter.
食料などは、倉庫や荷物の中に閉じ込めてしまうと、ストック量が把握できなくなるので、室内に置き、消費と補充を続けるという方式を取っています。
Since it is impossible to keep track of the amount of food stocked if it is locked up in a warehouse or in luggage, we have adopted the method of keeping food indoors and continually consuming and replenishing it.
それはさておき。
Aside from that.
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The other day I told you about my second daughter who was unable to return home due to a power outage.
この時、現実問題として登場してきたのが、スマホの充電です。
At this time, a real problem has emerged: charging smartphones.
スマホは、今やライフラインですが、それも「充電」できてこそです。
Smartphones are now a lifeline, even if they can be "charged".
停電になれば、ただの金属板です。
If the power goes out, it is just a sheet of metal.
という訳で、次女を駅に迎えに行った日に購入しました ―― 手回し発電機
So I bought one the day I picked up my second daughter at the train station -- a hand-cranked generator.
これは、
I think that this is a
「被災後に『購入しなっかったこと』を絶対に後悔するNo.1商品」
"The No. 1 product that people will definitely regret not purchasing after the disaster"
と思います。
すでに商品は発送されているのに、着荷が6月となっているところを見ると、出荷元は国外です(というかラベルを見れば一目瞭然ですが)。
The product has already been shipped, but the arrival date is in June, which indicates that the shipment is from outside of Japan (or so the label makes it clear).
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ところで、「今」、この記事を読んで、江端家に助けて貰おうと思っている人がいるかもしれませんが ――
By the way, "now" that some of you may be reading this article and thinking to ask the Ebata family to help you out--
「この記事を読んだ時」に、購入を決意しなかったあなたを、私が助けなければならない理由は「ない」―― で、いいんですよね?
There is "no reason" why I should help you if you didn't decide to buy "when you read this article" -- Is it O.K.?
最近、FastAPIについて勉強をしていました。
Recently, I was learning about FastAPI.
So I re-read the Web site that is supposed to be the first introductory book.
実に分かりやすく、素晴しい入門書だ、
This is a very clear and excellent introduction to the subject,
―― と、今なら思えます。
-- I can see it now.
入門書というのは、"入門を終えた人"が後からふりかえると、よい復習にはなるが、それ以上のものではない。
An introductory book is a good review for those who have completed the introductory course, but it is not much more than that.
何が言いたいかというと、
What I'm trying to say is, the fact of
『ほとんどの入門書は、入門者にとっては、ただの"ゴミ"』
"Most introductory books are just "garbage" for beginners"
という事実です。
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結局私は、FastAPIを、YouTubeに教えてもらいました。
Eventually, about FastAPI, YouTube taught me how to use it.
講師と全く同じ環境にして、全く同じ手順を、画面を止めたり、巻き戻したりしながら、自分の手と目と頭でやりながら、やっと、一番最初の理解に辿りつきました。
I finally arrived at the very first understanding by putting myself in the same environment as the instructor and going through the same steps, stopping and rewinding the screen, using my hands, eyes, and mind.
『FastAPIが何をするものかも分からない状態で、YouTubeの画面と同じこと実施した』が『最適解』だった、ということです。
The best solution was to do the same thing as on the YouTube screen without knowing what FastAPI does.
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という訳で、これも再三言っていることですが、
This is why I have said this again,
『基礎が大事』というのは、多くのケースでウソです。
"It is a lie in many cases that 'fundamentals matter'"
すでに理解してしまった人が執筆した入門書が、本当の入門者に理解できる訳がない。
There is no way that a real beginner can understand an introductory book written by someone who already understands.
バックグランドが全然違うのですから。
The backgrounds are completely different.
『基礎が大切』がウソであることは、私の経験では、英語、プログラム、数学、量子力学、制御システム、少子化問題、年金問題・・・、ほとんど全部ですね。
It's my experience that 'fundamentals matter' is a lie: English, programming, math, quantum mechanics, control systems, fertility issues, pension issues... almost everything.
私の経験から言えることは、『始めてしまうことがが大事』です。
From my experience, I can say that 'getting started is the key.
もっと端的に言えば、『突っ込んでいくことが大事』です。
To put it more simply, 'it's important to go in.
訳が分からないまま、小さい失敗と成功を繰り返しながら、膨大な時間を使って、ほんの小さなゴールに辿りついた時
When you reach a small goal after spending a great deal of time repeating small failures and successes without understanding the reason...
―― その時、初めて「入門書」は役に立つのです。
-- Only then "the introductory book" will be useful.
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