「浮気」というものに関して、私はその定義を知りませんし、それをモラルの観点から、どうこう言うつもりもありません。
ただ、「浮気」というのは
『隨分と、コストがかかるんじゃないのかなぁ』
という漠然とした予想があります。
# ここでいうコストとは、「金」と「時間」のことだけです。「リスクコスト」は勘案しません。
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少し気になったので、
「浮気の経済学」
「浮気の時間捻出法」
「浮気の最適化問題」
などのキーワードで、ちょっと調べてみたんですが、客観性を担保した学術論文や特許などは、見つけることができませんでした。
ちなみに、
「30日完成 浮気」
「チャート式浮気方法」
「たった2年で浮気できる方法」
などの、「浮気」未体験者に対するハウツー本は発見できず、
「浮気で儲ける方法」
のようなビジネスモデルは、絶無でした。
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私は、「飲み会」に行く金があれば、その金で「GPSの固定アンテナを自宅の屋根に設置したい」と考える人間です。
# 「GPSの計測誤差から、地震予知ができるかもしれない」という話を聞いてから、週末研究者をやって、自力で調査してみたいなぁと思っていまして。
「浮気」というものが、どういうものか良く分かりませんが、多分それは、「GPSのアンテナを自宅の屋根に設置する」よりは、圧倒的にマジョリティ(多数派)なのだということは、なんとなく理解できます。
取り敢えず、本スレッドに関しましては、私は「GPSアンテナを、自宅の屋根に設置した」後に回します。
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私が、「英語」「ネットワーク」「特許法」のレベルで、「浮気」を語れるようなったら、改めてご報告致します。
我が家では、嫁さんが「アニメ嫌い」なので、家族全員でアニメを見ることは滅多にありません。
といっても、私の「ドラマ嫌い」程は酷くはないのですが。
ただ、現時点において例外が2つだけあって、それが「宇宙兄弟」と「ちはやふる」です。
「ちはやふる」とは、百人一首の競技カルタを題材にする、文化系スポコン漫画(形容矛盾しているが)です。
一言で言って「面白い」。
原作もよく、アニメはそれ以上に良い。こういう作品が見れるのは大変嬉しいです。
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「ちはやふる」を見ながら、我が家の中学二年生の長女が
『ああ、こういう青春時代を送りたかったなー』
と、呟いたので、家族全員が一斉に突っ込っみました。
―― お前、現役の青春を生きとるだろうが! 過去形で語ってどうする!!
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演劇部で主役張って、叱られて泣きながら帰宅して、人間関係に悩んで、と、そういうものを「青春時代」と呼ばずに、何と呼ぶ。
―― と言うことに気がつくのは、もっと後なのかもしれない。
「青春時代」は、外側からでしか観測できないものなのかもしれません。
昨日のNHKの朝の番組で、「性を扱うインターネットの情報」にアクセスするティーンの子どもに狼狽える(うろたえる)母親達が描かれていました。
Yesterday, I watched the NHK news program and mothers, who has sons, were confused with their net-access to sexual contents.
「男の子の子どもをもつ母親」というのが、多分最低最悪の組合せになるのでしょう。
I am afraid that the worst combination is "mother and son".
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我が国においては、親子間のSEXの話題は基本的にタブーとなっています。これは良い悪い関係なく、我が国はそういう文化なのです。
In our country, the topics of SEX are about to be taboo between parents and children. In spite of good or bad, it is our custom and culture.
私だって、基本的には「『ティーン向けコミック』や『下衆なトイレの落書き』に任せておけばいいわい」と考える一人です。
Honestly speaking, I also hope that I leave sex educations to comics for teenagers and vulgar graffiti in public toilets.
そんでもって、できれば「性教育も学校で頼みたいなぁ」と他力本願している、卑怯な保護者です。
Additionally, I am a coward that I want to ask their schools to the educations.
それでも、今回、「コンドームの効果を、技術者視点で娘に淡々と語れる人」のようなことを行ったのは、
In this case, why I did the above ULR link is that I felt,
―― 自分の子ども達が、現実的な「死の危険」に晒されている
"My daughters are going to face real a danger of death"
と直感したからです。
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インターネットでアクセスできるSEXコンテンツは過激で、そのような情報に接したことのない母親達の衝撃は、想像するに難くありません。
I admit that the sexual contents on the net are extremely hard and violent for children. It seems to be easy to understand the mothers should be full of trepidation and phobias.
私も、ちょっと違う観点から懸念しています。
On the other hand, I also sorry for the trends,
―― 「エロにアクセス」するには、もっと苦労しなけばならんだろう!
"Children should have a lot of troubles in order to access sexual contents."
と。
例えば、
For example,
「エロ」の自動販売機を見つけて、午前3時頃自転車でそこに行き、そして、自動販売機がエロ本を落す音(意外に大きいんだ、これが)に怯える。
When they find a location of bending machine of erotic book, they go there by bicycle, and they should be surprised at the machine sound during operation.
これが、正しい「エロへのアクセス」への礼儀だ、と私は思うのです。
I believe that this is a correct deportment for accessing sexual contents.
このような「エロへのアクセス」の難しさこそが、SEXを神聖化・・・もとい、羨望化し、結婚率を持ち上げて、そして少子化問題を解決する ―― などとは、信じていませんが、
The difficulties for sexual contents might make them adore act of love, raise the marriage rate, and resolve the society with fewer children.
To tell you the truth, I don't think the above perfectly.
それでも、簡易な「エロへのアクセス」は、異性への正しい距離感を壊すのではないかと懸念しています。
However, I am sorry that the easily access to sexual contents might destroy the feeling of distance from persons of the opposite sex.
(続く)
(To be continued.)
(Continuation from yesterday)
「停滞期」がダイエットの意思を砕いているのであれば、「停滞期」であることを知らせなければいいじゃないですか。
If the "stagnant period" breaks the diet trial, nobody might tell them the truth.
体重計が自分で。
Weight meter should not.
ちょっと高機能の体重計であればマイコンは内蔵されているでしょうから、こんな感じのプログラムを組めば足ります。
A high specification weight meter includes a microcomputer, it is enough that the following programs should be embedded and the weight meter should notice them.
■利用者が、一日何回も体重計で計測を試みている
The uses tries to measure their weight several times a day.
■利用者が、一回の測定で何度も測り直す
The user tries to measure their weight again and again for one trial.
■利用者が、体重の表示が一番軽くなった値の瞬間に、体重計から降りようとする
The user seemed to be stop measuring at the moment that the lightest weight is displayed on the weight meter.
という測り方をしている場合「ダイエット中」であると判断する。
The weight meter judges whether they are on diet, when it notices the above.
次に、
Next time,
■大きく体重が減った場合であっても、ダイエットが不調な場合(停滞期)に供えて、控え目な値で表示する。
Even if the weight meter notices losing weight, it displays a modest numerical value, against bad diet condition.
■停滞期に入った時には、値の振れ幅を適当に調整しながら、現実の値ではなくて、前日より減らした値を表示する。
When rushing in the stagnant period, it displays less virtual numerical value than real numerical value of yesterday, while adjusting the waggle width.
こうすることで、停滞期であっても、ダイエットを続けるモチベーションを維持できるようになる訳です
Thus, we can continue the motivation of diet even if in the stagnant period.
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ポストM2Mは、M2P(Machine to Person)です。
I think that Post-M2M will M2P (Machine to Person).
これからは、機械が人間の気持ちを理解する時代です。
From now, the time, machine can understand how people feel, is coming.
この技術の応用分野は広い。
The range of this technology might be wide.
体重計のみならず、身長計、血圧計、レントゲンなどの人間を測定する装置。
Not only weight meter, height meter, a sphygmomanometer, X-rays.
運動分野では、ストップウォッチ、タイマー。
In the field of exercise, stopwatch, and timer
そして、試験分野では、TOEICやTOEICやTOEICなどです。
And, in the field of examination, it is TOEIC and TOEIC or TOEIC
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「機械のような奴」という言葉が、「人の気持ちを理解する優しい奴」という意味に使われるようになるまで、もう一歩です。
It is almost one step until the word "a guy like the machine" comes to be used as a meaning "a tender person understanding other's feeling".
電波時計の電波は日本の2箇所の電波塔(福島県と佐賀県と福岡県の県境)から送信されています。
The waves for "radio clock" is broadcasting from the two radio station in Fukushima pref. and the border between Saga and Fukuoka pref.
この2つの塔が、日本全国の電波時計を1秒以下の精度に保っています。
The two stations keep a precise time of all "wall-mounted radio clocks" in Japan. within one second
こうなってくると、「カセットテープって何?」「フロッピーディスクって何?」というレベルで、
Now younger who say "What is cassette ?" "What is floppy disc?" is going to ask me, in near future,
「時計合わせって何?」ということになる ――
the question of "What is "clock adjustment".
というか、もうなっているのでしょう。
It has already come hasn't it?
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ところが、この電波が、全く受信できない場所があるのです。
But there are some places where we cannot receive the wave at all.
「私のオフィス」です。
One of them was my office.
電波時計の電波受信確認のLEDの点滅が表示されない。
The wall-mounted radio clocks cannot show a LED blinking for the wave receive confirmation.
オフィスの色々な場所で調査している途中で、窓際ですら電波が取れないことが分かり、調査を打ち切りました(調べるだけ無駄)。
I started a field work in order to check the wave, however, I came to know that the wave was not arriving at even at nearby windows. (I am afraid that it is in vain to continue the check-up).
正直、ショックを受けています。
I was very shocked by the result.
この度、職場環境改善の一環として、何台かの壁掛け電波時計を発注してしまったからです。
Because, I have already ordered several wall-mounted radio clocks for office environmental improvement at this time.
このままでは、「時間を合わせる為に、壁掛け電波時計を外に持ち出す」という、面倒な仕事が増えてしまいます。
In this state, I have to add an annoying task to go outside, in order to match the time of wall-mounted radio clock.
(To be continued)
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
Today, new my column is released, so I take a day off.
Over the AI ――AIの向こう側に(8):
陰湿な人工知能 ~「ハズレ」の中から「マシな奴」を選ぶ
"Over the AI(7) ---- beyond a reach of our imagination of AI"
Sluggish Artificial Intelligence ~ Choose a "better" from "losers"
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一人の男を巡って、姉妹が争い合う ――
"Sisters fight for a single guy"
そんな、エロゲーに登場するような姉妹は、
Such the sisters who appear in a erotic video game
江端家には存在しません。
have not existed in the Ebatas.
最近は、AI技術や経済学に関する本を、読み倒しているのですが、これらの本やWebサイトに、
Recently I have to read about AI technologies and economics, however in the book and Web site, I can find
―― 表やグラフがほとんどない
"few table and figure".
ということに、私は、結構驚いていますし、困ってもいます。
This fact surprises me and annoy me.
表やグラフは、100行分の説明を1枚の図で説明できるので、とても便利なものでです。
Tables and figures are very convenience, because they can explain many things that are almost equal to 100 lines articles.
しかし、なんというか ―― かたくなに ―― 表やグラフを使わないんですよ、これらの著者は。
However, I feel ... how to say ... authors of the book and site, seems to stick not to use tables and figures.
私、出版業界については、それほど詳しくないのですが、
I am not familiar with the pubbery, but I wonder if there is a custom or a culture of
「表やグラフを使ったら、負け」
"No life with tables or figures"
というような、文化とかしきたりでもあるんでしょうか。
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「数式1行で、読者の20%が離れる」 ―― という話を読んだことがあります。
I read the phrase "20% readers give up reading by reading each one formula"
数式5行で、読者がいなくなることになりますので・・・、と、この段階で、「ダウト!」と思った人は、多分、「数式でも大丈夫」な人です。
This means, just five formulas in a book vanish all readers.. if you think "Ebata tells a lie", you are a person of "no problem about formulas".
―― 読者の数は、『最初の読者数x(0.8)^N (N=1,2,..Nは数式の数)』となる、
"The numbers of reader who can think "initial readers x (0.8)^N (N=1,2,..N: numbers of formula)"
と、即座に指摘できる人が、この手の本を最後まで読み切れる人です。
The person who can think the above at sight, can finish reading the book.
で、そういう読者は、多分、恐しく少ない。
I am afraid that the readers are awful few.
何しろ日本の理系比率は35%(江端試算)で、その理系の中でも、日常的に数理や統計を扱う人を考えると、10%を切るんじゃないかと思っています。
At any rate, I think that the ratio of Japanese people in the science and engineering majors, is 35% (Ebata's estimation). In addition, the number who can use maths and statistics routinely is less than 10%.
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このように考えた場合、「表やグラフを使ったら、負け」という考え方は、出版業界のマーケティング戦略としては、「正解」となる訳です。
Thinking of it, the thought of "no life with tables or figures" is a reasonable strategy in pubbery field,
ただ ―― ですよ。
However,
この数字やグラフや表に、アレルギーを感じない人口の比率が上がれば、この国は、結構面白いことになるんじゃないかなー、とは思っています。
If the population of the people who can use maths and statistics comfortably increases, some interesting things may happen.
日本の国民全員が、日本語を操るように、エクセルを操って、国家予算案の試算や検算ができるようになれば ―― 大半の政治家は廃業、官僚も半数以下になる ―― かも
If most Japanese can do a trial calculation and check the accounts by spreadsheet, most politicians and half of bureaucracy should be retired.
などと、夢みたいなことを考えたりします。
Well, I know that it is just a dream.
「人に嫌われる勇気」という本が、定常的に売れているようです。
The book "courage to be disliked by people" seems to be selling regularly.
この本が売れているということは、世の中の多くの人は、「人に嫌われる」ことが、とても怖いのだろうと推測します。
I guess the reason why this book is sold well is that many people in the world will be very scared of "being disliked by people".
確かに「人に嫌われる」ことにはデメリットがあります。
There is a disadvantage to being "disliked by people" indeed.
私、自分の研究や仕事に、頼みもしないのに、口を突っ込んでくる人間が苦手ですが、組織に属している以上、これは仕方がないことです。
I am not good at human being who thrusts his mouth, although I do not ask for my research and work. However as I am belonging to the organization, this is unavoidable.
大抵の場合、これらの行為には悪意はなく、大半は善意であることを知っています(できれば、私が「お願いした時」だけ手を差し延べてくれれば、嬉しい)。
In most cases, I do know that these acts are not malicious and that most of them are good intentions. (If possible, I will be glad if you give me a hand only when "I asked")
しかし、一方、このような行為が、『私が嫌われている』ことによる『悪意』で行われるのであれば、「人に嫌われる」ことは「怖い」。
On the other hand, however, if such an act is done in "malice" by "being disliked by me", "To be disliked by people" is "scary".
しかし、「人に嫌われる」こと自体が「怖い」のかと問われると、ちょっと良く分からないのです。
However, I do not answer if I get asked if "disliked by people" is "scary".
そもそも、私は「人に好かれる」ことを目的として、何かを行った記憶がありません(本当)。
In the first place, I have no memory of doing something for the purpose of "being liked by people" .
これは、無意識に「人に嫌われている」ことを実施している可能性が高い、ということです。
This means that it is highly likely that I am unconsciously implementing "being disliked by people".
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I tried to explain about a person who defiantly declares "I am disliked by people" using a metaphor of "raw garbage".
■お前が「生ゴミ」であることは、お前の自由だ
- It is your freedom that you become "raw garbage"
■しかし、お前が「生ゴミ」であることによって、『この私』が『苦臭で不快を感じている』のであれば、お前の自由とは言わせない
- However, if you are "raw garbage" and "I" feel uncomfortable with your nasty smells, you can not say your freedom.
■自分が「生ゴミ」であるという自覚があるなら、自らゴミ袋の中に入って、内側から密封するくらいの配慮をしやがれ
- If you have the consciousness that you are "raw garbage", you should put yourself in a garbage bag, and seal from the inside
てなことを、書いたと思います。
I wrote that.
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ですから、前述の「ゴミ袋」には、常に気を使っています。
Therefore, I always care about the "garbage bag" mentioned above.
しかし、それは「嫌われる勇気」とはちょっと違うような気がしています。
However, I feel that it is somewhat different from "courage to be disliked".
敢えて言うのであれば、
If I dare to say,
「嫌われる(時の)配慮」とか「嫌われる(場合の)対処」
"Consideration (time) to be disliked" or "Countermeasures to be hated (case)"
に近い。
are closer.
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そもそも、
Initially,
■英語に愛されない人間は、何をしても愛されない
- Human beings not loved by English, do can not be loved, even if whatever they do.
■ダイエット本の内容は、ほとんどが「デタラメ」か「まやかし」である
- Most of the content of the diet book is "jive" or "fake"
■飛び込み自殺をすれば、散乱した自分の体のパーツを見ながら死んでいくことになる
- If you dive suicide, you will die while watching the scattered parts of your body
■高齢者の死亡率を意図的に"1%"上げれば、介護保険制度を廃止できる。
- The nursing-care insurance system can be abolished if the mortality rate of the elderly is intentionally increased by "1%".
というようなロジックと計算を、6年間も続けてきた私が、
I have been doing the logic and calculations for more than six years,
今更、「嫌われる勇気」とか言ったところで、(以下省略)
Now, after saying "courage to be disliked", (hereinafter omitted)
(Continuation from yesterday)
と、同時に、戦争映画に登場する、戦時下の下町のおばさんたちの心象風景も見えたような気がしました。
At the same time, I felt I could understand "nagging women" in a downtown area in wartime years in war movies.
『そんな派手な服を着て! 戦場の兵隊さんの苦労を考えないのか! この非国民!!』
"Wear such fancy clothes! Why don't you think about the hardships of soldiers on the battlefield? This unpatriotic person!!"
「敵国の言葉の歌のレコードを聞くなんて、なんという不謹慎! この非国民!!」
"Listening to a song record in the language of the enemy country! This unpatriotic person!!"
「スポーツ(野球)に、ストライク、ボールなどという敵国の単語を使うとは! この非国民!!」
"What is the word of the enemy country, such as strike and ball, for sports (baseball)! This unpatriotic person!!"
映画がドラマの中では、大抵、これらのおばさんは、ヒロインを非難する、嫌な奴の役で登場します。
In movies drama, these "nagging women" usually appear in the role of a bad guy who condemns the heroine.
(私が知り得る限り限り、『非国民!』と叫ぶ"主人公"は見たことがない)。
(As far as I know, I have never seen a "heroin" shouting "unpatriotic person!").
私、今なら本当に良く分かるんです。
I really understand them now.
あの「非国民!」を連呼するおばさんたちは、心の底から国家を心配していたのだ、と。
They who call "unpatriotic person!" were really worried about the future of Japan from the bottom of their hearts.
『あのような不道徳な者を放置すれば、我が国は戦争に負けて、国家が滅びてしまう』と信じていたのだ、と。
They believed that if such an immoral person were left alone, Japan would lose the war and the nation would be destroyed. "
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という訳で、まあ、内容は違えども、上記の「ジジイたち」や「おっさんのグループ」を非難する私は、「非国民と叫ぶおばさん」と、基本的には同じです。
So, well, thought the content is different, I am basically the same as "the nagging women, shouting "unpatriotic person!""
―― やつらの愚行を放置しておいたら、我が国が滅びる
"If I leave their folly, our country will be destroyed"
と信じていた/信じていることにおいて、「おばさん」と「私」は同じです。
"the nagging women" believed it, and I believe it.
もし、私が、戦後プロセスの記憶を全消去された上で、戦時中にタイムリープしたら、
If I erase all memories of the post-war process, and if I time-leaps during the war,
―― 「おばさん」と一緒に、他人を「非国民!」と罵る側に立っていただろう
I would have stood with "the nagging women" and curse others as "this unpatriotic person!"
という確信があります。
I am convinced of it.
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だとしても、このウイルス戦争に関しては、その結果がどうあれ、
But whatever the consequences of this virus war,
―― 「ジジイたち」や「おっさんのグループ」が、『絶望的に低能』
"The olds and the group of uncles" have "no brain" desperately.
ということは、普遍的な事実だと思います。
I think this is a universal fact.
長女の大学の卒業式が中止されることなく実施されることになったようなのですが、コロナ対策で色々制約がでているようでした。
It seems that the graduation ceremony of my eldest daughter's university will be held without being cancelled, but there seemed to be various restrictions due to the Corona measures.
先ず、「保護者の出席禁止」は、まあ当然として、不明点があったので、大学に問い合わせをしてみました。
Aside from the obvious "no parent/guardian allowed to attend," I had other questions, so I contacted the university.
電話が繋がらなかったので、メールで連絡してみた結果、以下の回答を頂きました。
Since I couldn't get through on the phone, I contacted them by email and received the following response.
■ 大学構内に入ることもダメ
- We can't even enter the university campus.
■ 大学の門前での記念撮影もダメ
- Taking a picture in front of the university gate is also not allowed.
つまり「卒業式からの卒業生以外の人間の完全排除」です。
In other words, "the complete exclusion of non-graduates from the graduation ceremony.
(今日、イベイト通知のWebサイトを見直してみたら、上記の2つについての情報が追記されていました)
(I reviewed the Evite Notification web site today and found that information about the above two has been added.)
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『良い決断だ』と、私は高く評価しています。
I think it's a good decision".
そもそも、卒業式を敢行したという決断だけでも、「大した度量だ」と思っているくらいです。
I even consider the decision to hold the graduation ceremony in the first place as "a great degree".
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この時期に、イベントの開催についての采配をしなければならない立場の方々に、心からの感謝を。
I would like to express my sincere gratitude to those who are in a position to take charge of organizing the event at this time of the year.
私にできることは、その方々の苦労を、できるだけ少なくすることくらいです。
The least I can do is to minimize their hardships as much as possible.
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
Today, new my column is released, so I take a day off.
「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(1)
"A New Theory of Action for Engineers Who Are Not Loved by Money".
定年がうっすら見えてきたエンジニアが突き付けられた「お金がない」という現実
The reality of "no money" confronts an engineer whose retirement is just around the corner
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===== EE Times Japan編集部 担当者Mさんからメール ここから ======
===== Email from Ms. M, EE Times Japan Editor, from here ======
お世話になっております。大変お待たせ致しました。Web稿を作成しましたので、28日(月)の正午をメドに、ご確認をお願いできますでしょうか。
Thank you for your cooperation. We have prepared a web draft, which should be ready for your review by noon on Monday the 28th.
※連載名ですが、「「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論」のみとしました。
I've changed the name of the series to just "A New Theory of Action for Engineers Who Are Not Loved by Money".
「世界で『数字』を~~~」を頭につけると、コンテンツ生成システムから「長すぎて入らん」と怒られまして…(涙)。
When I put "numbers in the world~~" at the beginning, the content generation system got angry and said it was too long to fit... (tears)
なので、新シリーズというより、完全なる新連載という形で行こうと思います。
So, rather than a new series, I think we'll go with a completely new series.
===== ここまで =====
===== to here =====
―― えっ? 新連載なの?
"What? Is this a new series?"
という感じで、なし崩し的に、始まってしまいました、新連載。
And so, in an uncontrolled process, the new series has begun.
システムからの要求だけでなく、『気合入れて書けよ』という、Mさんの内なる声も入っているような"気"を感じます。
I can feel the "spirit" of Mr. M, not only from the system's requirements, but also from her inner voice that says, "Put your heart and soul into your writing.
最近は聞かれなくなった言葉に、『自分探し』というものがあります。
One word that is no longer heard these days is "self-discovery.
―― 自分とは何者であるか
"Who I am"
哲学的な問いですが、私、この答を見つける最適最短手段を知っています。
This is a philosophical question, but I know the best and shortest way to find the answer.
『「育児」and/or「介護」の当事者になる』
Becoming a Party to "Childcare" and/or "Caregiving"
これだけです。
That's all.
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もう、そりゃ、自分が認識していなかった自分が「もろ見え」です。
I can already "see" myself that I didn't recognize.
Especially when I reach my physical and mental limits, I can see nakedly the "black emotions" that lurk within me -- I am surprised at myself.
『極限状態の戦場では、その人の本質が明らかになる』と言われます。
It is said that "the nature of a person is revealed on the battlefield under extreme conditions.
その意味で、「育児」「介護」は準戦場と言えるかもしれません。
"In this sense, "childcare" and "caregiving" could be described as a quasi-battlefield situation.
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もちろん、好んで戦場に行く必要はありません。
Of course, you do not have to go to the battlefield by preference.
これらを忌避して生きてもいいんですか ―― いいんです(楽天カードのCM風)。
Is it OK to live in evasion of these things? -- it's OK (Rakuten Card commercial style).
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ただ、個人的に言えば ―― 『「育児」and/or「介護」の当事者』になった人は「信用できる」とは思います。
However, speaking personally -- I think that people who have been "involved in "childcare" and/or "caregiving" are "trustworthy".
一方、このような「体験至上主義」が、いわゆる、結婚ハラスメント、育児ハラスメント、介護ハラスメントの温床になっている、という自覚もあります。
On the other hand, we are also aware that this "experience-history principle" has become a breeding ground for so-called marriage harassment, childcare harassment, and caregiver harassment.
依頼された仕事というのは、基本的に、依頼を発注する側と、依頼を受注する側で、仕事の内容に認識ズレが発生します。
There is a gap in the perception of the requested work between the party that places the request and the party that receives the request.
私、社会人人生のほとんどの期間、研究の「依頼を受ける側(受注者)」でした。
I have been on the "receiving end" of research requests for most of my working life.
(たまに、ソフト外注を行う場合は、依頼側(発注者)になりましたが)
(Occasionally, when outsourcing software, I become the requesting party (client)).
ですので、これまで、私は依頼内容を誤解し続けてきました。
So, up to now, I have continued to misunderstand the request.
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例えば、発注者は『1ページのサマリが欲しかった』だけなのに、私は『20ページの大作を作ってしまった』とかです。
For example, the client only 'wanted a one-page summary,' but I 'made a big 20-page piece.
これ、発注者が、依頼段階で最初から『1ページのサマリが欲しい』と言えば、このよう過誤は発生せずにすんだ悲劇です。
This tragedy could have been avoided if the client had asked for a one-page summary at the request stage.
ところが、発注者が『1ページのサマリ』が、すでに認識済みであったと思い込めば、こういう事項は発生します。
However, these matters will occur if the client assumes that the "one-page summary" has already been recognized.
私の仕事はこういうことの連続です。
My works are a series of these things.
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で、私が取っている戦略は、
So, the strategy I am taking is,
―― 『100%の共通認識』などは、しょせん夢物語だから、『先に作ってしまえ』です。
-- "100% common understanding" is a pipe dream, so "let me make it first."
とは言え、『1ページ』に対して『20ページ』とは、随分な無駄なことをやったことになります。
Nevertheless, "20 pages" instead of "1 page" is much wasted work.
もの凄い損をしたようにも思えますし、実際、無駄な時間を使ってしまいました。
It seems like a tremendous loss and, in fact, a waste of time.
自分の社会人人生を見直してみると、「私の仕事の9割は空振り」のような気がします。
Reviewing my work life, I feel that "90% of my work is empty".
社会人として、私は失格かもしれません。
As a member of society, I may be disqualified.
でも、"モノ"が見えることで(形になることで)、仕事は動き出します。
However, the work begins to move when the "thing" becomes visible (or takes shape).
『お互いが分かっていない"こと"が、分かる』からです。
This is because "we can understand things that we don't understand each other."
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ただ、私がこういう無茶ができるのは、、私が、ドキュメントやソフトウェアに関する業務で、かつ、個人で請け負う業務であるからでもあります。
However, I can do this kind of reckless work because my work is related to documentation and software and because I am a private contractor.
これが、100人以上が関わるような、都市設計、建設、その他のインフラの仕事でしたら、『途中で間違いに気がついた』では済まない話です。
If this were urban design, construction, or other infrastructure work involving more than 100 people, it would not be enough to say, "We realized our mistake midway through the project.
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では、私が空振りして作成した9割は、完全に無駄な仕事だったか、と問われると、これが必ずしも「そうだ」とは言えないのです。
So, if you ask me if 90% of the work I struck out to create was a complete waste of time, I can't necessarily say that this was the case.
他の仕事や、コラムや、別のところで流用することができる(こともあるから)です。
It can (and sometimes does) get diverted to other jobs, columns, or elsewhere.
私が、自分のページで公開しているコラムや技術メモは、この"9割"を再利用している(もちろん、守秘義務のフィルタをかけた上で、ですが)といっても過言ではありません。
It is no exaggeration to say that 90% of the columns and technical notes I publish on my website are reused (after filtering for confidentiality).
つまるところ、私の"空振り"は、SDGsなんです ―― 世界は救いませんが。
After all, my "swing" is the SDGs -- not saving the world.
ちなみに、今日は、朝から覚えているだけで、3つの失敗しています(コードと特許と仕様書で)。
By the way, I made three mistakes today (in code, patents, and specifications); I just remembered them from this morning.
今日も、私は、豪快に"空振り"しています。
Today, too, I am "striking out" with great enthusiasm.