私は、9月入学の圧倒的な賛同者です。
いや、正確に言うと、2~3月入試の圧倒的な反対者です。
日本全国に、インフルエンザや風邪が猛威を発揮するような、こんな最低にして最悪の時期を狙って入試を行なう理由が、本当に訳分からん。
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「根性論」が大好きな人、「自己管理」という言葉が大好きな人へ。
体調完璧にしてインフルエンザ患者の方が10人程待機している待合室で、・・そうですね、1時間だけで結構ですので、普通に椅子に坐っていて下さい。当然マスクとか無しですよ。
あなた**だけ***は、病気になる筈ないですよね。
1週間に100万人のオーダで増加続ける脅威の病気であっても、「自己管理」できている、「あなた」ですもの。
そもそも学校教育を集団で行わざるを得ない以上、手段で病気が発病するのは、もう「構造的に当然」といって良いでしょう。
「根性論」「自己管理」とは学校への通学を停止すること、と考えて良いんですよね。
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それに、毎日、十分な栄養と睡眠時間を取って、ストレスのない毎日を過せば大丈夫ですよね。
もっとも、そんな悠長な人生を過せる受験生が、この世の中にいたら、一人で十分ですから、紹介して貰いたいものですが。
ストレスと病気の発生率の間には、100%の因果関係が立証されています。どこにも合格する気のない受験生なら、ストレスフリーで病気にもならないでしょう。
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受験生であること自体が、すでにインフルエンザや風邪を誘引する要件になっていることは明白だというのに、
――「自己管理」だと。馬鹿か、お前は。
そういうことを、ネットでほざいている阿呆の名前を、一覧にして晒してやろう、とまで、私は『本気』で考えています。
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人生を賭けた勝負している彼等に、ベストな状況を提供するのが、我々大人の役目だろうと思うのです。
私は、2~3月入試を「潰す」という目的において、9月入学制度を圧倒的に支持します。
中二病の範疇とは限りませんが、それでも、中二病の根源的な病巣が、
「世の中が不公平なのは何故だろう」
からスタートしていることに、疑義のある方は多分いないだろうと思います。
そこで、提案なのですが、
2010年に、NHKで一世を風靡した番組「ハーバード白熱教室」を、中学二年生に見せてみたらどうでしょうか。
(リンク→ NHK ハーバード白熱教室)
昨夜、深夜、たまたま、第8回の「能力主義に正義はない?」を見てしまって、本日寝不足で辛いです。
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それにしても、世の中の公平性を、正義(Justice)(「倫理」と言った方が当っていると思うけど)観点から、徹底的に検討し、批判を続けるというスタンスは、
「中二病が投げかけている疑問こそが、人間が求め続けている哲学の根源」であることを、明確に語っていると思います。
■「世の中が不公平なのは何故だろう」→ 「そういうものだ、仕方がないよ」といって、逃げることを「しない大人がいる」
■中二病的観点に対して、一生懸命闘っている大人が存在している
■筋が通って、納得できる理論を提示し、それを批判して別の理論を構築し、真理を求めて格闘している大人がいる
という事実は、若者に大きな安心感を与えるように、思えるのです。
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私は、この番組を中学生の時に「見たかった」と思うのですが、同時に「見なくてよかった」とも思っています。
私が哲学なんぞを専攻したら、人生のどこかで絶対に転んでいただろう、と確信を持って言えるからです。
よく「お元気な御老人」についての番組が放送されています。
Recently, I often watch TV program of vital old person's life.
そして、その秘訣、食事とか、運動とか、習慣とか、施設とか、あるいは家族、コミュニティなどが紹介されます。
The programs disclose us the secrets, for example, foods, exercises, customs, facilities, families and communities are introduced.
「お元気な御老人」の生き様は、私たちに勇気を与えてくれると思います。
The real life of the vital old persons come to encourage us.
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しかし、その「お元気なご老人」の「最期」は、放送されません。
However, the endings of the vital old persons are never broadcasting.
これは、番組として未完成であり、そして誤った認識を与えている。
This is imperfect and more inexpiable because of giving false impressions.
「お元気なご老人」も、いずれは「元気でないご老人」になり、そして、その後は、同じような死へのプロセス ―― それは、介護の現場へと進むしかあません。
The vital old persons are eventually going to be no vital old persons, and we all have to needs nursing cares and take a process to go to death.
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これらの番組は、
These programs give us a image that
―― 「お元気なご老人」が「お元気なご老人」のまま、ずうっと続き、突然、スイッチが切られるように、最期を迎えられる ――
the vital old persons can keep their vital and health and suddenly lead to death like power-switch.
そんな、都合のよいエンディングが、本当に存在しているかのように見せる点において、恐ろしく罪深いと思うのです。
That is awful inexpiable as if the convenient ending really exists in our life.
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私たちは、「老いる」ことを、運命的に、そして病的に恐れています。
We are so nervous of becoming old fateful and sickly.
それは、介護する側も、介護される側にも、そこに「希望」がないからです。
Because there is no "hope" for both caring and cared persons.
健康な日常生活への復帰の可能性のない命 ―― これは一体、何なのだろう?
Life for no return to health and vital. What on earth is it?
私には分かりませんでした。
I don't know the answer.
私は、この疑問に対して、ソーシャルワーカやケアマネージャの人に、直接尋ねてみたことがあります。
So, I had asked the above question to a social worker and a care manager directly.
(続く)
To be continued.
Yesterday I wrote the story that my senior daughter want to exchange her smartphone to a traditional phone.
一方、4月からは次女が交通機関を使う中学生となることから、ガラケーをスマホに交換する予定でした。
On the other hand, for the junior daughter, who will start a train for school-commuting roads, I am going to exchange her traditional phone to a smartphone.
この2つのニーズは、当然に一つの結論に至ります。
These two needs become to reach one conclusion, naturally.
―― 「とりかえっこ」でいいじゃんか
""Exchanging" is enough"
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この提案を娘達に伝えて、了解を得たので、私は今週末に、各種の設定を実施する予定でした。
I proposed this idea to the daughters, and they accepted it. So I will do something about their phone setting.
ところが、娘たちからは、
But they said,
「何も変えなくてもいいよ」
"You don't have to do anything"
と言われて仰天しました。
I was stupefied with the phrase.
「何言っているんだ。メールアドレスをそのままにしておく訳にはいかないだろう。個人情報がダダ漏れだぞ」
"What are on earth you saying? It is impossible to remain your mail address before isn't it? You are going to know your private information each other."
「んーー、特に問題はないかなぁーー」
"Let me see. I think it might be no problem."
という言葉を聞いて、私は唖然としました。
I was stunned by their saying.
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昨日、不安になって、もう一度聞いてみたのですが、
Yesterday, I felt uneasy and I confirmed their decision again.
「うん、だいたい、(互いの)交友関係は把握できたかな、という感じ」
"Yes, I think I could get almost her relationships"
と平然と言っていました。
She told me that calmly.
本人たちが「良い」といっているものを、私が「悪い」と言うこともできません。
I cannot say "it is wrong", because they don't care of that at all.
これまで、私が常識だと思ってきたITリテラシーやプライベートの概念の方が、変化きているのかもしれないと 認めなければならないのかもしれません。
This is the time I have to admit that my common sense I have believed about IT literacy and privacy become to change different something.
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それにしても、
Anyway,
―― どこかの男が、彼女らのメールアドレスをゲットして、全くの別人である姉または妹に「告白」するかもしれない
The day will come that a man where he comes from, comes to confess his love to my different daughter.
と考えると、その男がなんとも哀れで仕方ありません。
The man looks like poor, even if it cannot be helped.
先日、100均ショップで方位磁石を購入しました。
The other day, I bought a compass at a one 100 yen coin shop.
丸い透明のプラスチックの中の液体の中に浮ぶ球形の方位磁石です。
It is the compass of spherical floating in the liquid in the round transparent plastic.
これって凄い発明だと思うんですよね。
I think it's great invention for everybody.
方位磁石を水平にする必要がなく利用することができて、キーホルダーとしても利用可能なのです。
I need the compass without being levelled, as a key holder.
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最近のスマホは磁気センサも搭載されているので、特に問題はないと思うのですが、携帯の利用に拘っている私は、今でも、紙に印刷した地図が頼りです。
Since the recent smartphone has also been equipped with a magnetic sensor, if I use it, there is no problem. But I am involved in the use of cell phone even now,I have to count on a printed map
私は地図を読める方だと思っているのですが、最近は、年とともも、そのカンも悪くなってきたように思えます。
I think that I am good at reading loads on map, though, I am afraid that my feeling of the reading become worse.
しかし、紙の地図であっても、方位が分かるだけで、私は格段に判断力が向上します。
However, even a paper map, and if only the direction is known, I can improve the understanding the place more.
「こんな凄いものが100円」というのは、本当にアンビリーバブルですよ。
"This great thing is just 100 yen" is really unbelievable.
後は被災時でしょうかね。スマホも電気が使えなければ、ただの文鎮です。こんな時でも、方角さえ分かれば、一定の方向に向かって歩き出すことができます。
It might be useful at a disaster. If a smart Phone exhaust electrical, it become a just paperweight. Even if you know even the direction at this time, you can start walking towards a certain direction.
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色々言っていますが、「スマホを使えよ」が、正解であることは分かっているんですけどね。
I say something, however, I know well, "using smartphone" is the best answer.
嫁さん:「パパ、コーヒーが切れているから、仕入れておいて」
Wife: "Papa, coffee stock is running short. please buy it"
私:「あいよ」
Ebata:"O.K."
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Amazonプライムを使い倒している私は、今や、江端家の総合商社、というか、サザエさんの三河屋とも言える存在です。
I, who often use Amazon Prime, is now likely to be the general trading company of the the Ebatas or, a delivery boy of Mikawaya-liquor shop of the Sazae-san.
しかし、Amazonプライムについては、家族全員が、アカウントもパスワードも知っています。
However, the whole family knows both accounts and passwords for Amazon prime,
なのに ―― なぜ、私に発注依頼をするんだ?
Nevertheless, why do they ask me to place an order?
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「発注履歴は、全部パパのメールに届くんだから、パパが発注すれば、『これ何?』っていう話が発生せずに済むじゃん」
"Since ordering history reaches to Papa's mails, it will not be troublesome, if papa orders them directly"
は、一応、理屈は通っているのですが、なんか釈然としません。
is reasonable, of course, but I do not understand something.
「パパの方が、私達がパソコン使うより、圧倒的に処理速度が早いし」
"Papa's operation is overwhelmingly faster than ours"
も、事実です。パソコン扱っている年季が違いますからね。
is also a fact. Because The years when I handle PCs is longer than them.
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値段とか品質とか納期とか、そういうこともザックリと判断し、分からないことがあれば、口頭で質問することもできる。
I can roughly judge about price, quality, delivery time, and even if there is something I do not understand, I can also ask questions orally.
これって、私たちが求める「究極のAI」の姿ですよね。
This is the figure of "Ultimate AI" we are seeking.
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だから、常々思っているんですよ。
I roughly think sometimes,
「AIの研究開発に1000億も投資するなら、時給1000円くらいで江端をパートタイムで雇った方が、ずっとお得じゃないのかなぁ」って。
"I wonder if they are getting more profitable all the time, to hire Ebata by part time for about 1000 yen per hour, than to invest as much as 100 billion for AI research and development"
今週の金曜日、そういう話をしに行ってきます。
I'm going to talk about that story this Friday.
(Continuation from yesterday)
問い:なぜ、江端は、そんなことを自信タップリに言えるのか?
Question: Why can Ebata be able to say such a thing to confidence?
答え:Amazonで「横展開」というキーワードにヒットする書籍が、何冊あるかを調べれば足ります。
Answer: You only need to find out how many books hit the keyword "horizontal expansion" at Amazon.com
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それでも、まだ、あなたが納得できないなら、次の例を示しましょう。
Still, if you still can not convince, let's show the following example.
我が家には、二人の娘、長女と次女がいます。
There are two daughters, the eldest daughter and the second daughter in our house.
二人とも健康に育ってくれています ―― 本当に、何か(神様?)に感謝できます。
Both of us are growing up healthy - really, I can appreciate something (God?).
二人の娘は、両方とも人間であり、さらには女性という「同種」で、年齢差はたったの3年です。
Both of the two daughters are "human beings" and "women". And the age difference is only three years.
―― で、
So,
長女の養育ノウハウを、次女に『横展開』できるか(あるいはその逆のケースも)と問われれば
If I am asked whether I can do "horizontal expansion" about care know-how between the eldest daughter and the second daughter
私は、その場で、
I can say immediately on the spot,
『ありえない』
"No way"
と、決め付けることができます。
昨夜、この件について、嫁さんに尋ねてみました。その差を定量化すれば「ざっと8割」と言っていました。
Last night, I asked my wife about this matter. She said 'Roughly 80%'. about the difference.
結論として、彼女達は、『横展開』が不可能な、完全に独立した別個のシステムである、と断言できます。
In conclusion, we can assert that they are completely separated and original systems, that cannot apply to "horizontal expansion".
(To be continued)
―― iPhoneを1年間に2回も買い替えている
"I am replacing the iPhone twice a year"
と聞かされれば、「どこのブルジョア(死語)だよ」と言われるかもしれません。
If you hear it, you may say "Ebata is a bourgeois (dead language)" isn't he?"
しかし、今、まさに、私はそのような立場にいます。
But right now, I am in such a position.
会社からの強制交換命令に従って、その移行作業(とトラブルに)膨大な時間を使わされています。
Following my compulsory exchange instruction from the company, the upgrade (and trouble) works consume huge amount of my time.
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そもそも、私は、スマホが嫌いで、その中でも、特にiPhoneが嫌いです。
In the first place, I do not like smartphones, especially iPhone.
AppleのPCは、SE30(1989年)を最後に、IBM互換機に乗り換えて、その後、Apple社のデバイスとは、できるだけ関わらないようにしてきたつもりなのですが、家族と会社が、iPod, iPad, iPhoneの作業を強いてきます。
After I used an Apple's PC (SE30 1989) I switched to the IBM compatible machine. After that, I tried to distance myself from Apple's devices as much as possible, however my families and companies have been forced to work on iPod, iPad, iPhone.
―― 悪意を感じる
"I can fell a malice"
ほどです。
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AppleのPCは、学術、美術、特に音楽の分野の人間に人気があります。
Apple's PCs are popular with people in the fields of academics, art, especially music.
AppleのPCが登場した当初から、それらの分野のソフトウェアが開発され、今なお、バージョンアップを続けながら販売され続けています。
Since the beginning of Apple's PC, softwares in those fields has been developed and is still being sold with continuing upgrading.
最初にApple PCに接したユーザ(初期ユーザ)が、AppleのPCから離れることができないのは、自然な成り行きだと思います。
I think that it is a natural that users (initial users) who first contacted the Apple PC can not leave Apple's PC.
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しかし、娘の通っている大学で、"AppleのPC"ばかり設置されていると聞いて、かなり驚いています。
However, I am quite surprised to hear that many "Apple PCs" are installed at the university where my daughter is attending.
初期ユーザとして、AppleのPCを使っていた当時の研究員が、現在、教授になり、大学に"Apple PC"の大量導入を推し進めているのか、と推察しています。
As an initial user, I guess that the researcher at that time, who was using an Apple PC, now becomes a professor and is promoting the mass installation of "Apple PC" at the university.
しかし、Apple PCの優劣はどうあれ、現時点では、Windows7/10とofficeが使えなければ、日本の(多分世界も)会社で業務はできません。
However, regardless of the superiority or inferiority of Apple PCs, at this time, unless they can use Windows 7/10 and office, they can not do business in Japan (probably the world) company.
「大学は企業の予備校ではない」という正論を認めたとしても、入社後の職場の業務へのソフトランディングを考えれば ――
Even if I accept just an argument that "university is not a company preparatory school", from the viewpont of soft landing to their first working experiment,
―― "Apple PC"による大学のITリテラシー教育は、保護者としては看過できない。
"The IT literacy education of the university by "Apple PC" can not be overlooked as a parent"
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"Windows7/10とoffice"を無視していいのであれば、私は、
If I can ignore "Windows 7/10 and office"
I will say,
「Linuxのオフィススイートを使いながら、シェルプロンプトから、コマンドラインインターフェースを使う学生の育成をしたい」
"I would like to teach command line interfaces from the shell prompt while using the Linux office suite to college student"
ですが ―― こんなことをしたら『去ね!』と怒号を受けても仕方ないと思います。
But I know that it can not be helped if I receive an angry with saying "Go Home!"
(To be continued)
先日、大学の学生が、大学の先生をナイフで刺す、という事件が発生しました。
The other day, I heard the accident that the college student stabbed a dagger into the college teacher.
このような事件は、日常的に頻繁に発生しているので、最初、私も気にとめていませんでした。
At first, I wasn't even aware of such events, which occur so frequently on a daily basis.
後日、その事件の「動機」を知って、驚きました。
Later, I was surprised to learn about the "motivation" of the case.
■レポートを出さないと単位が貰えない講義で、
- In a lecture where he can not get credit unless he gives a report,
■「レポートを出さずに、なんとか単位が貰える」ように交渉して、
- he negotiated so that he could get some credit without issuing a report,
■交渉が失敗して、事件に及んだ
- the negotiation failed, he went to the case
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『そんな、理不尽な犯行の動機って、あり得るか?』と、私は、本当にびっくりしました。
"Is there any motive for such unreasonable crimes? I was really surprised.
「私の聞き間違えではないか」と思ったくらいです(今でも思っています)。
I thought (I still think) "is it my mistake?"
その理屈は、定食屋で『金はないけど、飯を食わせろ』というくらい、滅茶苦茶だと思いました。
I thought that theory was mess, like "I don't have any money, but let me eat" at a restaurant.
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例えば、『提出したレポートに対して、理不尽な評価をされた、あるいは、受理を拒否された』という理由なら、分からなくもありません。
For example, it's easy for me to understand that "the submitted report was evaluated unreasonably or rejected."
私も、私の論文を却下した、論文事務局へのテロを ・・・ いや、テロは考えたことはありませんが、それなりに不愉快ではありました。
I also tried to terrorize the dissertation office, which rejected my dissertation... No, No way. I never thought about terrorism, however it was unpleasant for me.
そもそも、レポートというものは、基本的には、文字を書き込みさえすれば、内容はどうあれ、完成するものじゃないですか。
In the first place, a report is basically something that can be completed simply by writing letters.
そんでもって、完成すれば、提出はできるじゃないですか。
If it is completed, anyone can submit it.
なのに、「提出しないが、単位をくれ」というのは、どう考えてもおかしい。
Nevertheless, "I can not submit, but give me credit" is funny.
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という話を長女としていたら、
When I were talking about it with my eldest daughter, she scolded me violently.
長女:「パパ! パパには分からないだろうけどね、世の中には、どうしたって『レポート』というものを書けない人がいるんだよ!!」
"Dad! You cannot understand it, however there are people in the world who can't write a "report" anyway!"
と、結構な剣幕で叱られました。
(To be continued)
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
Today, new my column is released, so I take a day off.
踊るバズワード ~Behind the Buzzword(11)ブロックチェーン(5):
「ブロックチェーン」に永遠の愛を誓う ~神も法もかなわぬ無敵の与信システム
Dancing Buzzword - Behind the Buzzword (10) Blockchain(4)
Pledge Eternal Love to the Blockchain: An Invincible Credit System that Defies God and the Law
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今回のブロックチェーンのシリーズで、私は、ビットコインに関してネガティブな批判を繰り広げていますが、実際のところ、私は「私が正しいのか、間違っているのか」には、大して興味がありません。
In this series about blockchain, I'm waging a negative critique of Bitcoin, but the truth is, I'm not really interested in whether I'm right or wrong.
「ビットコインが破綻するか、あるいはネット社会で定着するか」は、いずれ分かることだからです。
The reason is that we will eventually find out whether Bitcoin will fail or become a fixture in the online world.
As a matter of fact, I've been "missing predictions" quite often -- although I have my own theories, with my own knowledge and logic.
つまり「間違えてきた」。
In other words, I've made a mistake.
そりゃそうでしょう。間違えますよ ―― 私、神様じゃないんだから。
Of course you're right. I'll make a mistake -- I'm not God.
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ところが、世の中には「間違いを認めない/認めたがらない人」が、多いようです。
However, it seems that there are many people in the world who are reluctant to admit mistakes.
「沈黙し続ける」とか「開きなおる」とか「無限に言い訳を続ける」とか。
"keep silent," or "reopen," or "make endless excuses", etc.
ぶっちゃけ面倒くせーな、こいつ、と思います。
To be honest, I think this guy is painful.
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エンジニアや研究員は、毎日、自分の仮説に裏切られ続けています。
Engineers and researchers are continually betrayed by their hypotheses every day.
自分の作ったシミュレーションによって、自分の作成した回路によって、自分の作成した装置によって、毎日、自分の考えを否定され続けています。
In my case, every day, I am constantly denied my ideas by the simulations I have created, by the circuits I have created , and the devices I have created.
その結果を見て『いや! 私は間違っていない!!』と言い張っても、意味がありません。
After looking at the results, there is a meaningless to say "I am not wrong!"
それは、自分の首を締めるだけですから。
Because that will only tighten my own neck.
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訓練されたエンジニア/研究員は、自分が「間違っていること」を前提に行動します。
Trained engineers/researchers act on the assumption that they are "wrong".
「間違えること」は、別段、恥かしいことではないからです。
It's not embarrassing to make mistakes.
間違えることは、正しい答に辿りつく最短のアプローチであり、そして、「間違え続けることが、私たちの仕事」であって ――
Making mistakes is the quickest way to get to the right answer, and it's our job to keep making mistakes.
そんでもって、「間違えた原因とその理由を明らかにすること」までが、ワンセットです。
Then, "clarify the cause of the mistake and the reason for it" is a set of steps.
父はコロナ禍が発生する前に死去しました。
My father died before the outbreak of the Corona disaster.
母はコロナ禍が収束の兆しを見せて、ようやく面会が可能になってきた ―― 今となっては、猛威を奮っているオミクロン株でそれどころではありませんが ―― という時に死去しました。
My mother died just as the outbreak was coming under control and she was finally able to visit --- Now, under the raging Omicron stock, it is not reality.
I just happened to find this note a few minutes ago.
それを眺めているうちに、母に関するこういうコロナ禍中のドタバタが、突然、消え去ったことに気がつきました。
As I was looking at it, I noticed that this kind of slap in the face of corona disaster about my mother had suddenly disappeared.
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私は、母の葬儀中も葬儀後も、これといった感情も感傷も持ち得ませんでした。
I did not feel any emotion or sentiment during or after my mother's funeral.
『私は、どこか壊れているのかもしれないな』とさえ思っていました。
I was even thinking, "Maybe I'm broken somehow".
実際、これまでの人生で、多くの人からそう言われてきましたし。
In fact, that's what I've been told by many people in my life.
でも、このメモを読んでいるうちに、『悲しい』という気持ちでもなく『懐しい』という気持ちでもなく、ようやく故人に語りかけられる、と思えました。
But as I was reading these notes, I felt that I could finally talk to the deceased without feeling 'sad' or 'nostalgic'.
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―― 一所懸命で、真剣で、全力疾走だったけど、1mmだって1秒だって「辛い」とか「嫌だ」とは思わなかった
"It was hard work, seriousness, and running as fast as I could, but I didn't think for one millimeter or one second that it was hard or that I didn't like it."
―― あの日々は、悪くなかった
"They days were not bad at all"
と、母に向けて呟くことができました。
I was able to mutter to my mother.
My column, published yesterday, was the first one I published in my life.
これを、私、社内の同期のメーリングリストに流して、仲間から絶賛されたことで ―― 調子に乗りました。
I put this out to a mailing list of my peers in the company, and after receiving rave reviews from my peers -- I was in a good mood.
で、その後、ずーーーーーーと、文章を書き続けています。
And then, I've been writing ever since.
つまり、『調子に乗る』とか『いい気になる』ということが、人生のターニングポイントになることがある、ということです。
In other words, 'getting on a roll' or 'feeling good' can be a turning point in one's life.
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当然ですが、こんなこと(他人から絶賛されること)は、連続して続くことはありません。
Of course, this kind of thing (being praised by others) does not last continuously.
いずれ絶賛されなくなり、さらには、批判されるようになります。
Eventually, they will stop being acclaimed and even criticized.
すると、凹みます ―― 誰だってそうです。
Then you get depressed -- everyone does.
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この現象は、二次創作の小説などで、顕著に見られます。
This phenomenon is most noticeable in secondary novels.
私の知っている範囲で、二次創作の小説の中で、最後まで完遂しているものは、全体の1~2%程度です。
As far as I know, only 1-2% of all second novels are completed to the end.
途中で創作を投げ出してしまう人が、本当に多い。
There are so many people who give up creating in the middle of the process.
もちろん、二次創作者は、『自己満足』で『自分の娯楽』で、そして『無償』で行われているものです。
Of course, the secondary creators are 'self-satisfied', 'for their own amusement', and done 'for free'.
これを他人(読者)が批判するのは『酷』 ―― というよりは『不当』で『非礼』ですらあるとすら思います。
I think it is "harsh" -- or even "unfair" and "impolite" -- for others (readers) to criticize this.
それでも、壮大な伏線で物語を始めておいて、それを回収せず、完遂もしないのは、「作品に対して気の毒だ」とは思います。
Still, I do feel "sorry for the work" if you start a story with grand foreshadowing and never retrieve it or complete it.
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チヤホヤされなければ、書き続けることができない ―― 私は、この気持ちを『支持』します。
They can't keep writing if they don't get cheesed off -- I 'support' this sentiment.
しかし、しょせん他人は他人。他人は気紛れです。
But, after all, strangers are strangers. Strangers are freaks.
定常的に、自分をチヤホヤし続けてくれる人は、ほとんどいません(というか「いません」)。
There are few (or rather, "no") people who will keep you constantly cheer for you.
それ故、
Hence,
―― 私(江端)だけは、いつまでも私(江端)自身をチヤホヤし続けること
"I will continue to cheer myself forever"
は、とても大切なことなのです。
is very important for me.
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(The following is an excerpt from "Japan's highest blockchain was that system that boasts of being the world's longest.)
江端:「別にいいんだ。私の書いたコラムは、『たった一人の読者に届けばいい』って思っているから」
Ebata: "It doesn't matter. I just want my columns to reach just one reader."
後輩:「何ですかそれ、初めて聞きましたよ。その意味深な言葉。江端さんが、その”思い”を伝えたいたった一人の方って、一体誰です?」
Junior: "What is that? I've never heard that before. That's the first time I've heard such a meaningful word. Who is the one person to whom you want to convey your "feelings"?"
江端:「“私”」
Ebata: "It's me"
後輩:「……は?」
Juniors: "What?"
江端:「だから、“私”。私、自分のコラム読み返すのが好きなんだよねー。読み直す度に『あの時の私って、すごいこと考えていたんだなぁ』とか、『ああ、こういう考え方、いいわー、合うわー、この人好きだわー』って思うもん』
Ebata: "So, "It is me". I like to reread my columns. Every time I reread it, I think, 'I was thinking such great things at that time,' or 'Oh, I like this way of thinking, it fits well, I like this person.
『閉じたコミュニティの中だから大丈夫』
'It's okay because it's in a closed community.'
レストランで調味料容器を舐める映像を、閉じたネットワークに転送した者が口にする言葉です。
These are the words uttered by the person who transmitted the image of licking a condiment container in a restaurant to a closed network.
この行為の低能さについては、多くの人が語っているので、私は論じません。
I will not discuss the lowliness of this action, as many have spoken of it.
-----
ただ、私が若い頃に、この低能さを無条件に批判できるかと問われれば ―― できないような気がします。
However, if you ask me if I could unconditionally criticize this lowly behavior when I was younger -- I don't think I could.
私は、褒められた若者ではありませんでしたから。
Because I was not a praiseworthy young man.
若い頃の私は、お上(学校とか、役所とか、国家権力の暴力装置(警察等))に、はむかう行為をしていました。
When I was young, I used to be against the higher-ups (schools, government offices, and the violent apparatus of state power (police, etc.)).
もし、当時、今のようなネット環境があったとしたら、これらの行為は、デジタルの記録で残されて、それを理由に生涯ネチネチと苛められていたと思います。
If there had been an Internet environment back then, as there is today, these acts would have been digitally recorded, and I would have been tormented for the rest of my life for them.
『愚かさ』という観点においては、若いころの私は『調味料容器を舐める若者と大して差はない』と思っています(ただ、行為の品格については、差はあると思っていますが)。
In terms of 'stupidity,' I believe that when I was younger, I was 'not much different from a young man licking a condiment container' (although I think there is a difference in the dignity of the act).
私は、ネットがない時代に生まれて、たまたま運が良かっただけです。本当にそう思っています。
I just happened to be lucky enough to be born without the Internet. I genuinely believe that.
それはさておき。
Aside from that.
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人間には『楽しいコンテンツは、他人と共有したい』という欲望があります。
Humans have a desire to 'share enjoyable content with others.
いわゆる『他の人には言わないでね。実は・・』です。
It's the so-called 'Don't tell anyone else. Actually...'.
『閉じたコミュニティの無限連鎖』といっても良いかもしれません。
You might call it "an endless chain of closed communities.
ネットに関して言えば、『閉じたコミュニティ』は、幻想です。
Regarding the Internet, 'closed communities' are an illusion.
ですから、秘密にする必要がある情報(犯罪構成要件を成立させる証拠など)は、秘密にしておく必要があるのです。
Therefore, information that needs to be kept secret (e.g., evidence that establishes the requirements for constituting a crime) needs to be kept secret.
つまるところ、「犯罪行為なら最初から止めておけ」ということになるのですが、大人であっても、「犯罪行為」と「いたずら」の区別がつかない、という人は数多くいます。
In the end, the bottom line is that "if it is a criminal act, stop it from the beginning," but there are many people, even adults, who cannot distinguish between a "criminal act" and a "prank.
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ちなみに、私の場合、「他の人には言わないでね」と言われたら、その場で「期限は?」と応答します。
By the way, if someone says to me, "Don't tell anyone else about this," I'll be right there with them, "What's the deadline?" I respond with.
「無期限」と言われたら、「約束できない」と応答します。
If they say "indefinitely," I respond, "I can't promise."
「10年間」と言われても、「約束できない」と応答します。
If they say, "for ten years," I reply, "I can't promise that."
「1年間」と言われたら、「それなら約束してもいい」と応答し ―― そして、1年後に暴露します。
If they say "one year," you respond, "I can promise you that," -- and then expose them a year later.
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The exception to this is the "Ebata Firewall" that I have imposed on myself.
これは、私の尊厳の根幹であり、これを破った時、私は私であることを停止する覚悟があります。
This is the foundation of my dignity, and when I violate it, I am prepared to stop being me.
私は『他の人には言わないでね、実は・・』という人を、『下品な人間』として見下すことができるよう、日々努めています。
I try every day to be able to dismiss people who say, 'Don't tell anyone else, actually...' as 'vulgar people.