約束の正午に兵庫福祉センタについた私は、早速、係の人の案内でボランティア拠点
となっている小学校に向かいました。その小学校のとなりにある公園には、自衛隊用達
の黒いテントが約10張、それと登山用のテントが数張、貼られていました。その公
園内に設置された診療所のテントに行って、(シ研)の皆から貰った薬を手渡しして来
ました。
「地震で生き残ったに、犬に噛まれるか!」
公園で、お婆さんが犬にちょっかいを出している孫を叱っている声でした。
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最初に私が与えられた任務は、灘からさらに数キロ先の元町の避難所に甘酒を届ける ことでした。年の頃にして40代くらいのおばさんとペアになり、テニス部から借りた ドリンククーラーに甘酒を一杯(約6リットル)にして、それを登山リュックに詰め込み ました。朝日ボランティアが所有する自転車を一台借りて、県庁、神戸NHKの前を通 り、三宮を通過し、元町に向かいました。
途中、甘酒が漏れて来たようで、熱湯のような甘酒が背中に入って来て辛い思いもし
ましたが、何とか目的地に届けることができました。避難所の代表と思われる方が、随
分丁寧に御礼を言って下さるので大変恐縮してしまいました。
その時、私自身が一体どこの組織で動いているのか全く知らなかったのです。
三宮の街の中を通り過ぎた時、ビルが車道の方に倒れかかり、てっぺんの部分が自分 の頭の上に見えた時は、『ちょ・・ちょっと待ってくれ。』と言うような凄い迫力を感 じました。倒壊家屋の惨状にも不感症になってきた私でしたが、さすがに大きなビルが 道路ぞいに、割かれ、折れ、千切られ、押し潰され、砕けている様子を、えんえん何キ ロにも渡って際限なく続くのを見ているうちに、本当に気分が悪くなってきました。
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その後、私は8人ぐらいの主婦グループに混ざり、甘酒を持って近くの避難所の学校4
校を回りました。倒壊家屋の多くが古い建物であったので、避難所には御老人の被災者
の方が多くいらっしゃいました。彼らは、私が甘酒のお代わりをどれほど勧めても、全
員に配り終るまでは受け取ってはくれませんでした。
「教室の『中』で避難している人に甘酒を持っていこう」と言う意見が出た時、私は 「プライバシーに関わるので、やめた方が良いと思う。」と言いました。 集団生活を 余儀なくされているとはいえ、まるで人のお家に勝手に入っていて「親切のおしうり」 をしているように思われたのです。「でも、怪我をして、外に出られない人だっている はずよ。」と言われ、渋々ついていくことにしました。
但し、教室のドアはきちんとノックをし、ドアはゆっくり少しづつ明けて、遠慮がち
に(実際、布団で休んでいる人には迷惑以外の何ものでもないのだから)「もしよろしか
ったら、甘酒いかがですかぁ。」と言いながら配り歩いていました。
学校の体育館に配りに入った時のことです。体育館には、10程度の家族がそれぞれの 場所に固まって集まっていました。ちょうど体育館の真中あたりに、セーラー服を着た 少女とそのお母さんが布団の上に座っていました。少女は、私たちの呼びかけに答える ことなく、ずっと横を向いたままでした。その顔はかすかに怒っているようにも見えま した。
『あなたたちは何? 何しに来たの?何をしてくれるの? あなたたちの気持ちを満 足させるために、私はここにいるんじゃないわ。』
私には彼女がそう言っているように見えてしまいました。
私を含めボランティアの人たちは、役に立ちたい気持ちが優先して、必要以上のサー ビスをしてしまうかも知れません。しかし、そのサービスは被災者の方には必要のない ものかも知れず、下手をすれば過度なプライバシーの侵害をしているかも知れなません 。このことはちゃんと認識しておかねばと、痛感しました。