JR住吉駅からは代替バスが出ていましたが、待ち時間1時間と聞いてJRの線路沿
いに歩きだして、すぐのことです。
「雨露を凌いで一生のほとんどを過ごす『家』って、こんな弱いものなの?」と、そ
のあまりにも完全な破壊の仕方に茫然として、立ち止まったままの私でした。
倒壊家屋のほとんどは、家としての原形を留めていません。引き裂かれささくれ立っ
た木材が無秩序に天を指し示しています。そして、単に倒れるだけでは気が済まないか
のように、車道に迫り出し道を封鎖しています。あるマンションは、2階の一部が潰れ
その勢いで隣の民家の上に直撃し、民家を叩き潰しています。JRの高架は支柱がふっ
飛び、線路が剥き出し状態になり、その線路にだらしなく枕木がぶら下がっていました
。裂かれた高架からは灰色の空が見え、そのうち小さい粒の雪が降って来ました。
そして倒壊した家屋の見えやすいところに、避難先の場所と電話番号を書いた紙がは
ってありました。「全員無事です。○○小学校に避難してます。」と言うものもあれば
、名字と電話番号がサインペンで無造作に殴り書きにされているものもありました。
完全に1階が潰れて、2階の割れた窓から室内が見えるマンション。真ん中から半分 が裂かれて、車道に倒れて来た雑居ビル。ひび割れて盛り上がった道。
今にも倒れて来そうな建物の横を通り過ぎる時は、とても緊張します。またトンネル を歩いて通過した時などは、トンネル内に地割れが走っていて、とても恐かったです。
このまま崩れて来そうな気がするのですが、ほとんど人は見えず、何も動かず、時間 の止まった街の中を、私は黙って歩いていきました。