毎年、仕事を終えて帰省する頃には、あと2、3日でその年も終わりを迎えます。
年末の慌ただしい街の中を通り過ぎて、私は実家から持ってきた線香と蝋燭と、造っ て貰った花束をもって、お寺の門をくぐります。
大きな鐘の横を通り過ぎると、枯れた草木で覆われている小池が静かに止まって、時
折木枯らしで波のように揺れています。墓地の入り口の所に無造作に置かれている桶
と柄杓を一組持って墓地に入り、桶に水を入れ墓地を真っ直ぐに進んで行きます。
クリスマスイブを過ぎてから、私は本格的に研究に忙しい日々に巻き込まれるように なりました。『研究のことしか頭にないあなたに、何も応えてくれないあなたに、い つでも不安だった。』と彼女から聞いたのはずっと後になります。いろいろと不安の 重なった彼女に一つの決心をさせたのは、私の「横浜に決めた。」と言う電話の一言 だったそうです。
そして就職の決まった大学院2年の夏から、彼女は京都に来なくなり、就職して間も
なく横浜に届いた一通の手紙を最後に、私たちは終わったのでした。
妹君のお墓はいつでも綺麗なたくさんの花で飾られているので、いつでも見つけるこ とは簡単でした。
お墓に水をかけようとして、ちょっと考えてから止める事にしました。蝋燭に火を付 けようとしてかがむと、時折吹く木枯らしに邪魔されて、火が消えてしまうので何度 もやり直さなければなりませんでした。
私は、お墓の前で長い間、故人に色々なことを語りかけていました。そして、何度も
何度も繰り返した言葉を、再び繰り返していました。
瞑っていた目を開き合わせていた手を離して立ち上がり振り向くと、そこには灰色の 冬のすすきの風景と夕日の赤のシルエットが地平線いっぱいに広がっていました。
夕日より上の方にある雲は紫色に染まり夜の闇と解け合い、下の方にある雲は、水平 に絶え間なく濁流のごとく流れ続け、冬の夕日の赤に燃えて地平線を際立たせていま した。
落ち葉を舞上げて通り過ぎていく木枯らしに晒されたまま、冷厳な美しさと寂しさの 中、私は墓地に立ち続けていました。
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