『江端』



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『江端』

『江端』と言う名前は大変珍しい名前です。

『田中』や『佐藤』のように総理大臣から犯罪者まで様々な人がいるポピュラーな名 前と違い、『江端』という名前は非常に希少です。

江端一族の中には、この『江端』と言う名前を求めて全国を探していると言う珍しい 人がいます。この方の研究によると『江端』が生息している地域は、愛知県知多郡を中 心とした地域と、千葉県の2つだけで、非常に限られた地域にしか存在していない のです。これは取りも直さず、『江端』が明治時代以後に生まれた名字であることを意 味します。我が一族は、多分江戸時代には名字を名乗ることの出来なかった完全無欠の 庶生の発祥だったのでしょう。

高校3年生の冬、私は国公立大学の共通一次試験を受験しました。共通一次試験は、 出身高校に関係なく、住んでいる家から最も近い公立大学で受験することが決まってい ましたので、私は愛知県刈谷市にある愛知教育大学が指定されることになりました。共 通一次試験は、試験を受ける会場から席順まで「あいうえお順」で決められていました ので、私の教室は「え」で始まる名前の人が集まっていました。

ですから、昼休みの時、私の前の席の人の受験票に『江端』と書かれていたのを見つ けたときは、本当に感動したものです。
愛知県で、私の知らない『江端』がいた!しかも同じ年齢!!

 ¥ 私は同じ『江端』と言う名前を持つ彼に不思議な同志意識を感じました。それで、つ いつい彼に話しかけていたのです。

かれは怪訝そうな顔で無言で私の顔を見つめているだけでした。私は最初から、彼も この受験会場で同志『江端』を見つければ喜ぶに違いないと、勝手に決めつけていまし たので、私は彼のリアクションにはとてもがっかりしてしまいました。

結局、わたしは第一志望校であった北海道大学に落ちて、浪人の道を歩むことになっ てしまったのですが、それもこれも、あの同志『江端』の冷たい振る舞いにショックを 受けて、午後の理科の答案用紙に名前を書き忘れたからだと、今でも固く信じています 。

この位珍しい『江端』と言う名前ですから、歴史上では勿論、実生活でも新聞でも小 説にも出てくることがありません。と長い間思っていたのですが、私はついに見つけま した。常日頃からの乱読のたまものです。

「花とゆめ」(白泉社)と言う少女マンガに連載されている立野真琴さんのコミック 「D−WALK」の主人公のカメラマン志望の少年の名前がなんと『江端』なのです。 彼のお兄さんは業界きっての有名なモデル、恋人もモデル志望の可愛い女の子ときたも んです!!

と言う訳で『江端』は、現実とのギャップはさておき、とりあえず少女マンガの世界 で華々しいデビューを飾ったのです。

珍しい名前だからこそ得られるメリットもあります。病院で名前を呼ばれる時など、 聞き間違いの心配は皆無です。また学校の新学期には、必ず新しい担任の先生に、
「これは、『えはし』と呼ぶのかな?、ええっと、『えはし』さん、『えはし』さんは いませんか?」
と言われたら、陰険に黙って無視していることもできます。

あるいは、しかたないなと言う感じを込めて
「『えばた』ですよ。」
とため息混じりに答えるなんてことも、よくやったものです。

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さて、これからお話することは、この『江端』と言う名前であるが故に発生した、本 当にあったできごとです。

大学院一年生の6月、夜遅くに私が学校から帰ってくるやいなや、下宿の大家さんが 私の部屋に、かけ込んでやってきました。

私は、とても嫌な予感がしてきました。地方の大学に通っている息子の元に両親の訃 報が入る、と言うドラマによく出てくる1シーンが思い浮かび、足元から徐々に凍り付 くような感じがして来ました。

大学構内で、ある特定の人物を探すのはほとんど不可能です。大学は一つの都市と言 って良いほど広く、講義室、実験室は勿論、食堂、本屋、床屋、病院、集会室、ランウ ジ、部室、果ては学生運動の拠点まで何でもあります。ですから、大学構内で人を探す ときは事務室の人に頼んで、掲示板に『工学部 学籍番号852007 江端 智一君 、実家に連絡をして下さい。』と書かれたビラを張って貰い、ひたすら連絡を待つのが 最も一般的なやり方です。

 
大家さんが帰った後、私はすぐに自宅に電話をしました。

と心から安堵したような声の母。電話の向こうでは、「おとうさ〜ん、智一、生きてい たよぉ」と父に呼びかけています。

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要領の得ない母に代わって、電話に出た父が概要をかいつまんで話してくれました。

ことの始まりはその日、警察からかかってきた一本の電話でした。

その日の未明、殺人の被害者と思われる人が、名古屋のある街の道端に倒れていたと 言う事件が起こりました。身分証明書などは携帯していなかったので身元が割り出せな かったのですが、被害者は、男性、推定25〜40歳、身長170[cm]と言うどこにで もいる、これと言って特徴もなく、外見はありふれた人物でした。
その人が『江端』と言う印鑑を持っていたこと以外は。

 
さて、警察は捜査の常道として、県下のこの珍しい名前である『江端』を探します。 江端一族もお互いに連絡を取り合って、該当しそうな人物を全部チェックしていきまし た。そうして、知っている限りの親戚同志で連絡を取り合って、一人一人丹念に家や会 社や学校にいることを確認していったのです。そして『該当者なし』と判断しました。 該当者なし? 

いえいえ、たった一人だけですが、京都の大学で訳の分からない研究を続けている、 一族の中でも変わり種の人物がいたのです。

当然両親は、所在不明の息子を探し求めて、下宿の大家さんに大迷惑をかけることに なります。事態が事態ですので気持ちは分かるのですが、その頃はちょうど大学院生講 義室で、教授の声を子守歌に居眠りをしていました。

昼を過ぎても、息子の所在が判明しないことに業を煮やした父は、ついに実力行使に でます。父は管轄の警察署を訪れ、係りの人を口説き倒し、ついに「被害者の遺体との 面会」を果たしてしまいます。遺体安置室で死体と対面した父は、この遺体は私の息子 ではないようだと言う『実感』を持ったそうです。

当時の私は、現在より数キロ太っていて、私は随分気していたものでした。気にし ている『肥満』のことで、身元を確認されると言う、えも言われないもの悲しさにがっ くり来てしまった私でした。

母に、その『実感』の話をしたら、『自分の息子も分からないの?!』と文句を言わ れたそうですが、そう思うのが当たり前だろうと思ったものです。

そんなこんなで、私がいつものように平和に一日を送っている間に、私の両親達は仕 事を放り出して、一日中いろんな所を走り回り、その夜遅く、息子からの電話を受け取 って、ようやく長い長い一日を終えることができたのでした。

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このようなとんでもない事件を引き起こす『江端』と言う名前ですが、私は今でも深 い愛着を持っています。たとえ『江端』みたいに珍しい名前でなくても、自分の名前が 好きだと言う人はきっとたくさんいるでしょう。

結婚しようが何をしようが、誰にでも、気に入った名前を一生もち続ける権利や、気 に入った名前を新たに自分自身に名付ける権利があるのではないのかなと、考えてしま うことが最近多くなりました。

もっとも、一方では、『私、あなたの名字になりたいの。』なんて口説かれたら、あ っと言う間に、陥落してしまうような気もしますけど。

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ちなみに、被害者の『江端』さんは、新潟から出稼ぎにきている方だったそうです。 ご冥福を祈りつつも、いつか『江端』の生態を研究しているあのおじさんに、新しい生 息地として教えて上げようかな、と密かに考えています。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996