(Continuation from yesterday)
これは、プログラミングの履修についても同じことが言えます。
I can say the same about studying programming.
プログラミングは、その本を読んでいるだけでは、1mmも身に付きません。
We cannot acquire a knowhow about a programming at all with just reading an instructional book.
そのプログラムのサンプルを、パソコンのエディタに書き写して、コンパイルして、ビルドして、実行することで、頭の中に「定着」します。
In order to settle the knowhow, we have to transcribe a sample program on an editor of a PC, compile and build the program.
「お経」ではありませんが、私たちは、このようなプログラミング履修方法を「写経」といいます。
A program is not a sutram but we call it "codify" as a programming instruction method.
さらに、そのプロセスで、デバッグしたり、環境を整えたり、原因不明のトラブルをググったり、色々な面倒くさいうんざりするプロセスを経ることで、その「定着」が強固なものになります。
In addition the "settle" will be empowered by debugging, making the development environment, and retrieve trouble shooting, like annoying processes .
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ただ、この例外となる人物が一人だけいます。
However, there is an exceptive person in the cases.
それが、記事の「書き手」です。
This is a writer of the articles.
「書き手」は、その記事のロジックをちゃんと整理して、辻褄のあったストーリーにする為に、何度もコンテンツの推敲をし続けます。
The "writer" should organize the logic of their content, and spend ages practicing in order to make a logical story.
その結果、自分の書いた記事の内容については、自分の中に「定着」します。
As a result, their contents which they wrote by themselves is going to be settled in their mind.
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しかし、ぶっちゃけ、私たちは「行動する」ことも「書き手」となることも、難しいです。
However, after all we, it is difficult for us to do actions or become a writer.
私たちには、私たち自身の生活があり、使える時間に限りがあるからです。
Because we have to live our life and don't have enough time to do them.
ですので、私は、
So I have done
―― 自分で、その記事のサマリのメモを作る
"to make a abstract of the article by myself".
ということをやっています。これによって「写経」ができるからです。
I think that this is a sort of "codify".
さらに、
In addition,
―― 可能であれば、そのメモをブログ等で公開する
"I have opened the abstract on the Internet, if it is not bad one."
もやっています。
第三者に読まれるという緊張感で「写経」にも気合が入ります。
With the tension that my works are read by others, I can concentrate to "codify" deeply.
それも難しい、という状況である場合には、
Even if they are also difficult for you,
―― 他人に、その記事の内容を説明する
"Trying to explain a content of the article you read to others"
でも良いと思います。
might be good.
他人に説明することによって、自分の中に「定着」することもあるからです。
The "settle" may work well to explain your thought to others.
(私の場合は、嫁さんに、記事の内容を説明することで「定着」させています)
(In my case, I will settle it by talking to my wife")
私たちエンジニアの世界で、よく言われている格言に、
In our engineering field, there is a saying
「第三者に説明可能な状態になって、初めて『理解した』と言うことができる」
"You can say "I understand" when you can explain to others"
というものがありますが、けだし名言と言えます。
This is really a "mot", I think.
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このように考えてみると、「マンガに学ぶリーダー論」とか、「アニメに登場する人生訓」とかが、定着しにくいのは、
I think that why the lessons from "Leaders of manga", "Life lessons told by the main character of animation" could not be settled, is
―― 自分の人生をユースケースに当てはめることが難しい
"difficult to apply our life to use cases"
からだろうな、と思います。
私には、
For me, I don't have
―― 大陸を統治する意思も、
- an intention to govern the continent,
―― 宇宙に行くための訓練の意思も、
- an intention of training to go to space,
―― 世界チャンピオンを目指す意思も、
- an intention to aim at world champion
欠片もありませんから。
at all.