(Continuation from yesterday)
「価値観を共有できる友人がいない」
"I have no friend who share a sense of value."
私も人並に、このようなことに悩んでいた時期があった時がありました(本当です)。
I had a time when I had been annoyed at it like others.(It was a real story)
ある時、ある大人にそのことを語ってみたところ、次のように言われました。
At that time, I told the story to an adult, the person adviced me the following.
―― 「友人作り」なんてことは止めなさい。
"Stop finding a friend."
―― 先ず、自分がのめり込めることを見つけて、そのことに対して、たった一人で、しかし、本気で「狂って」みなさい
"Firstly, you find what you make you crazy, and you are crazy for it seriously by yourself."
―― そうすると、同じ方向で「狂って」いる人が、自然と浮かび上がって見えてくるから
"If you do so, you can find out a person who also is crazy for it."
―― それが、あなたにとっての「特別」だ。
"It is "the special person" for you."
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その時の私は、このアドバイスに納得した訳ではありませんでした。
I didn't accept the advice fully at that time.
今でも、これがベストなアドバイスだとも思っていません。
Even now, I don't think that this is the best advice.
しかし、このアドバイスには重要な示唆が含まれているとは思っています。
But I think that some important intentions are included in this advice.
それは、『自分を楽しませるのは自分自身』であって、『その役割を他人に期待するのはズルい』ということです。
That means "it is me to make me enjoy" and " it is a dirty trick to expect the roll to others".
友人が、「自分を楽しませて貰う為」とか「自分が一人であるように見られない為」の「道具」と考えるのであれば、友人を作るのは難しいのではないか ―― と、この私でさえ思えます。
Even I think that it is difficult to find a friend, if you think that your friend is a sort of "tools" in order to "make you enjoy", or "lose the vision of your loneliness"
「狂っている」ということは、自分が作り出す「楽しい」が自分の外に溢れている状態とも言える訳で、「狂っている」者同士は、お互いの「楽しい」を、共有できる関係にあるということができると思います。
"Being crazy" means that "enjoy" that is generated by myself, is overflowing beyond myself, and the persons who are crazy, can share their "enjoy" each other.
(To be continued)