以前、エレベータの「開ボタン」を押し続けるという善意が、凄い迷惑であるという日記を書きました。
しかし、この習慣、一向に止まる気配がありません。
会社の中などでは、見たこともないような偉い人が乗っている可能性もありますので、このような行動は「保身」の観点から、やむを得ない可能性もあります。
でも、あなたが先に降りる程度のことで、腹を立てるような幹部のいる会社なら、未来はないと思いますが。
ただ、歩行が困難な人や、ベビーカーを使っているお母さんには、有効かもしれませんが、あなたの体がドアを塞いでいることの方が迷惑です(私は、両方とも経験者です)。
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どうしてもそういう「善意」が我慢できないのであれば、エレベータから降りた所にある、呼びボタンを押し続けていれば、同じ効果が得られます。
ところが、このようなことをした人は、私が知り得る限り「ゼロ人」です。
なぜだろう、と考察してみたのですが、これは、降りる人と顔を合わすの が恥かしいのかもしれません。このような行為が、なんとなく気恥しいと思う のは、理解できなくもありません。
ですが、私に言わせれば、
―― その程度の覚悟しかないなら、「善意」など止めてしまえ
と思うのです。
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私は、自分の体調が良くて、気分の良いときは、お年寄りに席を譲るなどの「善意」を行いますし、時間があって気分が向けば、駅で迷っている外国人に、"May I help you ?"と声をかけます。
その結果、結構な回数、不愉快な対応をされたことも多いです。
無視されたり、逆に睨まれたり、文句を言われたり、けげんな目をされて立ち去られたこともあります。
あるいは、何度も何度も果てなく御礼の言葉をかけ続けられ、鬱陶しいことこの上もないこともありました。
「善意」には、それなりのリスクを伴います。私は、「善意」のうち半分くらいは、嫌な目に合っていると思っています。
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「善意」とは、善意の「空振り」で恥をかくことのリスク込みで「善意」です。
『自分が傷つく覚悟がないなら「善意」など止めてしまいなさい』と申し上げたいのです。