私はYoutubeとかLine等のソーシャルメディアが登場してきたき、組織の内部告発などに活用されていくのだろうな、と思っていました。
しかし、
■イジメをしている当の本人がイジメている映像を流していたり、
■打ち合わせ中の顧客の悪口をツイートしていたり、
■来店した有名人の様子を逐次報告したり、
■店舗の機材(アイスクリーム冷凍保存装置)に入ったことを知らせたり、
と、
「お前たちには『脳』がインストールされていないのか」と言うような事件を、日々間当りにして、本当に驚いています。
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で、驚くべきことに、このような事件は、何度も同じパターンで、繰り返し起っています。
―― 学習能力がないのか?
とも思ったのですが、そうではなく、リアル世界とネット世界の棲み分けが理解できていないのだろう、と思っています。
「イジメの動画」「悪口」「職務に関する守秘義務情報」「悪ふざけ」は、リアル世界の閉じた空間と時間の中では ―― それほど大きな問題にならなくとも、
それがネット社会に流れ出ていった瞬間、化学反応に近い変化を起こして しまうことが、
―― 感覚的に理解できていない。
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この「感覚」を理解するには、なんども失敗を重ねて学習を続ければ良いのですが、ソーシャルメディアでの失敗は、「取り返しがつかない」ことがお多いのです。
私も結構な回数、失敗してきたのですが、そのネット世界の媒体が「電子メール」で留まっていたことは、今となっては幸運だと思います。
当時の電子メールが「火縄銃」だとすると、今のソーシャルメディアは「大量破壊兵器」くらい、一度失敗すると取り返しがつかないからです。
事実、ソーシャルメディアでのたった一回の失敗で、
■職を追われ、
■会社がつぶれ、
■写真、実名、経歴、過去の全てが晒され、
■100年のブランド価値が1日で瓦解し、
そして、
■自殺にまで追い込まれる
高齢者が、このようなネット媒体を忌避するのは、それが使い熟せなのではなく、その「恐しさ」を直感的に理解しているからではないか、とまで思い始めてきました。
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もはや、ネット社会と離れて生きることは難しい。
ならば、学校教育において、ネットワークの構造、文章の書き方、トラブルシューティングを、ケーススタディで一つ一つ教えていくしかないでしょう。
私は「道徳」といく教科が、(その名前からして)大嫌いなのですが、このネット社会の教育は、この「道徳」の時間こそが、ピッタリ当てはまるような気がします。