私は、寄稿コラムの先頭、または本論を開始する前に、
「こんにちは。江端智一です」
と記載しています。
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これは、「丁寧に挨拶をしている」という訳ではなく、
「ここから先は、私、江端智一が書いている文章です。私の文章が嫌いな人は、ここで読むのを止めてね」
という意味で使っています。
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結構、良い方法だと思っています。
あなたは不快な文章を読む必要がなく、私も不愉快な批判コメントを貰うこともない。
「批判によって、人は成長するのだ」というという意見は多分拝聴に値するのだと思うのですが、私は、10年も前に、このことを公に拒否しています。
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(以下、江端さんのひとりごと「壁」より抜粋)
(その1)
―― いつでも思うのですが、どいつもこいつも、何故私を『改良』しよ うとするのだろうか。
鬱陶しい。
社会的な常識や、組織的な規範を基準とした倫理観から、私を恫喝するくらいなら、その手間隙かける時間で、とっとと私を切り捨てればいい、と思うのです ――
(その2)
――しかし、まあ、たくさん書いてきましたけど、私の言いたいことは、要するにこんだけです。
私は常日頃から、人に意見をされる運命にあるようですが、そういう運命にある人間の立場として一言言わせて貰えるのであれば、『自分の価値観を、江端に押し付けるべきではない』と言うことだけは、あなたに是非とも押し付けたいのです ――
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人の意見をきちんと聞き入れない私は、これからも人間として成長せず、そして同じ失敗を繰り返すのだろう、と思います。
しかし、そのことであなたに迷惑をかけていない限り、私のことは放っておいて欲しいのです。
「私が成長しないこと」や「私が失敗すること」は、私だけのものですから。