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2013-06-02 風呂桶に落した本でも買います [長年日記]

世の中には色々な本の蒐集家がいますが、その中でも、私が知っている人の中には、お気にいりの外国の作家の著書を収集している人がいます。

その人が、他の蒐集家と違うところは、「その著作の内容」を読めないことなのだそうです。

はっきり言えば、「英語が読めない」

私は、こういう書籍の蒐集をしている人が嫌いではありません。

これって、いわゆる「アイドル」が所有物したものを集めたいという心理とは、ちょっと違うのかもしれません。

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■お気に入りの作者の著書が、本箱に並んでいるのを見るのが大好きで、

■時々、その本を開いてみて、

■でも、やっぱり何が書かれているのか全然分からなくて、

■それでも、「いつか、この本をスラスラと読める日がくるかもしれない」と、ウットリと夢想する。

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まあ、その人が「英語に愛されていない」以上、そんな日は永遠に来やしません(誰が何と言おうと、私はこの信念だけは変えません)。

しかし、それとは別に、その人の蒐集の目的は、必要かつ十分に達成していると言えましょう。

蒐集の目的は「自分が幸せになること」ですから。

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私の場合、本に関する取りあつかいは、上記の蒐集家とは対局にいます ――という話は、何度もしましたので、今回は具体例など。

■風呂桶に落とす

■新本の表紙を即廃棄する

■必要な記事だけ手で破り取る

■書き込みをする。関連資料を糊で張りつける

■厚い本なら、カッターナイフで数冊にぶった切る

■必要がないと判断したら即座に捨て、必要になったら同じ本を何度でも購入する

我が家の家長の、この本に対するスタンスは、家族全員にも浸透していま す。

ダイニングテーブルの上は、本の山(半分はコミック)になっており、

家のどこをあるいても、3歩あるけば、本でつまづくことが可能で、

ゴミ箱の中には、必ず廃棄された本が入っています。

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しかしですね、もし、このような状態に対して、「書物に対する愛がない」と批判されると、「それは違うぞ」と反論したくなります。

私の「書物に対する愛」は、深く広いのです。

それは、本をどこかにしまって管理するのではなく、家じゅうのどこにいっても、どの本にも出会えるという、まさに、

―― 出会いの空間

であると思うのです。

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あ、本論から話が逸れた。

今日の話はそこではなく、我が家の家の不要な蔵書を、BOOK OFFなとでは引き取ってくれないことです。

流石に、風呂桶に落した本は駄目みたいですね。多分、売れないのでしょう。

私は「本は読めれば良い」主義なので、本としての形になっていれば、どんな本でもO.K.なんですけどね。

そういう、流通経路に乗らない本を、ただ同然で流通させてくれるサービス、誰か始めてくれないかなぁ。

本の劣化レベルのオプションは、「書き込みあり」「存在しないページ全体の5%未満」「風呂桶への落下回数2回以内」でも、私はウエルカムです。