先日、介護認定を受けている両親の為に、実家に戻って、施設を回ったり、ケアマネさんと打ち合わせをしたり、税金の手続をしたりと、どたばたしているうちに、週末が終って、帰宅の時間になりました。
駅まで送ってもらうのを断わって、私は歩いて向かいました。
その途中に、毎年、正月に初詣をする神社に立ち寄りたかったからです(そのことは、内緒にしていましたが)。
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そこは、小さな神社で、敷地も私の家のリビングの2倍程度しかありません。
鳥居をくぐって、小さな社(やしろ)の前に立って、手持ちの小銭を全部、賽銭箱に放り込み、目をつぶり、手を合わせて、願かけを始めました。
―― 父と母を、今よりも、ほんの1ミリでもいいから元気にして下さい
―― その対価として、「私」が辛い目に合うことは我慢します(限度はありますが)
―― 私の著作に対する、心ないツイッターのメッセージも(少しは)我慢します
とお祈りしていたのですが、そのうち、段々腹が立ってきました。
―― そもそも、あのように朴訥で、悪意なく、人に迷惑をかけず(場合因るが)、ただひたすらに一生懸命に生きてきた人達の、人生の最終フェーズがこの有様か?
―― もう少し、希望がある運命を与えてくれたっていいじゃねーか
―― お前、神様なんだろ? あの二人を、なんとかしてやってくれよ
―― テメーは、無能か!
と、どんどん怒りがエスカレートしてきて、もう悪霊に魂を乗っ取られているかと思うくらいの状態になってところで、
私の左肩と首の間に、ニューっと人の首が差し込まれる気配を感じました。
私が、こわごわと首を傾けながら、左に目を向けると、
そこには、
―― バンチパーマをかけた、柄の良くない不細工な大阪人風のオバサンの顔のアップ
が、ありました。
ヒエーッ、っと、私が恐怖で口も聞けない状態のところに、そのオバサンは私の頭の中で、低い声で、直接語りかけてきました。
「そんなことなぁ・・・、言われてもなぁ・・・」
と、一言。
私は、驚きの余り、右側に飛びのき、そのまま後方に転びました。
そして、そちらの方向に目を向けた時には、そこには誰もいませんでした。
少くとも、その神社の敷地は勿論、私の目の届く範囲には、人っこ一人として、いなかったのです。
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あのオバサンが、「あの角度で私に顔を向いていた」
ということは、あのオバサンは、
「空中で真横に浮いていた」ことになります。
物理的にありえません。
もちろん、この事件の有力な解釈は、「私の幻想/幻覚」です。実際に、心身ともにズタボロに疲れていましたし。
しかし、あの大阪のケバイ化粧のオバザンの存在感は、「私の幻想/幻覚」では、到底、説明ができない程に圧倒的でした。
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ともあれ、私の中では、あの神社の神様は、
―― 柄の良くない不細工な大阪人風のオバサンの神様
であった、ということで確定しました。
これまで、何十年もの間、毎年、私は、正月元旦に、あのオバサン神様に願をかけていた訳です。
なるほど、私の人生が思い通りにならないはずです。