今、「NHKスペシャル シリーズ日本再生「どうするエネルギー政策」」の録画を見ています。
番組紹介の内容は以下の通り。
いま、日本のエネルギー政策が問われている。原発の再稼働は?燃料費が急増する火力発電は?再生可能エネルギーは?どのようなエネルギー構成を目指すのか、徹底討論する。
現在、7人のパネラーが議論をしているのですが、私が不思議に思っているのは、一つ。
―― なんで、板書しないんだろう
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人間はロジックで理解しにくいことでも、図解すれば理解できることが多いのです。
でっかい白板のパネルを用意して、自分で図解しながら説明し、また他の人にその図を修正して貰いながら、議論を集中していく、という方法は本当に有効なのです。
議論の観点がぶれない、という点も良いです。
同時に、自分や他人の「間抜けな意見」も一瞬に明らかになります。
例えば、日本の核燃料サイクルの問題について議論している途中で、
「国際的な共通核燃料施設について議論をすべきだ」などという、
全く、タイミングも内容もナンセンスな発言も、その場で、残らず板書で残せば良いのです。
私は、その板書のコピーを持ち歩いて、そいつを一生嗤ってやる、と思っています。
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私の場合、何かを考える時に、ノート、板書なしに行うことは絶対に不可能です。
また、誰かと話をする時に備えて、いつでもA4かA3の紙を持ち歩いています。
私が話を聞きながら書き込んでいくと、話をしている人が、そこ紙に書き込みを始めることが多いです。
私が「いいよ」ともいっていないのにもかかわらずです。別に失礼とも思っていませんし、逆に助かります。
記憶を一度、自分の外に出してみないで、どうやって自分の考えを客観的に見ることができるのか、私には不思議で仕方ないのです。
と、ここで「はっ」と気がつきました。
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実は、図面のような実体化をしなければならないのは、単に私が「頭が悪い奴である」為であるだけなのかもしれない。
私以外の多くの人は、そのような「見える化」をしなくても、物事を整理して理解できているのかもしれない。
でもなぁ、どうにも、そう思えないんですよね。
このNHKのパネルディスカッションを見ている限りでは。