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2013-02-24 白板のパネルを用意すればいいのに [長年日記]

今、「NHKスペシャル シリーズ日本再生「どうするエネルギー政策」」の録画を見ています。

番組紹介の内容は以下の通り。

いま、日本のエネルギー政策が問われている。原発の再稼働は?燃料費が急増する火力発電は?再生可能エネルギーは?どのようなエネルギー構成を目指すのか、徹底討論する。

現在、7人のパネラーが議論をしているのですが、私が不思議に思っているのは、一つ。

―― なんで、板書しないんだろう

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人間はロジックで理解しにくいことでも、図解すれば理解できることが多いのです。

でっかい白板のパネルを用意して、自分で図解しながら説明し、また他の人にその図を修正して貰いながら、議論を集中していく、という方法は本当に有効なのです。

議論の観点がぶれない、という点も良いです。

同時に、自分や他人の「間抜けな意見」も一瞬に明らかになります。

例えば、日本の核燃料サイクルの問題について議論している途中で、

「国際的な共通核燃料施設について議論をすべきだ」などという、

全く、タイミングも内容もナンセンスな発言も、その場で、残らず板書で残せば良いのです。

私は、その板書のコピーを持ち歩いて、そいつを一生嗤ってやる、と思っています。

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私の場合、何かを考える時に、ノート、板書なしに行うことは絶対に不可能です。

また、誰かと話をする時に備えて、いつでもA4かA3の紙を持ち歩いています。

私が話を聞きながら書き込んでいくと、話をしている人が、そこ紙に書き込みを始めることが多いです。

私が「いいよ」ともいっていないのにもかかわらずです。別に失礼とも思っていませんし、逆に助かります。

記憶を一度、自分の外に出してみないで、どうやって自分の考えを客観的に見ることができるのか、私には不思議で仕方ないのです。

と、ここで「はっ」と気がつきました。

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実は、図面のような実体化をしなければならないのは、単に私が「頭が悪い奴である」為であるだけなのかもしれない。

私以外の多くの人は、そのような「見える化」をしなくても、物事を整理して理解できているのかもしれない。

でもなぁ、どうにも、そう思えないんですよね。

このNHKのパネルディスカッションを見ている限りでは。