世の中には、資格というものをバカにして憚りない人が多いようです。
私の周りでは、特に、情報処理試験、TOEICに対する批判というのは、よく見られます。
「試験に合格したからといって、その分野の仕事ができるようになる訳ではな い」
「TOEICでハイスコア出したって、海外のコミュニケーションがてんでダメな やつは山ほどいる」
というような内容です。
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昨日、情報処理試験用に定義された疑似アセンブラ言語「CASL」のお話をしました。
この「CASL」は、実際には存在しないコンピュータ「COMET」上で動くので、こんなもん勉強しても、全く何も役にたたず、文句なし、完全無欠の時間の無駄使い、とも言えます。
しかしですね、私が、情報処理2級(当時の一番初級のクラスの試験)で、この「CASL」を勉強しなければ、、私は多分この世界(IT分野)で、飯を食っていなかったと思うのです。
なぜか。
コンピュータのアーキテクチャを理解する唯一の機会であったと断言できるからです。
例えば、
■CPUのレジスタAに"2"を入れます。
■CPUのレジスタBに"3"を入れます。
■CPUの演算装置に、レジスタAとレジスタBの内容を加算するように命令します。
■すると、CPUのレジスタCに"5"が入ります。
という、この仕組みを知ってから、私の「コンピュータ」というものへの観念が劇的に変化したからです。
―― なんだー、コンピュータって「バカ」なんだ
今なお、世界最速と言われているコンピュータと言われているものでも、この仕組み自体は変っていません。
滅茶苦茶な速度で、の2+3を繰り返すことができるだけです。
この「コンピュータは、結局のところ『バカ』」という「見下し」こそが、コンピュータに対する
■不適当な敬意
■無用な苦手感
をなくし、
―― コンピュータを使いこなせないのは、私の責任ではない。奴が「バカ」なのである
と言い切れると判った時から、コンピュータと私の対等な関係は始まったと思うのです。
という訳で、資格試験における「資格」そのものに価値がない、と考える人がいるのは、まあ妥当であるとしても、
資格試験における「勉強」に価値がないとまで考えるのは、多分、言い過ぎだろう、と思うのです。
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海外でも、3回質問して、聞き直せば分かるのであれば、別段困ることもないのであれば、TOEICのテストに意義を見い出すことはできないでしょう。
でも、TOEICなんぞでもなければ、語彙を増やす機会はなし、英会話を真面目に聞く 場面もないのも事実です。
TOEICはスコアが問題なのではありません。
受験すること自体に意義があるのです。
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―― とでも思わなければ、とても耐えられるのではありませんよ、実際のところ。
あんだけ勉強しても、勉強すればするほど、どんどんスコアが下がっていく現実と対峙して生きていくことは、本当にキツイです。