本を読んでいる人かどうかを見破る、簡単な方法があります。
「○○○○作品全集」 (○○○○は、有名な文豪)
「△△社 総合百科事典」
てなものが、ガラスの扉のついた本箱に飾ってあれば、確実にダウト。
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本当に本を読む人は、そんなもの購入しません。
そもそも文豪が書いた本の全てが、面白いはずがありません。
「文豪の著書の9割はクズ」というのが私の持論で、そのような本は、概ねゴミ箱行きです。
占拠される空間(本棚)がもったいないし、必要なら図書館で「待たずに」借りられるし。
また、インターネットの検索エンジンがあるこの時代に、百科事典なんぞクソ重い本を飾る意味もありませんし。
娘が持っている電子辞書ですら、辞書15冊分がすでに入っています。
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昔は、書籍を本棚に飾ることで、自分を知的に見せることができた時代があったのかもしれません。
もし、自分を知的に見せることができたなら、それは「全集」に投資する価値はあったのでしょう。
が、今、それやったら、あきまへんですよ。おじ(い)さん。
自分の「無知」を証明することになるだけでなく、「ITリテラシー」ゼロを宣言するようなものです。
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私が大学に入学した時に、パソコン(ノートPCじゃなくて、タワーPC)サイズの、英和・和英辞書を贈ってきた親戚がいました。
# いや、本当にあるんです。そういう辞書。
私がその時思ったことは、
―― そっかー、この人、ただの一度も真面目に英語の勉強したことないんだーー
ということでした。
こんな辞書を使う奴が、一体、世界のどこにいるか。
これは、辞書でなく装飾用家具の一部です。しかも、虚構の自分を飾る為の下品なツール。
口では御礼を言いながら、私は頭の中で、そのタワーPC・・じゃない、クソ重い英語辞書をどこに捨てようかと思いを巡らせていました。
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さて、我が家の実家には、こういう「全集」が、何シリーズかあります。
40年の時を経て、初めて開帳される本。旧字体で読みにくいったりゃない。
帰省する度に、私が風呂の中で読んでいますが、前回の帰省では、森鴎外と芥川を、風呂の中に落しました。
わざと落した訳ではありませんが、少し、いい気味・・もとい、いい気分でした。