厚木駅で途中下車した時、ほとんど手の届くような所で戦闘機が飛んでいて、度肝を抜かれました。
というか、その音。
『私を殺す気か!』という位の爆音。
戦闘機が飛んでいるタイミングで、爆弾テロ事件をやっても、多分気がつかないと思うくらいの凄い音。
「殺意のある爆音」という形容句が十分成立します。
当然、訴訟もあっただろうなと思いながら、判決のサマリを探して読んでいました。
予想通りの確定判決で、がっかりでしたが。
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当事者でない私にとっては、原告の苦痛は、100万分の1も理解できていないと思いますが、厚木駅の一件で10万分の1くらいにはなった、と思います。
ありゃ「酷い」
というか「惨い(むごい)」
高度に政治的な判断もあろうし、公共優位性という観点を言われれば、その被害の上に胡座をかいている私には、いろいろと言い難いことがあります。
が、一言だけ、言わせて貰います。
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司法は、国に対して「10年後に、爆音を1/10にする技術開発」程度のことを命じる判決はできないのか? (というか、原告も訴状に書けないのか?)
マイルストーンを切って、司法が開発の進捗チェックの機関として機能するくらいのことはできるだろう。
2割程度の戦闘機の性能ダウンと引き換えに、爆音を1割まで落せるなら、妥協できるラインではないだろうか。
「100%の状態でないと訓練にならない」という理由は、民間企業のシステムの研究員から言わせると『甘えんな』である。
100%のシステムで検証できるような、そんな贅沢な実験環境が存在すると思っていやがるのか。
分っている。
国防は重要だ。安全保障も同様だ。
だが、「そこを何とかしろ」と言っている。
有事の時まで爆音を出すなとは、言っていないし言わない。
訓練の時だけで良い。
しかも全ての訓練でそうしろとまでも言わない。
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私は、なにも「電気戦闘機を作れ」とはまでは言っていないのです。