インドには思い出が沢山あります
# 悪い思い出ばかりですが。
インドのデリーで、(冗談ではなく)瀕死の状態から回復した隙を狙って、宿泊していたドミトリーから脱出しました。
そして、這う這うの体(ほうほうのてい)で、ネパールに逃げ出す為に、空港に向かっていた時のことです。
タクシーの運ちゃんに、
「お前は、ドメスティックか、それともインターナショナルか」と聞かれました。
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(1)domestic:
最近は、「ドメスティックバイオレンス」とかで、すっかり日本語の普通名詞としても定着しています。
しかし、当時の「試験にでる英単語」の"domestic"で、トップに記載されていたのは、
「家庭的な、愛国的な」
という意味だったと思います。
(2)international:
言うまでもなく「国際的な」です。「国際的に活躍する」とかいう文脈で使われることが多いです。
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運ちゃんに、かような哲学的問いかけをされると思ってもいなかった私は、暫く考え込みました。
「私は、ドメスティックか、それともインターナショナルか」
# 今になって思えば、なぜこのような質問をされたのか不思議に思うべきだったのですが。
「愛国者」という響きは良くありませんが、私は日本という国土や文化や人々を愛している一人の日本人である、という自負はありました。
そして、今は独身だけど「家庭的」でありたいとも思っていました。
比して、「国際的か」と聞かれれば、こんな私ごとき「国際人」と呼ぶのもおこがましい。私は、未熟な日本の大学生に過ぎません。
『私はドメスティックだ』
と応えました。
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そして、タクシーから降りる時に、タクシーの運ちゃんに、
「あのさ、この空港から、ネパールに行けるんだよね」
と尋ねたら、酷く怒られました。
『お前、「ドメスティック」っていったやんか!!」
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そりゃ、私が悪い。100%悪い。
空港に行くタクシーの中で、「ドメスティックか、それともインターナショナルか」と聞かれれば、そりゃ、「国内空港か、国際空港か」という意味になるに決まっています。
このように、私の英語に関わる記憶は、いつでも自己嫌悪の塊のようなものばかりなのです。