私の実家は、桶狭間古戦場跡の近くにあります。
嫁さんを初めて実家に招いた時、
『あの、桶狭間の戦いの、桶狭間のこと?』
と驚いていました。
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私の地元では、桶狭間の戦いの戦場には大きく2つの説があり、乱暴にザックリ纏めると、「愛知県豊明市」と「名古屋市緑区」の説があります。
# 距離にすると、両者は2kmくらい離れているかなぁ。
で、私はどちらの説にも組みしておりません。
「興味がない」上に「腹を立てている」からです。
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私の実家が、その両者の丁度ど真ん中に位置しており、実家のあった位置こそが、バトルフィールドであったに違いない、ーーー などとも、全然、信じていません。
ちなみに、私の父は、『桶狭間の戦い以前の歴史は、デタラメである』という根拠のない信念を持っているようです(何度かその理由を聞いたけど、論理だった説明は一切ありません)。
閑話休題。
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私はと言えば、あの「野蛮な野武士」が、今川義元に返り討ちにあっていれば、無益な殺戮のオンパレードの歴史を経ることなく、無事に戦国時代が終了していた、と考えております(インドのマハラジャ連合国家のようなイメージで)。
なにしろ、「桶狭間の戦い」が歴史上、日本に与えた不利益には、計り知れないものがいくつもありますが、その最大にして最悪の害悪は、
『太平洋戦争における、日本陸海軍の馬鹿げた暴走の精神的支柱になったこと』
が挙げられましょう。
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昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たち、総勢35名が、太平洋戦争の戦局のシミュレーションを実施したそうです。
兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析し、(しかも、ソ連参戦までも予測し)、
『日本必敗』
というシミュレーション結果を叩き出していました。
# これは、テレビでドラマ化もされていました。
このシミュレーション結果を、「桶狭間の戦いを見てみよ!」といって「物量が戦局では絶対的ではない」と言って、精神論を説いたという、阿呆な為政者がいたそうです。
また、太平洋戦争の端緒を開いてしまった真珠湾攻撃が「桶狭間の戦い」を大きく意識して実施されたことは、多くの歴史学者の指摘するところです。
攻撃開始30分前に宣戦布告をするという、無謀なスタイルを見れば、私にだって「ああ、あれか」と、分かります(しかも、駐アメリカ大使が、翻訳の準備に手間取り、結果的に、宣戦布告が、攻撃開始後1時間後となってしまったという、歴史的大汚点を残すに至る)。
これ以外にも、太平洋戦争時における日本軍には、あちこちに奇襲攻撃の実例が山程あり(そして、多くは失敗した)「桶狭間の戦い」がケーススタディになっていることは、明らかです。
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歴史に「もしも」の問いかけは虚しいですが、それでも私は考えてしまうのです。
もし、我が国の歴史に「桶狭間の戦い」さえなければ、と。