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2013-04-10 携帯電話のメールアドレスを変更します。

私の携帯電話のメールアドレスが流出しているようだ、というお話は以前致しました。

本日、ネーチャンの写真入りのメールが、携帯に登場してきて、私は「切れました」。

いや、かつてのように報復メールのDOS攻撃をかけるということはしません。今となっては、あんまり効果もないでしょうしね。

一番簡単な手段 ―― メールアドレスを変更する ―― ことに決めました。

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世の中には、メールアドレスを変更することに対して、抵抗がある人が多いようです。

友人関係や仕事の重要なアイテムである以上、メールアドレスを変更することは、それなりのインパクトがあるとは思います。

嫁さんの場合、仕事の依頼はメールでやってくるので、特に大変だと思います。

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私の場合、この辺の「マインド」がちょっと違うようでして、メールアドレスは勿論、携帯電話の電話番号を変更した後でも、そのまま放置してしまいます(勿論、業務で使っている電話は別ですが)。

「携帯電話をかけあう友人が存在しない」という環境が、それを簡単に実現させてしまうのです。

そのような環境が「気にしない」「苦に感じない」という人生は、どっかが間違っているのかもしれませんが、これは私の巨大な「強み」と認識しています。

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しかし、こうやって定期的な人間関係の整理をしていると、「お前の携帯が繋がらない。どうなっている!」とクレームをしてくる人もいます。

事情を説明すると「なぜ、電話番号の変更を知らせないのだ」と文句を言われます。その辺は、逆に察して欲しいと思うのですが。

結果として、携帯電話番号を変えることによって、もっとも「享受を得たい利益」が、逆に得られないという矛盾も含むことにもなる訳です。

「無報告の電話番号変更」も、これでなかなか難しいのです。

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しかし、「これは、逆の使い方もあるな」と思いつきました。

「電話がかかってこなくて寂しい」と感じる人は、世の中に多いのですよね(私はよく知らんのですが、小説とかブログとか読んでいると、ちょいちょい目にする)。

どうでしょうか。いっそうのこと電話番号を変えてしまっては。

電話がかかってこないのは、あなたの人柄や人格とは無関係です。物理的に繋がらないんだから、しょうがない、と思えるですよね(思えないか)。

いかん、話が二転、三転していますね。元に戻します。

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ともあれ、私の携帯電話の電子メールは、明日から変更されます。

これで、スパムメールを全部殺せるかと思うと、非常にいい気分です。

私のように、さくさくメールアドレスを変更する風習や文化が根づくといいだろうに、と思うのですが、世界がこのパラダイムに至るのは、難しいのかもしれません。


2014-04-10 「残念なことですが、就活にも『向き/不向き』があるのです」

以前、某会社の社長さんにインタビューに行ったことがあります。

In other time, I went to a company to conduct an interview for the chief executive.

その会社では、就活を行っている学生に、就活のアドバイスをするセミナーも提供しているとの話でした。

I heard that the company provides students of job hunting with some seminars.

江端:「就活というのは、私達の時代の、特に理系の人間にはイメージできないのですが、今も若い人は、全員が大変なのですよね」

"However I can't make an image of the hardship of job hunting of college students, all of them seem to share tremendous burden of toil.

ところが、意外にも社長さんは「そうでもないのですよ、江端さん」と応えられました。

Contrary to my expectation, Mr. President told me that it was not true.

■内定を取れる人は、どこでも、いくつでも内定を取っている

-The students who can get an offer letter can get many offer letters.

■内定を取れない人は、どうしても内定が取れない

-On the other hand, the students who cannot get it cannot get them.

のだそうです。

江端:「え? そういうもんなんですか?」

"You don't say so!"

社長さん:「残念なことですが、就活にも『向き/不向き』があるのです」

"I am sorry that it is absolutely true that each person has their own job-hunting capabilities."

-----

就活であれ、英語であれ、「『愛されない』って本当に辛いことだなぁ」と、実感しながら、帰宅したのを覚えています。

I remember that I went home with thinking despairingly

"For job-hunting or English, "Not be loved" is deeply painful."


2015-04-10 『私の心に言葉を届けたいなら、私を屈服させるだけの実績を持ってきやがれ』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

このように、人に説教する資格の一つとして、「成功」というものは、確かに分かりやすい評価ポイントと成りえます。

Thus, I think that a success is an understandable key value index, as a qualification of the lecture.

-----

私の評価ポイントに何もヒットしない人が、偉そうに語っているのを聞かされるのは、

When a person I am not interested in at all, tries to make me hear his/her lecture, I am afraid that it is just

「時間の無駄」

"wasting time "

であり、加えて、私の貴重な時間を一方的に簒奪する

and he/she is a

「ドロボウ」

"burglar", who deprives my precious time.

であると認識します。

ですから、その人の話など真面目に聞く訳がありません。

So I think that I have no reason to hear his/her lecture seriously.

私の場合、

In my case, I always say in my mind that

『私の心に言葉を届けたいなら、私を屈服させるだけの実績を持ってきやがれ』

"If you want to get your message across me, show me your fruits I call forth admiration"

と考えながら、神妙な顔をして、頭の中ではエッセイの構成を考えています。

and have another idea of my writing in mind with serious face.

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一方、私にとって、人を説教するというのは、もっとも楽しい行為の一つです。

On the other hand, giving my lecture to others is very amazing for me.

この辺については、あまり多くを語りません。

I don't want to tell it. Please read the reference.

(続く)

(To be continued)


2016-04-10 この感じは、『電子メールも使えない、中年のおっさん」の失職の恐怖』と思えば、しっくりくるのかなぁ、と思っています。

芥川龍之介先生が「ぼんやりとした不安」を感じて自殺をしたのが、1927年ですので、すでに90年程昔の話になります。

"Ryunosuke Akutagawa" who was one of the famous novelist at 1927 in Japan, killed himself because of "vague uneasiness"(it is also the famous phrase in our Japanese).

どこで読んだのか忘れたのですが、芥川先生が感じていた、この「ぼんやりした不安」というのは、どうやら「失職」だったらしいです。

Though I forgot when and where I read an article, the article said that the reason why he elected suicide seemed to be a "job loss".

要するに「不景気」

In short, it was "depression"

なにしろ、芥川先生は、文学一筋でやってきた為、他の仕事については完全に素人。

Akutargawa-sensei was an amateur, except for literature. He had been a literature devoted.

この感じは、『電子メールも使えない、中年のおっさん」の失職の恐怖』と思えば、しっくりくるのかなぁ、と思っています。

I think we can understand the feeling of "the fear of a middle-aged uncle who cannot even use e-mail".

-----

そこにくると、みなさん。エンジニアはいいですよ。

Everyone. I want to say "Engineers is good".

電子メール、ワード、エクセルが使えない ―― などということを、そもそも想定しない職業です(使えて当然)。

We don't assume that "an engineer who cannot use E-mail, Word, Excel(not thinking of it).

統計もやらされて、ハードやソフトの設計もやらされて、プロトタイプなら「自分で作れ」と言われ、竹の子のように出てくる新しい技術のキャッチアップもやらされて、

Any engineer is going to be asked to study statistics, hardware and software design, to make prototype by "doing it yourself", and to catch up new technologies represented one after another.

とにかく「技術の習得に忙しい」。

Anyway, "an engineer is busy for the acquisition of technology".

「一流になれる」という話とは別ですが、短期間の技の習得の能力は、他の職種よりも抜きんでていると思います。

I cannot guarantee that you are going to become a leading engineer, however, you will get the ability of the acquisition of the skills of the short-term. I think it stands out than other occupations.

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芥川先生が、サイドビジネスでエンジニアをやっていたら、きっと「ぼんやりとした不安」で自殺をすることは、なかっただろうと思います。

If Akutagawa-sensei had been an engineer as a side business, he should not have elected suicide for the "vague uneasiness".

もっとも、その場合では、「芥川賞」というのも設立されなかったと思いますが。

However, in that case, I make sure that "Akutagawa-prize" had not been established.


2017-04-10 ―― 人類は生まれながらにしてコンサバ

本日も、小田急は、人身事故で、ダイヤが乱れまくっていました。

Today, the diagram of my commute train line got out of order by a physical injury.

今朝のスケジュールの2つが、キャンセルと遅着となりました。

Two schedules of this morning were cancelled or delayed.

1年間も「人身事故シリーズ」の連載を完了した私としては、やはり、無力感を感じずにはいられません。

However, I, who had finished the series of "train physical injury" for one year, feel helpless.

勿論、私のコラムごときが世の中を変えるとは思っていませんが。

Of course, I don't think that I can change the world by my writing.

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私もデータをとって確認したのですが、年度始めや、学期始めの頃は、人身事故(飛び込み自殺)は増える傾向にあります。

I have already checked some data, and I know that the numbers of accident are going to increase at the beginning of the fiscal year and semester.

そして、年度末、学期末は、逆に減少傾向にあります。

And the numbers are going to decrease at the end of period.

これらを検証するまでもなく、私たち人類は「再起動が辛く」「環境の変化が嫌い」なのです。

Needless to verify these, our human beings are "hard to restart" and "dislike environmental changes".

―― 人類は生まれながらにしてコンサバ(Conservative:保守的)

"Human being are conservative by nature"

というのは、私の中では、検証不要の事実です。

This is no need for verification in my mind.

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さて、「働き方改革」という政府主導の大きな改革が始まっています。

Now, a government-led reforms, "improvement of work way" have begun in Japan.

思い切った労働時間の短縮(主に「残業時間の撤廃」)の改革は、旧形態の労働形態を変化させるための、強制力として意義があるものだと思っています。

I think that it is meaningful that the reform of shortened working hours (mainly "elimination of overtime hours") is as a mandatory force to change the old form of labor.

なぜなら、これまで誰もが言い続けてきた「徐々に改革する」が、これまで、全然機能してこなかったことが明かだからです。

Because "gradual improvement" that everyone continued to say, has worked well since now.

「労働(labor)」には、「苦痛」「強制」という意味があります。

The meaning of a word "labor" includes "pain" or "enforcement".

「苦痛」であるなら、放っておいても「時短」は進むはずです。

If it is "pain", the shortend working hours might progress automatically.

そのように進まないのであれば、このような「強制力」もやむなし、と思っています。

However, if the progress doesn't work well, the "enforcement" cannot be helped.

しかし、その一方で、もし「人類が生まれながらにしてコンサバ」であるなら、このような急激な「強制力」を発生させれば、

On the other hand, if "human being are conservative by nature" and the rapid "enforcement" happens,

何かの反動が発生することは、避けられないだろうと思っています。

I am afraid that we cannot avoid some problems against the enforcement.

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「時短」で事故が起きる ―― ということは、いかにも起きそうな気がしています。

I think ""Shortend working hours" makes an accident" ---- migt happen indeed.


2018-04-10 少くとも、「御社のTOEICスコアの全社平均を下げてみせる」 ―― という点にかけては、絶対の自信があります。

他の人のコラムなどを読んでいると、

When I read others blogs and columns, I sometimes found the following sentences.

という内容を見つけることがあります。

―― 正直うれしい

"Honestly speaking, I felt happy"

です。

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新人教育まっさかりの最中ですが、私を「新人教育の『講師』に招く」というチョイスをご検討頂けたら、と思います。

Now, freshpeople education programs are going in many companies, and I hope if you can consider the choice "invite me to" as a lecturer.

御社の、「英語」に関する信仰を、コテンパに破壊してみせます。

I will destroy your company's faith about "English".

少くとも、「御社のTOEICスコアの全社平均を下げてみせる」 ―― という点にかけては、絶対の自信があります。

At least, I am absolutely confident in the point that "I will lower the company average of your company's TOEIC score".


2019-04-10 でも、昔の記憶って「美化(?)」されるじゃないですか。

昨日、私が学生の頃に「86万円もする重さ9kgのラップトップコンピュータを購入した」という記載をしました。

Yesterday, I wrote "when I was a college student, I bought a laptop computer that weighs 9 kg, which costs 860,000 yen".

でも、昔の記憶って「美化(?)」されるじゃないですか。

But I guess the old memories are "beautified".

もしかしたら、大袈裟に記憶し間違えているのではないかと思って、調べなおしてみました。

I checked it again, if I may have misunderstood old memories.

It was perfectly correct.

最大ユーザーズメモリ  : 4.6MB (単位に注意)

標準実装ドライブ  HDD  :40MB (単位に注意)

Maximum user's memory: 4.6MB

Standard mounting drive HDD: 40MB

I remembered the appearance and I almost got tears.

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MS-DOSというOSの上で、Turbo PASCALという言語を使っていました。

The language of Turbo PASCAL was used on MS-DOS OS.

実行ファイルを作らなくても、いきなり"F5"で実行できました。

Without creating an executable file, I was able to execute with "F5" suddenly.

というか、プログラムとは、全てそういうものだと思っていたので、その後、コンパイルという概念が理解できなくて、困りました。

I thought that the program was all that sort of thing, so I couldn't understand the concept of compile, and I was troubled.

また、[72][5]の配列でメモリがパンクして、プログラムをスケールできなくて、いろいろ工夫したことを思い出しています。

Also, I remember that I could not scale the program because the memory was punctured with the array of [72] [5], and I tried various ideas.

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だけど、この手の話は、どんなに工夫しても、「ハイスコアガール」のようなストーリーにはならないんだろうな、と思うと、少し寂しいです。

I think it is a little lonely, no matter how I devise, it will not be a story like "High Score Girl".


2020-04-10 2週間前に、この「悪夢」を誰か想定していたか? ―― はっきりいって「誰もいなかった」と断言できます。

法治国家では事後法・遡及法は許されません。

Post-law and retrospective law are not allowed in a rule-of-law state.

事後法・遡及法というのは、後に法律を作って、遡って罰を加えることです。

The post-mortem / retrospective law is to create a law later and add a penalty retroactively.

法律でこれをやると、後々に何が「罪」となるのか分からないからです。

If we do this by law, nobody will know what will later become "crime".

心情的、道徳的、人道的に、絶対に許せない犯罪は、世の中には山ほどあります。

There are so many crimes in the world that can not be forgiven emotionally, morally and humanely.

それでも、「感情や思想や個人の信念ではなく、法に因らなければ、その人間を裁くことができない」、これが法治のルールです。

Nevertheless, the rule of law is that "you cannot judge a person unless it is based on the law, not the emotions, thoughts, or personal beliefs."

多くの人の慟哭と憤怒と悲しみを踏み台として、未来の犯罪を防止する為に、法律の制定をし続けること

To continue enacting laws to prevent future crimes, based on the lament, anger and sadness of many people.

これが法治国家を名乗る国の国民の、宿命と誇りです。

This is the fate and pride of the people of the rule of law.

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とまあ、わざわざ「法治国家」の話を出さなくとも、現在の判断基準をもってきて、過去の事件を判断するのは「理不尽」です。

Even if you don't talk about the "rule of law", it is "irrational" to judge past cases based on current judgment criteria.

卑近な例になってしまいますが、教育現場における体罰やパワハラが「愛のムチ」と言われて、セクハラが「コミュニケーション」と言われた時代はあったのです。

For example, physical punishment and power harassment in the educational setting were called "love whip" and sexual harassment was called "communication."

しかし、私たちは『で、それが?』と冷たくあしらって良いのです。

However we can say, "So what?" coldy.

That means,

■過去の常識や社会通念がどうであれ、現在の体罰、虐待、パワハラ、セクハラは、現在の常識と社会通念だけで判断される。

Regardless of past common sense or social wisdom, current corporal punishment, abuse, power harassment, and sexual harassment are judged solely by current common sense and social wisdom.

■過去の価値観に基づいて誰が何を主張しようが、知ったことではない

We don't care anything, no matter who claims what based on past values

■故に、(どんなに面倒であっても)、私たちは、現時点の常識や正義がどうなっているかを知って、常に自分を変化させ続けなければならない

Therefore, no matter how tedious we are, we must always catch up our current common sense and justice, and keep changing ourselves

ということです。

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治療法のないウイルス感染病と、それに対する社会の対応は、毎日(下手すると毎時間)単位で変化を続けています。

It keeps changing every day (or every hour if you are bad) that virus infections without treatment and social responses.

これは、2週間前には、誰も想像もできなかった事態です。

No one could have imagined this two weeks ago.

日記を書いている今現在、世界中では

As I write my diary now, all over the world

■毎日10万人単位で感染者が拡大し、

The number of infected people increases every 100,000 people every day,

■毎日その数パーセントの人数が死亡し、

Every day, a few percent die

■現場では、トリアージ(生存の可能性が少ない患者を見捨てる)が始まっている

Triage (abandoning patients with low chance of survival) has begun in the field

『悪夢を見ているのではないか』というような状況が、世界中でリアルタイムで展開中です。

A situation like "I have a nightmare" is developing in real time all over the world.

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2週間前に、この「悪夢」を誰か想定していたか? ―― はっきりいって「誰もいなかった」と断言できます。

Two weeks ago, who envisioned this "nightmare"? ―― To be clear, I can assert that "nobody was there"

勿論、私も、です。

Of course, me too.

2週間前には、誰もが「4月になれば」と思っていたはずです。

Two weeks ago, everyone would have thought "in April."

普通に、入学式があり、入社式があり、異動があり、会議があり、忙しく走り回る日常がやってくると疑っていなかったはずです。

You would normally expect to have an entrance ceremony, an entrance ceremony, a transfer, a meeting, and a busy daily life.

しかし、私達は今、「人類最悪の4月」に呆然と立ち竦んでいます。

However, we are now stunned by the worst April in human history.

そして、現時点において、この惨禍の収束のメドは立っていません。

And at the moment, there is no future on the convergence of this disaster.

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In fact, I myself wrote a diary of a packed ski resort on the middle of March (March 21).

そして、私のソロスキー(1人スキー)の日記を、「その日記を公開した日」に非難してきた人は、一人もいません。

And no one has blamed my solo ski diary for "the day I published that diary".

もちろん、「ソロスキーなら、3密(*)の条件が一つも入っていない」とは思っていましたが、私も、緩んだ気持で外出したという事実は変えられません。

Of course, I thought that if I was a solo skier, I wouldn't have any of the three conditions (*), but the fact is trun that I went out with a loose feeling.

(*)「密閉」「密集」「密接」の3要素の総称

(*) A generic term for the three elements of "closed", "dense" and "close"

もちろん、「今」なら非難してくる人はいるかもしれませんが、「今」では、そんな非難、クソの役にも立ちません。

Of course, some people may come to blame me "now," however in "now," it does not help anything.

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今では常識とされている「3密回避」は、3月上旬の段階では、はっきり効果があるか分からない状態でした。

At the beginning of March, it was not clear whether or not the "avoidance of three conditions", which is now common sense, would be effective.

3月中旬であっても、努力目標程度のイメージだったと思います。

Even in mid-March, I think the image was about the effort target.

そこで、私は、この日記を読んでいる人に

So, I am going to ask you,

―― 3月21日に、私が、ソロスキーに出かけたことを、論理的に批判できる人がいたら、私に論戦をふっかけて欲しい

"If anyone could logically criticize my trip to solo ski on March 21, I would like you to argue with me."

と思っています。

3月21日の段階での事実をベースに、私の行動のどこに問題があったのかを、ロジカルに説明して頂きたいのです。

I would like you to provide a logical explanation of what was wrong with my actions based on the facts as of March 21.

当然、私は、3月21日の段階の事実をベースに、全力の反論を試みます。

Of course, I will try my best to refute based on the facts of the March 21 stage.

ここで大切なのは、「3月21日を超えた未来からの批判」、すなわち「現時点の状況を引用した批判は受けつけない」ということです。

What is important here is that "criticism from the future beyond March 21", that is, "criticism citing the current situation will not be accepted."

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逆に言えば ――

Conversely,

これだけのデータが出揃い、感染者数を抑えられず、38度以上の高熱が2週間近くも続く人や、自力呼吸ができない地獄のような苦痛の中で生死を彷徨っている人の存在が、これだけはっきりしている「現時点」において、

At the present, it makes clear that we can't control the number of infected people, and we know that people who have high fever of 38 degrees or more for almost two weeks, and people wandering about life and death in hell-like pain that cannot breathe on his own,

Nevertheless,

■駅のホームで抱きついて大声でしゃべっている大学生や、

College students hugging at the station platform and talking loudly,

■居酒屋で、対面になって、酔っ払って、唾を吐き散らしながら、上司のグチをぶっている社会人は、

Adults at a pub, face-to-face, drunk, spitting, and swearing by her boss

―― 殴り倒して良い

"You can beat them down"

と、思っています。

I think that.


2021-04-10 私が、ようやく「ラクに息ができるようになったなぁ」と実感したのは、大学に入ってから、「クラス」という概念から解き放たれた時です。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

では、中学二年生の時に何があったか ―― 私は、中学の生徒会会長に就任したのです。

So what happened in the eighth grade -- I became the president of the student council of my middle school.

私は、世間が描いている「生徒会会長」が、その通りのキャラクターでないことを知っています。

I know that the "student council president" is not the character that the public envisions them to be.

そもそも、そんなことをやろうとする奴は、「上手いこと教師におだてられて」「回りに押しつけられて」「その気になってしまうほど単純」で ――

First of all, anyone trying to do something like this is "flattered by a good teacher", "pushed", and "simple enough to get into the mood".

そして、教師たちにとって都合の良い人物 ―― そこそこ判断力が早く、教師の言うことに従順で、御しやすい生徒、 ―― であることを知っています。

And I know that the student is a good fit for the teachers -- a student who is quick to judge, obedient to the teacher, and easy to control.

つまり、「私」です。

In other words, it was "me.

それでも、私は、「生徒会会長」という身分を手に入れることで、『自分自身であり続けることを、ギリギリの線で諦めない』ことを守ったのだと、今なら思えます。

Even if there were, I can see now that by obtaining the status of "Student Council President," I protected myself from giving up at the last minute to continue being myself.

ともあれ、これ(生徒会会長の肩書)は、いわゆる、「ピアノ」という武器との等価交換となりました。

Anyway, this (the title of student council president) became the equivalent exchange for the so-called "piano" weapon.

こうして、ようやく私は、「大っ嫌いなピアノ」を捨てることができたのです。

Thus, I was finally able to discard the piano, which I hated.

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私が、ようやく「ラクに息ができるようになったなぁ」と実感したのは、大学に入ってから、「クラス」という概念から解き放たれた時です。

After entering university, I was freed from the concept of "class," and finally felt that I could breathe easily.

■「仲間」だの「友人」だのとかいう、そういう"記号"を必要とせず、

- I didn't need symbols like "buddies" and "friends.

■人間関係を、その人間への「好き」と「嫌い」の気持だけで決定することができて、

- I could make decisions about relationships based solely on how much I like or dislike a person.

■他人からコントロールされない/他人をコントロールしない、

- I didn't have to be controlled by others / control others

■「自己責任」で、自分の生き方を「自己決定」できる

- I could "decide" how to live your life with "self-responsibility"

という日々の中で、私は、ようやく苦しい時代を終えた、と実感できました。

It was during these days that I realized that the hard times were finally over.

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最近、「過去の自分に戻る」というコミックやアニメが多いです。

Lately, there have been a lot of comics and anime about "going back to the past".

しかし、私の場合、「過去の自分に戻る」ことは希望しません。

However, in my case, I would not wish to "return to my past.

特に、小学校から中学校にかけては、ゴメンです。

Especially from elementary school to junior high school, it is joking.


2022-04-10 「『読食』のススメ」

私、今ですら、こんな、ですが、若い頃は、「リア充」に努めていたようです。

I, even now, like this, but when I was younger, I was aiming to be "sociable" and seemed to strive to be a ""sociable".

with looking at my previous diary, I thought that. Directions aside.

ですが、それでも、中学生の頃から変わらないこともありました。

But still, some things had not changed since junior high school.

「孤食」 + 「読書」、すなわち『読食』です。

It is "solitary eating" + "reading," is equal to "lunch with reading".

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小学生時代の給食を終えて、中学生の弁当になってからは、『読書をしながらの食事』というのは、私にとっては最上の時間の一つでした。

After school lunches in elementary school ended and lunches for junior high school students began, 'lunch box with reading' was one of the finest times for me.

食事と読書を同時に楽しめる ―― なんと贅沢な時間なんだろう

Enjoy eating and reading at the same time -- what a luxury!

と思っていました。

I thought so.

学校に週休2日制度が導入される前は、土曜日は半日で授業が終わりました。

Before the school week was introduced, classes on Saturdays lasted half a day.

私は、人生通じて、ずっと「かぎっ子」(帰宅時に他の家族が自宅におらず、自ら家の鍵を持参している子供)でした。

I have always been a " latchkey kid" (a child who has no other family at home when he/she returns home and brings his/her own key to the house).

帰宅したら、自転車で近くの市場に、コロッケ2個と、鶏肉100グラムを購入しに行きました。

When I got home, I cycled to a nearby market to buy two croquettes and 100 grams of chicken.

And time to make "Miso Stewed Udon" for one person and read a book by Yasushi Inoue, was,

―― 至高のひとときでした。

"a supreme time".

『孤食が恥しい』という考え方は、当時はなかったような気がします ―― いや、あるいは私が気がつなかっただけかもしれません。

I don't think the idea of 'solitary eating is shameful' existed back then -- or maybe I just didn't realize it.

私が『男子生徒』であったことも関係しているのかもしれません。

Maybe it had something to do with the fact that I was a 'boy student'.

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現在も、学校現場では、新型コロナ対策として「黙食」が続けられいるそうですが、それは理に叶っていると思います。

Even today, I hear that "silent meals" are still being continued in schools as a countermeasure against the new coronas, which makes sense.

私のソース(情報源)からも『子どもが学校で感染を拾って、それを家族に広めている』という話を聞いております。

I have also heard from my sources that "children are picking up the infection at school and spreading it to their families"

子ども(小学生、中学生)のいる家族では、この現実が、諦観(ていかん)とともに、受け入れられているようです。

Families with children (elementary and junior high school students) seem to accept this reality with resignation.

それでも、「感染の確率」を下げるための「黙食」には、意味があります。

Still, a "silent meal" to reduce the "probability of infection" makes sense.

It is also significant not only for the family, but also to take into account the aftereffects of asymptomatic infection (brain fog, etc.) in the child.

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で、私が提案するのは、もちろん、

And I would suggest, of course, that

「『読食』のススメ」

"lunch with reading"

です。

is.

In the field of education, one tablet per student has already been introduced.

「孤食」ができて、「読書」もできて、「IT(Information Tech.) x OT(Operation Tech.)」が実践できて、その上「黙食」が実現されるという、素晴しい方法です。

It is a wonderful way to be able to eat alone, to read, to practice "IT (Information Tech.) x OT (Operation Tech.)," and on top of that, to realize "silent meal".

「iPadで、kindleを立ち上げて、太宰治や井上靖を読みながら、一人メシを食う」 ―― それはもう、至福の昼休み、"パラダイスランチ"じゃないですか。

Eating a meal alone while reading Osamu Dazai or Yasushi Inoue on your iPad with kindle app." - that is a blissful lunch break, a "paradise lunch".

―― って思うのは、私だけですか?

Am I the only one who thinks so?


2023-04-10 案外、私の家族が、私のことを『ナチス党員』または『ネオナチのシンパ』と思っているかもしれんなぁ、と心配になることがあります。

I watched NHK Special "Crime and Punishment of Nazi Scientists".

まあ、題目からも明らかなように、ナチス・ドイツの様々な非人道的な政策に対して、科学的根拠(お墨付き)を与えるだけに留まらず、積極的に協力してきた科学者たちの話です。

Well, as is clear from the title, this is a story about scientists who have not only provided scientific evidence (endorsement) but have actively cooperated with Nazi Germany's various inhumane policies.

この番組を見て思ったことは、『科学者が"正義"を持つと、ろくなことにならん』というあたりまえの感想ではありません。

What I thought when I watched this program was not the obvious impression that "it is not good when scientists have "justice". It was, that

―― ああ、私だって、簡単に、そっち側になる

"Yeah, I could easily be on your side, too."

ということでした。

そもそも、今でこそ"ナチズム"は、完全否定される"悪"として断罪されていますが、当時のドイツ国内では"正義"であったし、いまでもナチズムの信奉者は少なからず存在します。

To begin with, "Nazism" is now condemned as an "evil" that is completely denied, but at that time it was "righteous" in Germany, and even now there are not a few adherents of Nazism.

そもそも"正義"と"悪"の概念は、時代と環境に応じて変化するものです。

To begin with, the concepts of "justice" and "evil" change with the times and the environment.

特に『権力サイドに忖度しなければ、殺されてしまう』という状況では、"正義"や"悪"などの概念を易々と越えてしまいます。

Especially in a situation where "if you don't give the power side the benefit of the doubt, you will be killed," the concepts of "justice" and "evil" are easily transcended.

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という話、これまでもいくつも書いてきたなぁ、と思い、同じことを繰り返して言う「認知症的症状」が顕著になってきているので、この話はここまでにしておきましょう。

I have written about this many times in the past, I thought. I have recently been suffering from "dementia-like symptoms" of repeating the same thing over and over again, so I will leave this story at this point.

Nevertheless, many of the programs I record have "Hitler," "Nazis," and "Nazism" in them.

案外、私の家族が、私のことを『ナチス党員』または『ネオナチのシンパ』と思っているかもしれんなぁ、と心配になることがあります。

I sometimes worry that my family might think I am a 'Nazi Party member' or a 'neo-Nazi sympathizer.

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念に為に、繰り返し申し上げておきますが、

Just to be sure, let me reiterate,

―― 「逆だよ! 逆! 私は『ファッキン、ナチ』の側だよ」

"It's the other way around. I am standing on the side of "Fucking Nazi!""

です。


2024-04-10 ―― 日本国政府から子どもへのお年玉の支給、 別名『子どもボーナス』

子育て支援金の具体的な金額が出てきました。

The specific amount of the childcare subsidy is now available.

賛否に関係なく、このようなデータが出てくのは良いことだと思います。

Regardless of the pros and cons, it is good to see this kind of data coming out.

そのデータを計算するプログラムや計算表も開示してくれれば、(私は)助かります。

It would be helpful (to me) if you could also disclose the program or spreadsheet that calculates that data.

しかし、それを開示すると、私のような計算オタクが『いらんことをやりだす』ことが予想できますので、政府が開示しないのは当然でしょう。

However, if they disclose it, I can expect math geeks like me to 'start doing things they don't want,' so it's not surprising that the government won't disclose it.

プログラムや計算表を見たければ、『NDA(守秘義務契約)にサインしてから、政府の仕事(国家プロジェクト)に関われ』が、政府の言い分でしょう。

If you want to see the program or the spreadsheet, the government will say, 'You have to sign an NDA (Non-Disclosure Agreement) before you can get involved in government work (national project).

例えば、昨年、私は、ある省庁の持っているデータを閲覧する許諾を得るために、数ヶ月の時間を要しました。

For example, last year, it took me several months to get permission to view a ministry's data.

思ったほどではなかったのですが、それなりに大変ではありました。

It wasn't as complicated as I thought, but it was a lot of work.

それはさておき。

Aside from that.

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「出生率の低下」が何故悪いのか。

Why is "declining birth rates" bad?

私個人としては、私は子どもが少なくなっても、人口が減っても良いと思っています。

I am willing to have fewer children and a smaller population.

結婚、非婚もどーだっていいです。

Married or unmarried, it doesn't matter.

問題は、その変化の"速度"なのです。

The problem is the "speed" of change.

"長時間"かけて、"ゆっくり"と変化していくことに意味があると思っています。

It is meaningful to change "slowly" over an "extended period.

If you are interested, the following is my personal view on the significance of fertility reduction measures from the perspective of national system costs.

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「子育て支援金」に対する対抗策として、(一部の人が)使える戦略を考えてみました。

I have come up with a strategy that can be used by (some) as a counter to "childcare subsidies."

―― 「お年玉」という我が国の慣習の撤廃

"Eliminating the Japanese custom of "New Year's gifts"."

私は、親戚づきあいが少ないので、「お年玉」を出すこと自体が少ないので、対象外ではあるのですが、そうでない人は、これからは、こういう言い方で「お年玉」の支出を0円にできます。

I don't have many relatives, so I don't often give out "New Year's gifts," so I am not eligible, but for those who don't, from now on, you can use this kind of wording to make your "New Year's gift" spending zero yen.

『お前へのお年玉は、我が家からは、政府を経由してすでに年間3~4万円を渡してある。今後、お年玉はそっち(政府)から貰ってくれ』

The government has already given you 30,000 to 40,000 yen a year as a New Year's gift through the government. From now on, please get your New Year's gift from there (the government).

とした上で、

And,

―― 日本国政府から子どもへのお年玉の支給、 別名『子どもボーナス』

The "Children's Bonus is the Japanese government's New Year's gift to children."

を設立。

They will establish the above.

電子マネーで、子どものスマホや学校支給のタブレットに直接チャージされるようにすれば、デジタル教育や投資教育にも役に立ちます。

Electronic money, charged directly to a child's smartphone or school-issued tablet, would be helpful for digital and investment education.

なにより、このお年玉の額で、子どもは我が国の経済の実態を、肌で感じることができると思います。

Above all, I believe that the amount of this New Year's gift will allow children to experience firsthand the economic reality of our country.

そして、政権は、子ども(の関心)を引きつけ、その後の投票率に繋げることになります。

The administration will then attract children (and their interest), leading to subsequent voter turnout.

現在、現在の政権は、票田である高齢者に「いい顔」をする政策を取っていますが、この『子どもボーナス』によって、政権が若者の方に向く可能性も出てきます。

The current administration is pursuing policies that "look good" to the elderly, who are the voting base, but this "child bonus" could lead to the possibility that the administration will turn toward the young.

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いずれにしろ、「お年玉の撤廃」によって、「子育て支援金」という制度が、子どもからも憎悪される対象となります。

In any case, the "elimination of the annual allowance" makes the "child care subsidy" program a target of hatred even among children.

そして、「子育て支援金」が、『子どもを含めた我が国全体の問題』であるという認識を、「怒り」で共有されることに意義があると考えています。

We believe it is significant that "anger" is shared in the recognition that "child care subsidy" is "an issue for our entire nation, including children.

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なお、勘違いされると困るので、申し上げておきますが、私は「子育て支援金」を支持しております。

In addition, I would like to state, lest you misunderstand me, that I support the "child care subsidy."

我が国のシステムを総入替するコストに比べれば、この程度の金額なら、(今のところは)十分に許容範囲です。

Compared to the cost of a total replacement of our country's systems, this amount of money is (for now) well within the acceptable range.