日々は凄い勢いで過ぎ去り、たちまち古田さんたちの結婚式の丁度2週間前の土曜日 になってしまった。
その日私は、朝早く寮を出て、横浜発の新幹線に乗る予定であった。横浜に停車する 朝2番目の新幹線に乗る予定で新横浜駅に来たのだが、新幹線ホームには人が溢れてい て少しびっくりしてしまった。京都か神戸に観光に出かける家族や恋人たちかなと考え たりしていた。
私の目的地は、新神戸駅。駅に直結している新神戸オリエンタルホテルである。新
郎、新婦と披露宴担当者との当日の進行打ち合わせを行うのである。新幹線の中で本
を読んでいる間に、新神戸駅に到着したが、ちょっと3時間半の座りっぱなしは、少々
きつかったようである。
新神戸オリエンタルホテルは、いわゆるビジネスホテルでも、況や、高速道路のイン ターチェンジに乱立しているご休憩用のホテルでもなく、本当の豪華なホテルであった 。
真っ白い広大なロビーでは、ボーイが背筋を伸ばして、宿泊客の荷物を持ちながら整 然と闊歩し、案内嬢は常に自然な笑顔を絶やさないと言った徹底ぶりである。
壁は地味ではあるが趣味のよい彫刻がなされ、ホテルの中央部はガラス張りの吹き抜
けになっていて、ガラスのお城を連想させる。
こうなると気分はシンデレラである。
数メートル大の世界地図の壁画には、世界の主要都市の時間がデジタルで表示されて いた。日本時間と欧米時間を比較しながら、(ふ、日本の方が時間が早いぜ。勝った・ ・)などとくだらないことを考えて、極東日本の位置を満足げに眺めたりしていた。
式場の係りの人と打ち合わせをする前に、ホテルの喫茶店に入ってちょっとした打ち
合わせをする。司会に対する彼らの注文はたったの一つ。
「とにかく、明るくして。」
小学校の校則のような注文だが、彼らは心底真剣であった。
しんみりしたり、泣かせたりするのは一切無し。臭い台詞を吐くことは厳禁。終わっ たときに楽しかったと思わせてくれればよいと言うものであった。
お互いの両親への花束贈呈と言うイベントも避けたいのだけど、何とかできないだろ
うかと私に言ってきた。そんなこと私に言われたってどうしようもないと思うのだが。
時間になったので、8階の打ち合わせの場所に向かう。
8階に向かって上がるエレベーターが、これまた凄い。エレベーターの乗り口のとこ ろには案内嬢が立っていて、実に見事な笑顔と丁寧なおじぎをする。
古田さんたち二人はすでに馴れている様なので、そのままエレベーターに入ったが、 若い女性に挨拶される機会が皆無に等しい重電機メーカーの研究員は、(いえいえ、そ んなおじぎをされる程、大した人間じゃないんですよぉ)と思いつつ、思わずおじぎを 仕返しそうになる。なんとも危なっかしい。
エレベーターの下の方から上を見上げると、約100メートル以上にもなろうかと言 うエレベーターが一直線に伸びている。
2階で一旦エレベーターが終わるが、そこで折り返すことなく、さらにそこから8階 へとエレベーターは伸び続け、丁度ガラス張りの吹き抜けの空間を突き抜けていく感じ である。
空中を空に向かってゆっくり浮いていく言うイメージで作られている様で、なかなか 幻想的な気持ちにさせてくれる。
エレベータをすれ違って下っていく人たちをみると、礼服を着た人たちか、結婚直前
の仲睦まじいカップルであり、私が何だかとても場違いな人間に思えてきてしまう。
『お前、人の結婚式の世話が出来るほど余裕があるのか。自分のことも少しは考えた
らどうだ。』と言う会社の同僚の言葉をぼんやり思い出す。
笑いながら立ち去る奴の背中にゴミバケツをぶつけてやった。
ようやくエレベーターの頂上に到着すると、いきなり目の前にウエディングドレスの 女性が現れた。
私は、その女性が和服を着たおばさんに手を取られ、ドレスの裾を二人の女性に持た れ、私の目の前を通り過ぎて行くのを、思わずぼーと見とれてしまった。
結婚式の主役として鎮座する圧倒的な存在感がひしひしと感じられた。
『俺は、ステーキの横に据えられているニンジンの気持ちが良く分かる』と言ってい
た大学の後輩は、古田さんの結婚式の1月後にゴールインする。
(なるほど、新郎は刺身の『つま』だ)と思わず納得してしまう。
大きな絨毯引きのフロアには15台程度のテーブルがおかれていて、それぞれのテー ブルには、カップルが真剣な眼差しで担当者と打ち合わせを行っていた。
私たちはその中の一つのテーブルに案内され、担当者の方を加えて、4者会談を始め た。
私は披露宴の進行チャートに関することを分単位で詳細に説明をして貰い、分からな いところはしつこく質問をした。
ウエディングケーキに入刀するときの拍手の促し方と台詞が良く分からなくて、担当
者の方に聞いた話を自分の描いているイメージで説明して確認をして貰った。よく分か
らないところは古田さんも一緒になって説明してくれた。
でも、新郎のあんたが理解できてもしょうがないのよ。司会者は私なのだから。
「江端さんは、披露宴の司会は始めてですか。」と担当者の方に聞かれたので
「はい」私は答えて言った。
「きっと始めの方で、とても緊張すると思いますけど、がんばって下さい。」
担当とのやりとりを聞きながら、『江端に限って緊張なんぞ、絶対に有り得ない』と
言うふうな顔をする二人。
このカップルは、本当に良くお似合いだ、と思った。
大体打ち合わせが終わった頃、私はずっと気になっていたことを思い切って聞いてみ た。
「もし、私が大きな事故に会ったり、死んだりしたら式の進行は、誰が代行してくれま すか。」
その場にいた皆を驚かせたみたいで、「そのような質問をされたのは、始めてです」と 担当者の方は唖然として答え、慌てて「事故には会わないで下さい。」とつけ加えた。
しかし、私は食い下がった。
「絶対大丈夫などと言うことはないはずです。」
担当者の方は、少し困ったように、
こんなことは、今までないことですが」と前置きして、「私たちのスタッフで何とか致
します。」と約束してくれた。
会談の後、トイレで手を洗っている時に古田さんが聞いてきた。
「どうして、そんなことに気がついた訳?」
古田さんたちに取って、たった一度だけの人生のイベント。絶対に失敗は許されない。
絶対に必要だと思ったことを質問しただけである。
その日、午後私は大学の研究室の後輩から、キャンプに来るように誘われていたので 、打ち合わせが終わるや大急ぎで京都に行かねばならなかった。別れ際、食事もゆっく ち出来なくて古田さんたちにちょっと悪いかなとも思ったが。
後輩達とキャンプ場で落ち合い、その後先輩の会社の寮に泊めて貰い、あくる朝京都
に直行、バスで名古屋の実家へ。私の自転車は、折り畳んで運搬することができるので
、それを袋に詰め込み、新幹線で横浜へ。満員のバスの中では、仕事帰りのolにその
袋をぶつけたりしながら、ようやく横浜の寮に帰ってきた。
そんなこんなで、古田さんの結婚式2週間前の打ち合わせのためと称するドタバタ旅 行は終わった。ハードな旅であった。